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飯田線119系3両編成の模型

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月23日(水)19時27分40秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

119系3両編成の模型
 119系はGREENMAX, MICROACE, 鉄道コレクションから模型が発売され、以前この場で登場時の飯田色の製品を紹介しましたが、するがシャトル色やJR東海色の製品も、100番台を含めて一貫して2両セットで発売されており、長らく登場時に見られた3両編成のセットは見られなかったのですが、2010年頃にGREENMAXが3両編成を発売しました。最近この製品を入手したので報告したいと思います。
 119系は1982年度中に投入された前期型と、1983年度に入ってから投入された後期型に区分され、前面窓下の手すりが前期型は帯の中に入っているのに対し、後期型は帯の上に出されています。この違いは類似の前面を持つ他の形式でも起こっており、105系は1980年度に先頭車として新製された車は前期型、1984年度以降に先頭車化改造された車は後期型の手すり位置です。模型では、鉄道コレクション、MICROACEは前期型なのに対して、GREENMAXは後期型が表現されています。3両編成は、前期型は主に豊橋の80系を置き換えたこともあって3両編成の方が多く、これに対して後期型は伊那松島の戦前型を置き換えた関係で、2両編成ばかりで3両編成は1本だけでした。GREENMAXの3両編成は車番が「クモハ119-1―クモハ119-2―クハ118-1」と前期型の番号になっていたため、後期型唯一の3両編成の「クモハ119-32―クモハ119-33―クハ118-24」に書き換えました。
 3両編成の発売は、119系最初の製品の発売から10年かそれ以上経っているため、その間に足回りの供給が大きく変化しています。GREENMAXが完成品及び塗装済みキットを最初に発売(確かキハ23系が最初の製品)した時にTOMIXから足回りのOEM供給を受け、119系も最初はTOMIXの足回りで、動力ユニットはDT33を付けた103系用の動力に床下機器は119系専用のものを付けたもので、クハ118はクハ79用の床板に応荷重装置を付けたものがパッケージされていました。これに対して、3両編成が出るまでに床板と動力がGREENMAXオリジナルのものに変わりました。3両編成セットには動力ユニットはGMの「2個モーター型」が入っており、トレーラー床板はGMオリジナルの集電対応床板が入っています。床下機器はクモハ119T車は動力ユニットの床下機器カバーがそのまま付いています。
 なお、GREENMAXの集電対応床板はTOMIX TNカプラー対応になっているのですが、2個モーター式動力はTNカプラーが取り付けられるようにはなっていますが、そのままでは台車が干渉して付けられません。台車は2枚のダイキャストでギアを挟む古い構造になっており、昔の動力の設計を受け継いでいます。今回、全カプラーをTNカプラーにしたのですが、この「ダイキャストの板」がTNカプラーに干渉するため、TNカプラーが干渉しなくなるまでダイキャストを削りこみました。

房総ローカル73系での前面箱サボ枠の使用について
千ツヌさん
 房総ローカル73系の関西から転入した車で箱サボ枠を付けていた車はクモハ73387が有名でした。クモハ73387は房総ローカルでは割と早い昭和46年度に転入しているため、この時点ではまだ前面箱サボを使っていた可能性があります。一方で、クモハ73063は転入は昭和49年度(北総電化に伴う転入)で、箱サボはもう使っていなかった(前面窓の裏側にぶら下げる行き先表示に移行済みだった)ため、箱サボが付けられた理由が謎です。1つの可能性として考えられるのが、「当初は別の線で使用予定だった」ことで、同時期にクモニ83、クモユニ82000台の改造で種車の抽出が行われており、これに伴う車両の移動がけっこう起こっています。この中で「当初改造予定のクモハ73197、クモハ73257が台車がDT13、モーターがMT40でなかったため、改造不適格となって種車を交換した」という事件が起こっています。この時に代替の改造種車となったのが津田沼電車区にいたモハ72068、モハ72263で、この抽出分を埋めるために別の区に転入する予定だったクモハ73063が転用された、ということが考えられます。なお、上記の改造不適格となったクモハ73型は、クモハ73257は津田沼に交替で転入しており、箱サボ枠が付けられていないことが確認できます。一方、クモハ73197は南武線に転入しています。南武線ではクモハ73奇数車はほぼ中間封入専用だったため、写真でも前面が確認できるものはありませんでした。
 
 

クモハ73063

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2016年11月20日(日)23時23分19秒
返信・引用
  73おやぢさん、みなさんこんばんは
クモハ73063調査ご協力、ドアチャンポン、いやブレンド事情のご伝授 大変恐縮です。
ありがとうございます。

クモハ73063 初期は山手線、赤羽線にて活躍その後、関西に渡り前面箱サボ撤去、前面三枚Hゴム助手席のみ上方(クモハ73285と極似)再び関東へ、千ツヌ配備で箱サボ復活(結局使ったか?)

73おやぢさんのおっしゃる通り、津田沼電車区の山側写真は私もクモヤ90019のみでした。
 

最近の話題から

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2016年11月20日(日)19時46分41秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

すぎたまさん。
オハ7091に絞られたようで、なによりです。十位の数字が丸みを帯びて、なるほど7091のように見えます。それにしても、荷物車や救援車でない旅客車時代の70系の生写真を21世紀の今日見られるとは、夢のような出来事でした。

千ツヌさん
クモハ73063は1回撮影したはずなのでアルバムをひっくり返しましたが、海側、すなわち既出の側面で、お役に立てませんでした。冷静に考えると津田沼車は海側が順光となる機会が圧倒的に多く、山側の順光は我孫子駅における成田線の折り返し列車くらいしか思い浮かびません。

さて、側扉の混在について。
事情は各車それぞれではありますが、ごく基本的な考え方としては次の諸点が指摘できると思います。
①モハ63形から改造されたモハ73・72形などは、基本的に二段窓のプレスドアで出場しています。更新出場時に混在のケースはないはずです。
②側扉に不具合が生じた場合、新たな扉と取り替えますが、1950年代はHゴム支持のプレスドアが使われたようです。1950年代撮影で、二段窓プレスドア車に1枚だけHゴム支持のプレスドアが混じっている写真を確認しています。
③いつから変更、と明確な線引きはできませんが、1960年代の取り替えにはHゴム支持のフラットなドアが使われるようになりました。
④もちろんイレギュラーの取り替えもあり、そのひとつが晩年の発生品流用です。旧型車の先行きが見えているので新品を調達するまでもないとばかりに、廃車発生品を使ったケースです。津田沼車ではモハ72555に二段窓のプレスドアが1枚入っていました。

以上から発生品の可能性を除外して考えると、73063のように3種の扉が混在しているケースは、長年にわたり何度も取り替え作業があったことになります。この考え方を基本にすれば、山側も3種のドアを適度にブレンドするのがよろしいかと存じます。

 

オハ70 91のようです

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年11月18日(金)22時34分43秒
返信・引用
  73おやぢさん、ご覧いただきありがとうございます。

くだんのオハ70ですが、番号部分を強烈拡大してスキャンしてみました。
どうもオハのあと、「7091」と読めるようです。いかがでしょうか。
連結面が見えないので、渡り板部分が出っ張っているか(出っ張っていれば50系電車改造)がわかりませんが、端バリ部は、中央がわずかに下がっているように見え、50系電車改造で間違いなさそうです。
一応クハ65118改造と、「オハ71系の一族」は記しています。別番号の資料があれば、「別資料」として表に載せられていますが、本車に関しては、特に別番号の車輌は記されていません。
オハ70系は、「足つき」ガーランドベンチレーターになっている例は、意外と多いようで、これは当初「気動車用に設計されたベンチレーターを載せる」ことにして製作を急いだため(工作が容易だそうです=曲面が無いため)ではないかと思われますが、昭和23年以降は、通常のものにしたという記述も「オハ71系の一族」にはあるので、今ひとつよくわかりません。
本車はその後スニ75 107、次いでオエ70 56に改造されていますが、少なくともスニ75 107の写真では、車掌室から1,3,5,7番目のベンチレーターが足つきで、高さもやや高めになっているのが見て取れます。位置について移動しているのかどうかまでははっきりしません。ただ、元のものはそのままにして、間に増設したとしても、矛盾は無いようにも見えます。
交流電化との兼ね合いから、スニ75形にも、電暖取り付け車がその後現れますが、屋根上のベンチレーターはどうしたのか(屋根上にあった便所の吸水口は、さすがに閉鎖したでしょうが)、気になるところですよね。

 失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

(無題)

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2016年11月15日(火)23時26分20秒
返信・引用
  原口さんこんばんは。
ご回答、情報をありがとうございます。Hゴムの色も各々違うのですね。
千ツヌの72系末期、現物を見たり乗ったりしたのにドアの記録をしなかった事が悔やまれます。もっとも当時中学生の私は、旧国ドアなど気にもしてませんでした。それにしてもなぜ72系他旧国の客用ドアは、統一性なく装着?されたんでしょうか。
 

個人ブログでどうそ

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2016年11月15日(火)06時22分5秒
返信・引用
  モハ8902さんの投稿記事は特定個人を名指ししたり、内容的に本掲示板にはそぐわないと判断し、削除しました。
本措置に不服な場合は、管理人あてメールをお願いします。
よろしくお願いいたします。
管理人:Satokawa@モスクワより
 

クモハ73063の形態について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月13日(日)23時02分11秒
返信・引用
  千ツヌさんこんばんは

クモハ73063のドアの形態ですが、私の方でも非公式側の方しか情報が集まりませんでした、ただ、公式側の扉についても若干の手掛かりがあります。
「最盛期の国鉄車両2 戦後型旧性能電車」P29にクモハ73063の写真がありますが、室内を通して向こう側の窓がシルエットで見えています。このうち、こちら側の一番前の戸袋窓の向こう側に見えているのは。位置関係から向こう側の前から2番目の扉の窓とわかります。窓の形は角にRがあり、中桟が無いのでHゴム支持の1枚窓とわかります。また、芝生さんの1975年3月28日の写真では、妻にわずかに見える助士席側前面窓の向こう側に見える窓のシルエットは明らかに三段窓の中桟よりも細い桟で区切られており、しかも角に軽くRが付いているように見えることから、2段窓のドア窓と分かり、位置関係から一番前の扉です。また、この写真でも向こう側の前から2番目の扉の窓に中桟が無いことがわかります。

なお、津田沼電車区の車で両型の扉の形態が同定できたのは、後に御殿場線に転属した73064、後に鶴見線に転属した73289、吹田工場全金更新試作車の73387、富山港線に貸し出され、そのあと年末荷電に使われた73119の他、73104と73142が確認できています。両車のドアの形態は

73104公式側:前から2段窓―2段窓―2段窓―プレス無Hゴム(黒)
73104非公式側:前からプレス有Hゴム(黒)―プレス無Hゴム(黒)―プレス無Hゴム(黒)―プレス無Hゴム(黒)

73142公式側:前からプレス無Hゴム(黒)―2段窓―2段窓―2段窓
73142非公式側:前から2段窓―プレス無Hゴム(黒)―プレス無Hゴム(黒)―プレス無Hゴム(白)

です。
 

どなたか教えてください。

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2016年11月13日(日)00時10分28秒
返信・引用
  こんばんわ、“クモハ73063”旧国プレスドア助手席側は前方より 一枚ガラス凹みナシ・アリ・ナシ・二枚ガラス凹みアリなのは“我が心の飯田線”ガイドブック等より判るのですが、運転席側がどうしてもわかりません。たぶん高槻に居た頃にドアの入れ替えがあり津田沼で廃車になる迄変わらないと思います。模型化に際し自分なり調べましたが、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。画像は、鹿島線に運用時の063です。  

私鉄高性能車の発達

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月12日(土)17時10分37秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

私鉄高性能車の開発状況について
すぎたまさん
 小田急2200形に関連する私鉄高性能車開発過程についての情報をありがとうございます。改めてRP03-1号を見たところ、技術開発と車両新製との関連がある程度把握できました。開発の遅延については最近では九州新幹線長崎ルート、北陸新幹線大阪ルートで導入が検討されているフリーゲージトレインで問題が表面化していて、両新幹線の開業時期にも影響を与える可能性が出てきた、という話があり、別分野でも例があるので気にしていたものです。
 私鉄高性能車開発の間の1つの挿話として、「私鉄経協標準電車」の検討がありますが、これに積極的だったのが後に常総筑波鉄道取締役鉄道部長となった桜井明雄氏で、その後、「私鉄経協標準電車」の考えを導入したのがキハ800型とのことです。桜井氏の名前は「私鉄車両めぐり」の常総筑波鉄道、関東鉄道の項目や、RP96-4増刊号「関東地方のローカル鉄道」でも名前が出ている方で、非電化私鉄のはずの常総筑波鉄道に「私鉄経協標準電車」の考えを導入したこと等、個人的な人脈の広さが常総筑波鉄道への新車の導入にも影響があったのかもしれません。
 RP03-1号P38の「私鉄経協標準電車」の図面と比較すると、キハ800型は2扉クロスシートの「E-2LF」形式そのものといえます。他、類似しているものを考えてみると、ロマンスカー式の「E-2LR」形式は「窓が等間隔に並んでいる」というてんでは京阪(旧)3000形に似ており、名鉄の3700型HL更新車は2扉ロングシートの「L-2L」形式をモディファイしたものともいえます。3扉ロングシートの「L-3L」形式は「京成デハ750形」に似ているのではないか、と本文中で触れられています。

 これは余談なのですが、関東鉄道キハ800型に「私鉄経協標準電車」の考えが導入されている、ということから、模型の方でキハ800型の車体を持った「単行電車」が作れないだろうか、と考えたことがあります。最近では鉄道コレクションでキハ800型、同形の小坂鉄道キハ2100型が出ているので、この車体を使ってパンタグラフを付け、台車と床下機器を電車のものに交換する、という構想で、昭和30年代中頃の状況でどんな機器が装備されるか、考えました。1つは「鋼体化」として大正末から昭和初期の機器を装備、1つは高性能車として、当時の1Mの新型電車の機器を装備したもの、として考えています。単行の電車は実際には17m級の「日車標準型電車」が出ていますが、いわば日車型標準電車の20m版のようなものになります。
 

小田急の性質とクハ1650形

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年11月11日(金)03時01分18秒
返信・引用
  原口さんこんばんは。

小田急2200形の新製は、その前に行われてきた一連の試験による成果です。すなわち、相武台実験として知られる東芝1048号(元鉄道省モハ41071)とTT-1A台車による分離駆動の実験、その後に続いて行われたJREAによるカルダン駆動(FS-201、KS-105)、クイル駆動(KH-1)、コイルバネ・オイルダンパ装備台車(DT-17)による高速走行試験の結果、2200形は満を持して登場したと言えます。これは歴史が語っていると言っていいかと思います。
 そのため、さすがに「開発が遅延した場合」に備えて保険を掛けた、というのは想定の飛躍が過ぎるかと存じます。もうこの時代には、京阪1800系、東武鉄道5720系(その後不調で吊り掛けに改造されたりしましたが)、モハ5800形、営団地下鉄300形といったカルダン駆動車が登場していたので、2200形について、開発に失敗する(または遅延する)ということは、考えすらしてないと思われます。既にSE車の開発に着手する時期でもありますし、当時の小田急首脳陣は、国鉄との太いパイプもありましたから、SE車とその後の国鉄電車特急への展開、モハ90形の登場についても、逐一情報は入っていたと思えます。だいたいデハ2200形に、試作車は存在せず、量産試作車すら存在しません。

 さて、クハ1650形の増備についてですが、小田急は、増備車の目に見える部分の変更を嫌う傾向にありましたから(1700系ロマンスカーを格下げする時に増備したサハは、わざわざ第3編成に組み込むサハ1756だけ張り上げ屋根にしたほど)、ペアを組むデハ1600形と極力同じ構造で製作することにしたのです。ただ、クハ1654と1655は、台車を流用するため、木製省電の鋼体化名義になっていて(実際には新製車体。台車のみ流用)、そのために日本車輌に発注したのかもしれません。その後のクハ1656~は、完全に新製車の扱いになっています(でも台車は同じTR11で流用品です)。
 現在の電車と異なり、垂木を標準部品としてストックしておくというのは、ちょっと考えにくい話かと思います。当時は木工職場が今とは比較にならないほど充実していたはずで、垂木程度の部品であれば、木工職場の大工さんが、すぐに仕上げたでしょう。
 今のところ、クハ1650形の増備車が、発注先を急に変更したというような話は無いので、3輌製作予定が2輌になり、1輌分の資材が余ったというようなことは、少なくともクハ1650形については聞いたこと・読んだこともありません。
 そもそも、クハ1650形は、デハ1600形10輌の相手車にして、4輌編成を容易に組めるようにするために、増備したものであって、同じような増備は、クハ1950形(のちにサハに改造)や、サハ1750形でも行われており、全て年次にかかわらずシル・ヘッダー付きの旧形車体で作られています。

 ただ、ちょっと私もひっかかるのは、なぜクハ1654と1655だけ、鋼体化名義なのか、という点でしょうか。さらにそこでメーカーの区切りがあり、その後の1656-1660も同じ形態、台車も同じTR11で落成しているのに、新製名義になっているのには、何か事情がありそうで、もしかすると、さらに鋼体化名義かつ日本車輌で製作する予定があったのかもしれませんね。

クハ1654~の車体寸法は、最大長さ16920×最大幅2740×最大高さ3770ミリです。キクハ11と比してどうでしょうか。
 なんだか、クハ1654~のほうが、キクハ11に似ている気がするのです。上のほうで否定的な見方をしましたが、日車で作る予定だったクハ1650形が、3輌あったとしたら…。

 デハ1600形は、クハより全長がやや小ぶりなのが特徴で、16640ミリしかありません。キクハ11は、デザインとしてはむしろデハ1600に似ていますが、車体寸法はデハ1600より大きく、結局それも合致しませんし、そもそもデハ1600に戦災廃車などは発生していません。
 私は、あの「小田急」の文字は、マジックインキで書かれており、案外後年になって書かれたのではないかとも考えました(何の意味があるのか、それではわかりませんけど(笑))が、いずれにしても、原口さんがおっしゃるように、クハ1654~とのほうが、関係が深いのかもしれません。
 現車が失われている今としては、なかなか真相がつかめませんが…。まあ、上田交通モハ5370形のタネ車番号もそうですけどね。

失礼いたします。

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