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京浜急行の車両の動向

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月10日(土)11時54分5秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

京浜急行の2017年度の新車は8両編成3本、6両編成2本が予定されており、投入が始まって、運用にも変化が起こり始めました

 朝の横浜駅では以前2000型が入ることが多かった8:05発羽田空港行特急に入ることが無くなりましたが、8:15発の羽田空港行特急は8両編成単独運転で、現在も2000型が入ることが多いです。写真上は2月7日に撮影した2011編成です。ただ、この運用には今年に入ってから投入された新車の新1000形1201編成が入ることもあり、撮影の翌日の同列車は2月8日は1201編成でした。さらに翌日は2000形の通常塗装車で、後述の1201編成が投入される前に残っていた2本のうちの1本(もう1本は1201編成と交代で運用を外れたはず)で、2061編成だったようです。
 写真中央は2月9日撮影の金沢文庫検車区で、中央の2100型2109編成の向こう側は新1000型1201編成、その向こう側は同じく新1000型1613編成で、今年度投入の編成が2本並んでいました。
 写真下は800型825編成で、2月9日追浜駅で撮影です。800型も1613編成投入によって鋼体が起こっているはずです。
 
 

碑文谷工場の小田急クハ1650形の車体について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 6日(火)00時27分40秒
返信・引用
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

RM連載時の「碑文谷工場回顧」の後に、RM Library「碑文谷工場ものがたり」が出版されたことは当時確認してはいたのですが、今となってはRM Libraryのかなり初期の号でこちらの方は確認できませんでした。RM162号の方の写真は、仮称モハ101の方は1958年11月24日、仮称モハ102の方は1958年12月11日の撮影となっています。また、改めて仮称モハ101の写真の方を見ると、台車は「TR10」と書いてあり、実際は明治44年式台車だったとのことで、「TR11より前の台車」の意味で「TR10」と記述していたようです。
ところで、「小田急から到着した直後のクハ1650形」の写真があるのですが、腰板を塗り分けた2色塗りで、腰板の方が明るい色になっています。当時のロマンスカーが腰板が青で窓回りがオレンジの2色塗りで、これを逆にした色のように見えるのですが、実態はどんな色だったのでしょうか。

東急東横線横浜―桜木町間の跡と、大正年間の横浜駅舎跡の観察
横浜鉄道模型フェスタの後、東急東横線跡を観察しながら横浜駅まで歩いていきました。写真上は桜木町駅に近いところで、奥が桜木町駅でした。この区間は線路と路盤を撤去して、ほぼコンクリートだけになっているのですが、ここから先の整備方針がまだ決まっていないようで、かなり長い間この状態が続いています。
写真中央は「高島線」のアプローチです。撮影場所は「三菱横浜造船所踏切」で、三菱横浜造船所があった頃は正門に続くところでした。
写真下は大正時代に存在した「2代目横浜駅」の遺構です。場所は、東横線旧高島町駅から少し横浜駅寄りの、写真上の手前の道が突き当たるところにあるマンションの敷地の中で、写真の構造は駅舎中央の入場口の左側の部分に相当します。

横浜鉄道模型フェスタの追記ですが、KATOから119系と同時期に「飯田線旧型国電のサウンドカード」が発売されます。

金沢文庫レポート
先に「白塗りの京急新1000系」が登場したことを報告しましたが、先週の通勤時、「2本目の白塗りの車」を目撃しました。また久里浜へ回送されたと思われます。これとは別に京成3000系も新たに目撃しています。
 

東急車輌に運ばれたクハ1652

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月 4日(日)05時34分22秒
返信・引用 編集済
  原口さん、みなさんこんばんは。

碑文谷から上田に行った小田急クハ1650形の旧車体ですが、ここの815に
http://6711.teacup.com/53007/bbs/815
既に多少の記述をしていました。
再度必要な部分を転記しますと、

車番  ボギーセンター間 トラス棒  連結器 タネ車(ピクの推定)
1651  10566mm      無し  アライアンス2 ホハユ3158
1652  11582mm      あり  柴田式?    ホハニ4152
1653  10870mm      無し  アライアンス1 ホハニ4204

アライアンスの1と2は、横の穴が1穴か、2つの長穴かの違いです。

原口さんがおっしゃる
> 「モハ101」の鋼体は、上田への回送用にTR11台車の上に
というのは、RMライブラリーの「東急碑文谷工場物語」にある101号と付番された車輌をやや斜めからとらえた画像と同じでしょうか。
そうだとすると(違っていたらすみません…)、台車はTR-11ではなく明治44年式で、碑文谷での仮台車と思われます。ただ、1651=101は、碑文谷でドア移設しておらず、もう1輌(仮番102)だけが碑文谷でドア移設までしてから発送しているようです。
さて、それで、上田へ行った車輌が1651と、もう1輌(仮番102)が1652と1653のいずれであったかについて、ほぼ決定的と思われる写真を入手しました。
下の画像をご覧下さい。まごう事なき1652号が、東急車輌と考えられる構内で留置されている様子です。1652号の載っている線路は、なんと4線軌道になっており、後ろに京浜急行クハ121号が映り込んでいることから、碑文谷ではなく、金沢八景の東急車輌とみて間違いないと思います。というのは、この画像の他に、同じ場所で京浜急行クハ121を撮影した、東急の押し印がされた「公式写真」も入手したためで(画像2枚目。赤丸部分が押し印。今回画像と同様「公表後または制作後50年が経過」しているため、著作権は消滅)、碑文谷に京浜急行のクハ120形が入線した記録は、少なくとも今のところ見つからないので、間違いないと考えられます。
この2枚の写真、見比べますと、クハ121号の後ろにあった工場建屋が、クハ1652が来た頃には無くなっているように見え、さらにクハ1652号は、台車が旧品のKS-30Lになっており、ヘッドライトやテールライトも部品取りされたのか無くなっている様子が目を引きます。「東急車輌で詰所になった」と「東急碑文谷工場物語」は記述しているようですが、このあと線路から外されたのでしょうか。あるいは台車付きのままだったのか…。京急クハのほうは、後に高松琴平電鉄に譲渡されることになる車でしょうかね。
クハ1652は、両端ドア付近の台枠があて板で特に補強されており、トラス棒も残ったので、元からあまり台枠の状態がよくなかったのかもしれません。それで電動車に改造となるモハ5370形のタネ車からは漏れた可能性が考えられます。
上記の「証拠」から、小田急の旧車体クハ1651が上田モハ5371、同クハ1653がモハ5372で間違いないと思われます。

それでは失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

KATOより、119系発売の予告

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 4日(日)01時56分0秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

KATOより、119系の発売が予告されました
 今週末に横浜ランドマークプラザにて「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」が行われているのですが、この場で、KATOより、119系の発売が予告されました。119系は、既にGREENMAX、MICROACE、TOMYTEC鉄道コレクションより発売されており、この場でもこれらの製品を紹介したことがありますが、ついにKATOからのこれまでの飯田線シリーズの一環として発売されることになります。
 発売されるのは、新製時の飯田線色で、「3両セット」と「2両セット」で、さらに「クモユニ147」も発売されます。上記3メーカーは飯田線色でも2両編成の発売が主で、3両編成はGREENMAXが最初の製品発売からかなり経ってから発売しただけで、「最初から3両編成を発売」するのは今回のKATOが初です。また、値段の予告が3両編成は13600円、2両編成は8800円なのに対して、クモユニ147は3300円となっており、以前発売のクモユニ82、クモニ83とは異なって、119系に連結することを前提としてトレーラーだけが設定されたようです。逆に119系の方は、モーター無しの編成の設定はされていません。
 119系は1982年度落成の前期型と1983年度落成の後期型があり、前面窓下の手すりが帯の中に入っているのが前期型で、手すりが帯の上に出されたのが後期型という識別点がありますが、どちらの形態を表現するかが注目です。3両編成は前期型ばかりで後期型は1本だけなのに対し、2両編成は逆に後期型の方が多いので、もしかしたら3両編成は前期型、2両編成は後期型と作り分けられる可能性もあります。

 このほかの予告としては、TOMYTEC鉄道コレクションの9mmナローゲージの新展開として、「簡易軌道」が発表になりました。簡易軌道は北海道各地に昭和40年代まで存在していたのですが、運輸省の管轄でなかったこと、北海道の中でも道東や道北に多かったため、鉄道研究の目から見ると謎の存在でもあります。発売されるのは、浜中町営軌道や歌登町営軌道にいた泰和車両製の近代的な気動車とそれに連結される貨車のセットで、貨車は無蓋車と、簡易軌道の象徴とも言える「ミルクタンク車」です。

 販売ブースでは、毎年私鉄オリジナルの鉄道コレクションが発売になるのですが、今年は総合車両製作所は東急新3000系、小田急は2300形「ロマンスカー」でした。総合車両製作所では毎年銘板の形のキーホルダーを発売しているのですが、今年はキーホルダーではなく、マグネットでした。また、「日車夢工房」が長らく販売ブースを出していたのですが、昨年日本車両は日車夢工房の活動を終了することを発表しており、今年はブースを出していませんでした。

 TOMIXでは、横浜鉄道模型フェスタに合わせてイベント企画品を会場の隣のカツミ横浜店で発売するのですが、今年はEF60型47号機茶色塗装、キハ40 1008烏山線などの他、ED62型スノープロー無が発売されていたので、購入しました。
 ED62型は当初は9号機までは伊那松島機関区で、スノープロー有、10号機からは豊橋機関区でスノープロー無でしたが、1983年に10号機が伊那松島に転属してスノープロー無のまま使われたようです。
 写真上が購入したED62型スノープロー無で、別付けパーツは付けてなく、パンタグラフだけを手許のストック品の塗装済みのものに交換しています。
 写真中央は以前にこの場でも紹介したTOMIXのED62型シールドビーム車、KATOのED62型と並べたもので、左からTOMIXのスノープロー無とシールドビーム、KATO製品です。これらの製品は全て、スカートは、ED61型時代のエアーホースを撤去して痕跡だけになった状態が表現されています。
 写真下はTOMIX製品で重連にしたものに同じTOMIXのタキ25000を1両連結したもので、1990年代に入ってからの飯田線貨物列車でよく見られた編成です。

都営10-000型について
すぎたまさん
 10-000型が「電機子チョッパ制御」とのご指摘ありがとうございます。調べてみると、現在走っている10-080編成は全国的にも同時期の京都市交通局の10系電車の増備車とともに「最後に新製されたチョッパ制御の車」とのことです。電機子チョッパ制御車は営団地下鉄(東京メトロ)が本家というイメージが強いのですが、千代田線6000系、有楽町線7000系、半蔵門線8000系のいずれも更新時にVVVF制御に変わっているので、確か今では無くなっているはずです。今では一番多くの電気子チョッパ制御車を使っているのはJR西日本(201系)と思われます。

東急碑文谷工場での小田急クハ1650型の車体の工事について
 最近、タンク車の情報収集のためにRJ誌の1990年代から2000年代の号の収集をしているのですが、通巻160号から東急碑文谷工場について連載記事があり、この中で、通巻162号(1997年3月号)に上田交通向けの小田急クハ1650型車体の工事の記述(P60)が見つかりました(この号自体は最近の購入ではなく、発売時の購入)。掲載写真は、碑文谷に到着したクハ1650形2両の車体、「モハ101」と付番された元の窓配置のままの鋼体(2枚)、扉を内側に寄せる工事を行っている途中の「モハ102」の鋼体(2枚)です。「モハ101」の鋼体は、上田への回送用にTR11台車の上に乗せられており、さらに上作用のアライアンス自連、エアホースが回送用に装備された状態です。「モハ102」の方は工事中で、鉄板および溶接部分が無塗装なので、どのような工事をしたかよくわかります。以前、クハ1651~53のどの車が上田モハ5370のどの車に対応するか、報告された時に、「自連の形式が手掛かりになるかも」との話があったことを思い出したのですが、RJ162符号の記述では、「回送用の自連」が別のところから調達されたように読め、上田到着時にさらに取り替えられたことも考えられる(自連を碑文谷に返却した?)ため、自連の形態は手掛かりにはならないかもしれない、と思いました。なお、碑文谷に来た時点での鋼体は、「1651が存在したことは間違いないが、もう1両が1652, 53のどちらかは不明」とのこと、また、「モハ101」「モハ102」と仮称したのは、貨物列車は操車場を通過する時に全ての車の番号を記載するためとのことでした。
 

もったいないですね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月 2日(金)03時53分31秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

都営の10-000形、最終編成はわずか21年の命ですか。もったいない。
いくら少数派になったからとて、都営地下鉄は赤字のはず。都はお金持ちなんですね。
なお、本系列は誘導障害のために、VVVF化は出来ず、最後まで電機子チョッパ制御で造られています。そのため界磁チョッパではありません。とはいえ、あの素子冷却音が聞けるのも、あと少しということですね。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

都営新宿線10-000型の最期

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 1日(木)00時52分21秒
返信・引用
  都営新宿線の10-000型が現在最後の1本になっていて、この編成も2月中に運用を外れるそうです。
都営新宿線の車は、2016年秋に京王本線沿線の桜上水へ出張した時に写真を撮影しており、当時も報告しましたが、改めて写真を紹介したいと思います。
写真上は他の10-000型と比べると1段階新しい10-080編成(2016年9月11日、明大前―下高井戸間)で、この編成が最後に残った10-000型になりました。写真下に示す在来車(10-240編成、2016年9月10日、明大前―下高井戸間)と比べると腰板が波板からビード入りになる、同時期の他のステンレス車と同じ変化が起こっています。また、制御装置も界磁チョッパ制御だったか、変更になっており、他の10-000型と比べるとかなり異なる車になっています。
 

シングルアームのワイパーについて

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 1日(木)00時23分54秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

そちらのHPのクモハ102-3004の写真を拝見しました。
確かに中央窓のワイパーがシングルアームであることが確認できました。
シングルアームのワイパーは新製車では1970年代初頭までは主にワイパーを常用しない運転席窓以外の窓で見られたのですが、1970年代中頃からはダブルアームに一本化されたため、クモハ102、クハ103-3004が、1985年の改造時にいわばワイパーが「先祖返り」したのが不思議です

ちなみに、115系の場合は、0番台は助士席側のワイパーは窓柱近くの下側に駆動点があるシングルアームワイパーで、昭和48年度の300番台一次型までこの形態でした。昭和49年度の中央東線用115系からダブルアームに変更されています。JR西日本の車は、同時期の113系も併せて、昭和48年以前の新製車でも助士席窓のワイパーがダブルアームになっていますが、後天的に交換されたものです。この中でJRになってからJR東海で改造されたクモハ113形2000番台が何故か助士席側のワイパーがシングルアームの古い形態でした。
写真は、静岡地区に残っていた113系が置き換えられると聞いて、2007年3月17日にに静岡を訪問した時に撮影したもので、上はクモハ113-2004、中央は同じ撮影アングルのクハ111-2632で、クモハ113-2004の助士席側のワイパーがシングルアームで、取り付け位置も窓柱近くであることがクハ111-2632と比較してわかります。

ちなみに、115系は昭和48年度製の前期型とそれ以降の車との間ではベンチレーター配列の変化(クーラーから離れた位置にベンチレーターが移動)以外にもかなりの変化が起こっています。1つは上記のワイパーですが、他にドアコック蓋のユニット化、モハ114型3位側妻面への配電盤関係の突起の出現が起こりました。この間のクモハ115-301~306を含む車が過渡期で、特徴的なところがあります。
写真下は、2007年3月の改正で廃止になった特急「東海」です。静岡地区の113系の廃止と併せて廃止になっており、特急「東海」も併せて撮影しました。写真は沼津駅で撮影の「東海」2号です。
 

クモハ102-3004など

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 1月30日(火)00時24分0秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

クモハ102-3004は、うちのHPに103系へ改造当初の画像がありました。
http://princesscomet.net/railways/103/kawagoe.htm
ここの一番上の画像。中央窓のワイパーはシングルですね。
つまり103系への改造時にシングル化されたことがわかります。

モハ103-3004のエンド表記が逆なのは、普通のモハ103と同じと早とちりしたのかな>メーカーさん。
モハ103の3000番台は、「前パン」になっていて、前位側にパンタが付いているのは結構知られた違いだと思っていたのですが、メーカーサイドは忘れていたのでしょうか…。

別件…。
写真の著作権については、衝撃的なことがわかりました。
購入した古写真、特に古いもの(1957年末より前)に至っては、原則著作権フリーです。
ひとまず失礼いたします。

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鉄道コレクション103系3000番台の加工

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月28日(日)01時40分3秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

鉄道コレクション103系3000番台3両セットの加工
 先に鉄道コレクションの103系3000番台3両セット(川越線電化開業時)を購入したことを報告しましたが、車番が振られているハエ54編成(クモハ1032-3004―モハ103-3004―クハ103-3004)は他の編成と比べて変わった点が多かったので、真正のハエ54編成に近づけるよう加工を行いました。
 写真は、上は3両編成を組んだもの、中央はクハ103-3004(左)とクモハ102-3004(右)、下はクモハ102-3004です。
 ハエ54編成は、結果的に一番最初に運用を離脱した編成になったのですが、他の編成と比べて特徴の多い編成でした。
 まず、少なくとも末期の特徴なのですが、モハ103-3004にモハ72970時台の戸袋窓上の通風グリルが残っていました。他のモハ103-3000台とサハ103-3000台はすべてグリルが撤去されていたのに対して際立った特徴になっていました。また、この編成だけ、前面の中央窓のワイパーがシングルアームで、写真中央のようにワイパーを別パーツ化しました。改造前のクハ79607、608の時は運転席窓と同じダブルアームで、JR初期の非冷房時にはシングルアームだったことが確認できたので、103系3000番台への改造時あるいはJR以降までの間にダブルアームからシングルアームへの交換が行われたことになります。
 103系3000番台の特徴でもある、半自動ドアの手掛けは、ハエ54編成の場合、外付けの取っ手だけでした。これは72970台、79600台から継承しているものですが、製品法は埋め込み式の取っ手に整形されていました。このため、取っ手を削って1mm幅の手すりを取り付けました。厳密な形態は別として、ちょうど手許にまとまった数があったレボリューションファクトリーの1mm幅ヒゲ付き手すりを使いました。
 形式番号は、前納さんの報告の通り、本来はドアコック蓋の下辺と車番の中心線の高さがほぼ一致する位置なのですが、少し字が大きいためか、ドアコック蓋をかわすように少し下に下げられています。これを修正するため、製品に印刷されている車番を消した上で、正しい位置にレボリューションファクトリーの103系3000番台インレタから車番を転写しました。また、モハ103-3004のエンド標記が何故か前後逆だったのでこれも修正しています。

川越線へのE231系の転用
 103系3000番台を置き換えた205系3000番台ですが、早いうちに交替してしまう可能性が出てきました。趣味誌でE231系からの改造(E231系3000番台)が2本、209系500番台からの改造(209系3500番台)が2本登場したことが報告されていますが、恐らくこれとは別の編成を1月になってから大宮工場で目撃しています。この編成を加えると5本になり、205系3000番台が5本なので、置き換えに必要な数がすでに登場していることになります。このため、3月のダイヤ改正時に205系3000番台は一気に置き換えられてしまうかもしれません。
 

大船工場が鍵?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 1月23日(火)03時00分17秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

TR23A台車の転用を注意深く読ませていただきましたが、結局大船工場が鍵なんでしょうかね。
クハ76にまで、TR23Aっぽい車があるとすれば、その担当工場で振り替えたと考えるしか無いわけですし…。
サロハ66→クハ47153、155は、横須賀線での走行歴があるのかと思っていたら、実際は無いんですね。これにはちょっと驚きましたが、伊東支区での活躍歴があるので、同所の担当工場は大船でしょうから、そこでの振り替えが考えられますね。
伊那松島区がコロ軸受けを当初いやがったのかどうかはわかりませんが、転属時期が、軸受け両側の摩耗が問題となっていて、油壺が設けられていた時期とも符合しそうなので、そのあたりが問題になったのかもしれませんね。
ただ、伊那松島は、当初モハ52を受け入れた区なので、電動車のコロ軸受けはよかったのか?など、少々謎ではありますが…。

余談ですが、小田急のクハ1860号の台車は、DT12クレーン掛け無しのタイプをコロ軸受け化した、TR25C(小田急形式)でした。時代的に戦災台車ということになりますね。
小田急の1800系は、デハについては国鉄車を回送してまでコロ軸受けで統一したのでしたが、なぜかクハに3輌平軸受けの車が残り、長年の謎です。1861号は、元がモハ60050でしたので、そのままタネ車のDT12(TR25)を使ったと考えられるので、当たり前かもしれませんが、1851号と、1860号の台車がTR25のまま残った理由がわかりません。
1851と1852は省籍を経ないで入線した記録がありますので、これに戦災台車のTR25が付いており、小田急としては交換を希望したものの、「省籍を経ていない車は交換の対象にはならない」とでも、当局に言われたので、やむなく…ということなんでしょうか。しかし、同時に省籍を経ないで入線した、東武鉄道のクハ7800号と7801号は、特に戦災TR25を付けていたという話は聞かないように思います。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

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