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115系中部山岳ローカルC編成の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月22日(月)23時06分35秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

115系中部山岳ローカルC編成の製作
 115系の模型は1990年代後半から2000年代前半にかけての、115系が高崎線・宇都宮線でまだ現役だった頃によく作っていたのが、2000年代後半からは旧型国電を作るようになった一方で115系からは離れていました。最近になって、以前購入したままだったTOMIXの115系長野色C編成6両セットと新潟色L編成4両セットの加工を始め、先日C編成の方を完成させたので紹介したいと思います。
 C編成は、松本運転所転入当初のC2編成(クハ115-1125―モハ115-1068―モハ114-1131(ここまで写真上)―モハ115-1069―モハ114-1132―クハ115-1086(写真中央))としました。転入当初なので前面のスカートは黒で、乗務員扉ステップの表現がある165系用のスカートに交換しました。共通の加工として、連結器を全てTNカプラーに交換し、同時にクハ115-1086にトイレの循環式汚物処理装置を付けました。
 115系を含む近郊型電車はKATOとTOMIXの両方から製品が発売されているのですが、2000年代までの製品は金型の共通化が図られており、それぞれの形式固有の形態にするには加工が必要です。一般にKATO製品の方は113系2000番台がベースになっており、TOMIXの方は115系1000番台がベースになっています。また、KATO製品の方はクーラー脇ランボードが角ばっている昭和55年までの車、TOMIX製品の方はランボードが斜めになった昭和56年以降の車に形態が合っています。このため、C2編成の車に形態を合わせる加工を行いました。
 ランボードの加工は、2000年代中頃までの工作では、すべて削り落とした上でGREENMAXのランボードのパーツを接着して整形していたのですが、今回はトレジャータウンの「ランボード加工テンプレート」を用いて肩の部分を削って、形態を前期型にしました。TOMIX製品は妻の屋根のキャンバス押さえが表現されていない(末期の塗り屋根車に形態が合っている)のですが、キャンバス押さえのパーツ(トレジャータウン)はまだ調達できていないので現在は加工を省略しています。
 車体の方は、モハの車体はモハ114の方の金型が共通使用されている(MG風道が表現されている)ので、モハ115の車体に対してMG風道を削り落としてタッチアップしました。また、サボ枠が表現されていない(最初の製品がサボ枠を撤去した長野色3両編成のセットだったため)ため、トレジャータウンのサボ枠を付けました。サボ枠は1枚板の製品が伝統的ですが、今回はサボが入っていない状態のパーツ(枠状で、中央のサボを抑える板バネが表現されている)を用いました。これらの加工および先頭車の別パーツ化した手すりのタッチアップは、GREENMAXの塗料の東武ライトグリーンに青20号を混ぜて色合いを長野色の青色に近づけたものを用いました。
 床下機器は、TOMIX製品の場合、クモハ115とクハ115は専用のもの(WCのある車のもの)が作られましたが、モハ115,114は1000番台以前のに販売されていた113系1000'番台のものを継承しており、サハ115もサハ103のものが流用されていて、115系1000番台以降の車両に特有のブレーキユニットは表現されていません。ブレーキユニットとモハ114のC-2000コンプレッサーを表現するため、GREENMAXの103系と115系JR西日本車の床下機器パーツから該当機器を調達して取り付けました(写真下)。モハ115は、TOMIXの分売パーツのクモハ115床板を組み合わせました。なお、KATO製品では、床下機器は113系2000番台に合っているため、抵抗器と断流器が暖地形になっており、コンプレッサーもC-1000なので、115系1000番台にするには追加加工が必要です。
 クハ115は、ATS-P取り付けに伴って床下機器の配置が若干変わっているので修正を行いました。また、1100番台(奇数車)は2位側にジャンパケーブルがぶら下がっているので、トレジャータウンのパーツを取り付けました。この部分はTOMIX製品では偶数車に合っていて、クモハ115を含めてどちらの方向の車も何もぶら下がっていない野に対して、KATO製品では奇数車に合っていて、どちらの方向の車もジャンパ栓納めが表現されている、という違いがありました。C編成では、6両編成単独の運用で、連結運用は無いため、ジャンパケーブルのパーツを付けましたが、現在製作中の新潟色L編成の方はTNカプラーの自由度を付けるため、ケーブルが付いているパーツは使わない予定です。

 115系新潟ローカルと中部山岳ローカルはKATOとTOMIXの両方とも3両編成が発売されており、TOMIXのC編成とL編成の発売は比較的最近の事です。また、「クモハ114」は長らく手が付けられてなく、今月になってようやくTOMIXから新潟色のセット(WCの無い編成)が発売されます。また、両メーカーとも1980年代後半以降近郊型電車の製品は1000番台の系統(座席改良車)だけだったのが、2010年代に入って0番台(非ユニットサッシ車)と300番台(ユニットサッシ車)が発売され、1000番台も改良製品が予告または発売されているので、上記の加工を行った車体の表現も状況が変わってくるかもしれません。

金沢文庫レポート
 今日の朝の通勤時、金沢文庫の総合車両製作所横浜工場で、京成新3000系の8両編成が待機しているのを目撃しました。総合車両製作所の製作分か、日本車両からの回送かどうかは未確認です。
 また、今日の帰りは、積雪が予想されるため、午後半休で早く帰ったのですが、追浜駅でデト11,12型の資材運搬列車を目撃しました。週2回月曜と木曜に久里浜工場から金沢文庫と神奈川新町への資材運搬列車として運行されているようです。
 
 

TR23A台車交換の過程

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月13日(土)10時13分0秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、皆さんおはようございます

TR23A台車に関係するこの場での記述を探してみたところ、11年前の2007年初頭の事でした。ここで話題になって、ある程度流れがつかめたのは、先に紹介の昭和42年の中央西線事故車に由来する台車交換(クハ47151)と、阪和線時代の台車交換(クハ47153,155)で、昭和50年代の交換は当時も謎のままでした。

まず、阪和線時代関連ですが、クハ47151のコロ軸受台車は2代目であることがわかりました。「旧型国電50年(1)」P103の昭和26年1月撮影のサハ48036(後のクハ47151)の写真では平軸受の台車に交換されており、その後、「関西国電50年」P148の昭和29年1月の写真ではコロ軸受に戻っていることが確認できます。このコロ軸受に戻った交換は流電のMT30モーター交換の記述もあった「鉄道史料」の「阪和盛衰記」にあったとのことで、この記述とRF誌の流電関係の連載記事等を照らし合わせて考えられた台車交換の流れは、

- 昭和26年11月にサロハ66018, 019をクハ47021,022(後のクハ47153,155)に改造して飯田線に転属させる当たって、転出先の都合(飯田線の方でコロ軸受台車を嫌ったか?)で平軸受けの台車に交換することになり、クハ55071とサハ48036の平軸受の台車と交換した。-

と考えられました。クハ55071のコロ軸受の台車はこの交換が起源で、クハ47151改造当初の台車は、当初のものではなく、1段階新しいもので、RF99-12号で、車体が昭和11年製なのに対し、台車に昭和12年製の銘板が付いているとの記述があるとのことです。これに対して、サハ48036の初代のコロ軸受台車については「関西国電50年」や「急電」等の関西の旧型国電関係の文献でも交換の記述が見つからず、「いつ平軸受になったか」は不明のままに終わりました。

次に、中央西線事故関連の台車の流れは、飯田線で関連する車はクハ47151だけでした。これは、「特発予備」でTR23A装備と思われるクハ76型の写真が掲載されていることとも関係するのですが、交換の記事が「急電」182号(昭和43年2月発行)にあり、それによるとクハ68048,088が事故廃車になった昭和42年7月9日の中央西線の事故では、クハ76023も損傷しており、復旧用の台車をクハ47151から調達したと記述されているとのことです。クハ47151の方は昭和42年9月9日付で台車をTR23AからTR23に交換しており、同年8月3日付で廃車になったクハ68048,088から程度の良いものを抽出して交換したとのことです。そしてクハ76023はクハ47151から発生したTR23A台車を装備して同年9月22日付で同じ事故の被災車のモハ70082とともに復旧したと記述されています。

サハ48034については、「関西国電50年」に昭和30年12月の阪和線時代の写真ではTR23Aが確認できるとのことで、交換は関東に移ってからと考えられるとのことでした。このため、サハ58011とともに関東時代の交換が考えられる2両が当時も交換の流れが不明のまま残りました。サハ48034は昭和35年時点で平軸受になっていることから、交換は昭和30年代前半に絞られます。クハ47063、および4両のクハ76形のうち、上記クハ76023と、昭和39年時点でTR45が確認できるクハ76015を除いた、クハ76002とクハ76013が何らかの関係があるのかもしれませんが、受け持ち工場が大井工場なので、交換用の台車(TR36, 43)が豊富だったと考えられるので、これらのバックアップが発生源として有力とも考えられます(クモハ50002の台車も同様の発生源か?)。
これに対して昭和50年代に入ってからの交換のクハ47102、クハ68400は、浜松工場に入場するTR36, 43系列の台車の車は神領電車区の70,80系、大垣電車区の80系くらいしか思いつかず、これらの車は昭和51年にはまだ廃車が始まっていなかったので、これらの車起源とも考えにくいです。同様に、クモハ42011のDT13台車も、浜松工場受け持ちのDT13装備車は神領のモハ72900とクモニ83型くらいで、どちらも廃車はクモハ42011の台車交換よりも後です。これについては、「首都圏の72系」に、首都圏の旧型国電の解体が、大船工場だけでなく、遠隔の工場でも解体されたとの記述があり、解体車が日車豊川工場にも送られたとのことなので、豊川で「部品取り」が行われ、これがクモハ42011、クハ47102、クハ68400に使われた、ということも考えられると思います。

金沢文庫レポート
金沢文庫の総合車両製作所横浜工場で、「東急2020系」の「2本目」が登場しました。
確か2017年度の投入予定は2本と聞いていたので、当年度分が完了することになります。
また、15日(月)に静岡鉄道A3000系の3本目と4本目が引き出されていました。色は「緑」と「黄色」です。
 

コロ軸受け台車の謎

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 1月10日(水)05時09分47秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

クモハ50002もコロ軸受け台車であったのを確認しました。軸箱の両側にクレーン掛けがあるので、DT13台車に見えますが、あまり鮮明な写真がネット上にありませんね。
またクハ55071もコロ軸受け台車でした。見た目はTR36に見え、その説を取るサイトもありますが、TR23A後期でないかどうかは、判定が難しそうです。
クモハ42011も、DT13とMT-40モーターで有名だったような気がしますが、発生元はわかりませんね(ただし、1967年時点では、DT12台車であるのを確認)。

もっともDT12も、クレーン掛けのあるなしで年代が異なるのですが、例えばクモハ42008はクレーン掛けあり(後期形とでも呼びましょうか)、クモハ42009は無し(前期形とでも呼びますか)になっていて、どこかで振り替えがあったようにも思えます。結構戦後の混乱期などで、あっちこっちしているのかもしれませんね…。

TR23無印は、私鉄に譲渡されるほど(小田急サハ1750形など)でしたので、どの車から発生したのかは、なかなか追いづらい気がします(同時に入場していたなどの資料が見つかればいいのですが…)。また戦災復旧客車の一部車輌は、電車用のTR23を使用した例があったそうなので(例えばオハ7111~13)、逆もありうるかもしれず(つまり客車用TR23を電車に使用)、現車に直接当たれない今、同定は困難を極めますね…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

流電系列TR23A台車の行方

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月10日(水)00時06分27秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

流電系列のTR23A台車の交換の流れについて
 この場でかなり前から何度か話題になりながら結論が出ないままに終わっている話題の1つに「流電系列のTR23A台車の行方」があります。
 飯田線では、流電系列のサロハ66形に由来するクハ47151, 153, 155、サハ48034がいずれも台車が平軸受のTR23に交換されていた一方で、クハ47063(身延線)、クハ47102、クハ68400がコロ軸受の台車(クハ47063はTR43、クハ47102はTR36の説あり)になっていました。TR23台車の発生源としては昭和42年7月9日の中央西線の事故で廃車になったクハ68048, 088が以前の議論で指摘されていました。
 ここで改めてクハ47151, 153, 155、サハ48034の台車を調べてみたのですが、クハ47151以外の車はかなり早い時期に台車が平軸受のTR23に変わっていました。クハ47153,155は先頭車化改造当初の「クハ47021, 022」だった時の写真が「旧型国電車両台帳」P79に掲載されていますが(クハ47021は1954年5月8日、クハ47022は1955年1月7日撮影)、両車とも既に平軸受のTR23になっています。また、サハ48034も1960年2月に芝生さんが撮影しており、既に平軸受のTR23になっています。一方で、クハ47151は1959年11月23日時点でまだコロ軸受のTR23Aで、1970年2月18日時点で平軸受でした(我が心の飯田線掲載)。他に「DRFC-OB デジタル青信号」に元関西旧国利用者さんが1965年3月24日撮影の飯田線快速色時代の写真が掲載されており、この時点ではコロ軸受でした。
 この一方で、末期はコロ軸受だった車を見ると、クハ47102、クハ68400はコロ軸受になったのは昭和50年代に入ってからで、クハ47063だけが1971年1月時点でコロ軸受でした(最盛期の国鉄車両)。このため、「クハ68048, 088のTR23台車」がクハ47151に転用され、「クハ47151のTR23A台車」がクハ47063にさらに転用された、と考えたのですが、クハ47063の台車は「TR23A」の説がある一方で、「TR43」の説(HP「旧型国電の記録」)があります。TR43の説は、枕バネの枕吊りの形状がTR43の方に似ていることと、枕バネの高さが低いことが根拠となっています。また、クハ47063は昭和30年代中頃に既にコロ軸受になっていたとの記述が「1950年代の車両小史」にあります。このため、クハ47151の平軸受けの台車の起源はクハ68048,088が考えられますが、それ以外は流れが不明ということになります。

 なお、サハ58型では58011のみ平軸受のTR23になっています。また、「旧型国電画像編」中「特発予備」では「TR23A台車を履いた車両」として、クハ76型中、本来のTR45台車ではない台車(TR43 or TR36 or TR23A)を装備している車の写真が紹介されており、クハ76002, 013, 015, 023が紹介されています。昭和40年頃まで横須賀線にいたサハ58011とこれら4両のクハ76形は台車交換の流れで関連があるかもしれません。また、TR43は80系初期車の台車なので、大井工場(横須賀線時代)、浜松工場(飯田線時代)、吹田工場(阪和線時代)それぞれで受け持ちがあったので、80系との関連が深いのかもしれません。
 

箱根駅伝に見る鉄道

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月 3日(水)22時33分35秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

1月2,3日と「箱根駅伝」が行われましたが、コースに鉄道路線が接しているところがあり、競技中とともに昔を振り返る映像でもしばしば登場します。その中のいくつかを紹介したいと思います。

 箱根駅伝はコース中に「踏切」があるのが有名で、昔はしばしば踏切が競技結果を左右することがありました。現在は箱根登山鉄道が横切る「小涌谷」の踏切だけになりましたが、数年前までは京急空港線が横切る「蒲田」の踏切がありました。蒲田の踏切がある間は選手が走る時間に合わせて京急の羽田空港行の列車が臨時に京急川崎行に変更になっていましたが、高架化の完了により、蒲田の踏切は過去のものになりました。この「蒲田の踏切」はむかしの映像記録もあり、放送中のカットとして長らく昭和20年代の蒲田の踏切の情況の映像が使われていました。この映像で、選手が踏切を潜り抜けた後ろを走る列車が京急の電車ではなく、EF15型が牽引する貨物列車なのですが、これは、当時の空港線が電車だけでなく、国鉄からの貨物列車も運行する「3線軌条」だったことによるものです。長らくこの映像だったのですが、今年の箱根駅伝では踏切の映像が最近のものにアップデートされました。使われたのは第78回大会(2002年)のもので、高架工事が始まる前のものです。背後を走る電車は「北総鉄道7000系」でした。

 小涌谷の踏切は、電車の方が待つので有名ですが、3日目、第6区で先頭の東洋大学の選手が踏切を抜けた時、待っていた電車は最新型の「3000形」でした。

 鉄道が傍を走っているので有名なのが箱根登山鉄道の風祭駅から箱根湯本駅までの間で、大体現在の第5区の走り出しと第6区の終わり間近のところに相当します。今回の大会では赤1色になった小田原―箱根湯本間区間運転用の小田急1000系がしばしば登場しました。この区間は昔の映像でもしばしば登場し、箱根湯本駅のホーム上屋は昭和30年代からあまり変わっていないことがわかります。
 鉄道がそばを走っているのは戸塚中継所付近の「権太坂」や「遊行寺の坂」と呼ばれる付近で東海道線が走っており、2006年の大会(第82回大会)では113系電車が走っているのを見ました。この年の3月の改正で113系は引退したので、箱根駅伝で113系を見た最後の機会になります。

 おまけですが、今回の箱根駅伝の出走者の中で、卒業後に小田急の電車の運転手になる、という方が紹介されました。
 

今年もよろしくお願いします

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月 2日(火)21時40分41秒
返信・引用
  皆さん明けましておめでとうございます

2018年ということで、「2018」の車号を持つ車を考えたところ、京急2000型の「2018」がいることを思いついたのですが、北側の先頭車を撮影する機会が全く無く、横浜8:05発羽田空港行特急に入ったところを撮影した写真(2016年10月24日撮影)くらいしか見つかりませんでした。写真下は2011編成の全景(2017年5月18日撮影)で、一般公開でも車両は南側を向いていることが多く、北側から撮影するイベントは少ないです。

今年もよろしくお願いします。
 

今年の鉄道車両の動向

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年12月31日(日)21時58分1秒
返信・引用
  今年の鉄道車両の動向ですが、最近になって大きな動きが続々と発生したという印象があります。

 金沢文庫の総合車両製作所横浜工場では、中央東線特急用E353系が続々と新製されているほか、京王新5000系、東急2020系、都営5500形などの新顔が登場しました。また、京急新1000型の全塗装も新しい話題で、近いうちに5500型とともに営業運転を報告できるのではないかと思います。
 来年は、通勤で利用している京浜急行では、都営5500形が一挙に量産されるととともに、京急でも2000型がおそらく年度内に全車運用を外れることが確定したため、こちらも動向を報告したいと思います。

 写真は今年製作した模型から、飯田線関連で上からクハ47069―クモハ54110、クモハ54007-クハ47114、クハ86302です。今年は飯田線旧型国電も多く作りましたが、他にタンク車を多く作っており、タキ35000形の系列に凝っていました。他、社紋の製作にも凝り、大協石油、丸善石油等、製品の無い会社のマークを多く作りました。

それでは、皆さん良いお年と。
 

鉄道コレクションの阪和社型

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年12月31日(日)21時39分48秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

鉄道コレクションの阪和社型について
 先日、鉄道コレクション25弾を購入して「シークレット」を当てたことを報告しましたが、正規の製品のクモハ20015を入手したので報告したいと思います。

 クモハ20015は元モタ300形ですが、昭和初期の私鉄車に多く見られた、幅が狭く、上辺にリブの付いたウインドシルが表現されました(写真上)。その一方で、裾のリベットが省略されています。クモハ20015の裾のリベットは原型では2列のはず(汽車会社製の元モタ328~330、後のクモハ20023~025のみ1列)で、写真も何枚か見つかったのですが、おそらく現車は末期もリベットが残っています。また、クモハ20015はグローブベンチレーター横に長くランボードが設置されていた特異車(昭和38年12月時点で存在を確認)でしたが、模型ではこれが存在せず、ピンポイントで形態が外れました。
 今回の阪和社型の特徴として、「窓ガラスのはめ込み」が廃されました。最近長い間木枠の窓でも窓桟がガラス側表現でしたが、実感的かどうかはかなり長い間議論になっていました。今回、窓桟が車体側表現になり、窓ガラスがはめ込み式でない1枚板になりました。それでも表現の後退は無く、実感は維持されました。
 写真中央は先日報告したシークレットのクモハ20102です。クモハ20100台は、4両のうち、100,101は原型は鋼板屋根、102,103は布張り屋根でした。また、クモハ20103の写真が見つかったのですが、この車は末期(昭和40年以降か?)になってベンチレーターの横に長くランボードが設置されました。ランボードの位置は上記のクモハ20015より低く、「屋根の肩」に近いです。
 両者も床下機器は戦前型旧型国電共通のもの(厳密には西武451系に最初に付けられたもの)ですが、制御器がCS-5になっており、これに対して阪和社型は末期はCS-10だったので、厳密には70系等に付いている戦後型旧型国電標準のものの方が近いです。
 写真下はクハ25103で、「第25弾ブックケース」に無塗装のクハ25103が入っています。クハ25100台は100,101がクモハ20100,101と同時期に落成した鋼板屋根で最初から片運転台(連結面も2連窓)、102が事故復旧で連結面を片運切妻化(厳密には、事故で破損した運転台をきれいに撤去したうえで、反対側の元運転台を原型に復旧)した車で、窓が大窓2枚でした。103以降が布張り屋根、両運転台で落成した多数派の車で、113~115が元モタ3000形として落成していながら電動車化されなかった車です。なお、クモハ20100台はかなりの車がドアコック蓋が車体側に移動していましたが、これは表現されていません。

鉄道コレクション103系3000番台について
前納さん
 こちらでも103系3000番台の車号の位置を確認しました。車号の位置が下がったのは、車番が微妙に大きく、本来はぎりぎりの位置で右肩に位置している「ドアコック蓋」が干渉してしまうため、これをかわして下がったことがわかりました。
 

鉄コレ103-3000

 投稿者:前納浩一  投稿日:2017年12月31日(日)16時33分39秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんにちは。

103系3000番代の鉄コレ、私も販売店の店頭で見かけたのですが、側面の車番の表記位置が下にずれていて修正のしようも無いので、買う気が全く失せてしまったのですが、写真を見る限り、原口さんがお求めになった品物も同様のようですね。
以前、107系100番代初期車を生産した時、日光線のレトロ仕様車と同時生産だったためか、本来クリーム色10号の車体なのに、日光線のレトロ仕様車の少し黄色がかったクリーム色になっていて、ガッカリしたことがあります。
鉄コレは品物の現物を見てからでないと買えないなぁというのが率直な感想です。(何でこんな初歩的なエラーをするのかと)
 

Re: 混同があるのだと思います

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年12月31日(日)00時26分57秒
返信・引用
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

RF63-1号の確認をありがとうございます。私の方でも確認できた「レイル」誌の方ももとにして考えてみると、DT12とDT13が互換性が高いという認識が強かったようで、私を含めてかなり後まで影響を及ぼしたことが伺えます。これまでのお話を踏まえると、2004年初頭の議論であった。「クモニ83改造の不適格」の原因として、「DT12A」は考えなくてよさそうです。また、「DT」の符号の新設に関連する台車形式の変化はけっこう短期間で起こっていることが2004年当時も話題になっており、形式図の方の記述は、この混乱が持ち込まれたと考えてよさそうです。
 参考として、以前の掲載の再録ですが、野辺山高原SLランドにあったTR34台車の写真を紹介します。この台車は1990年頃から野辺山高原SLランドの片隅にあったのが気になっており、写真を撮影しました。当時は由来がわからなかったのですが、その後、「野辺山高原SLホテル」に20系客車に混じって「サロンカー」として長野運転所のオハ35系改造お座敷客車オロ80型が1両連結されていたことがわかり、この車に由来するTR34台車がホテルの閉鎖と車両の解体後(蒸気機関車は野辺山駅前の公民館に展示)、何故か野辺山高原SLランドに運ばれたらしいとわかりました。写真上はTR34台車の全景で、今回話題になったコロ軸受と軸箱、たこ坊主がわかります。写真下は台車の内部の接写で、心皿と側受け、ブレーキのリンクがわかります。心皿は細いピンを差し込む形式のようで、以前報告した東武8000系と同じ構造のようです。

その後のコロ軸受けについて
 TR23の平塾受けと互換性のあるコロ軸受は、まず「TR23C」として試験が行われたとのことですが、時代が下って昭和30年代に入ってコロ軸受の試験が行われたらしい写真があります。「RM Models Archive 鉄道車両ディテールファイル008 松戸電車区のモハ60」中P30~32のモハ60062の写真(1958/6/15、8/14撮影)で、コロ軸受が確認できます。面白いのが両側台車の外側の軸受けだけがコロ軸受になっており、同じ台車内に平軸受とコロ軸受がが混在しているのが「試験」臭を強く感じさせます。コロ軸の上の梁のリブは元のDT12の横一直線のまま、コロ軸部がDT13の軸箱のふたと比べると一回り小さく、なおかつ円筒形に突き出しているのが特徴で、TR23Cのお話であった、「DT12の軸箱に納まる小ぶりなコロ軸受」の試験をしていたのではないか、と伺えます。その後、1961年4月8日の写真では、元の平軸受に戻っており、客車の方のオハ35系、オハ47のように大々的にコロ軸受への交換が行われるような動きは起こらなかったので、このコロ軸受については性能が不良だったことが伺えます。
 これとは別に、「首都圏の72系」の台車の記述に「TR23特」の存在があり、TR23の平軸受をコロ軸化したもので、クハ79004とサハ78103に装備の記述があります。クハ79004とサハ78103(後のサハ78451)は、少なくとも地方転出後はどちらも普通のTR23を付けています。「TR23特」の記述がありながら、その後の両車にその気配が認められないため、上記のクモハ60062のコロ軸受けの台車のような短期間の装備が伺えます。
 

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