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身延線115系とクモユニ143の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月18日(日)00時56分24秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

身延線の115系とクモユニ143を製作したので報告したいと思います。
 身延線の「身延色」の115系は、「湘南色」「横須賀色」以外の色ということで注目度が高く、KATO, TOMIXともに1980年代のかなり早い段階から発売していました。ただ、どちらも3両編成の発売(KATOは付属セットも発売)で、4両編成の発売はかなり遅く、KATOは2005年、TOMIXは2014年のことです。今回報告するのはTOMIX製品の加工です。
 KATO製品の方は、方向幕を準備工事にした車体が新規製作されたのですが、TOMIXの方は共用車体で、方向幕がガラス側モールドで、サボ枠が省略されています。また、モハ114は、MG風道が省略されています。このため、トレジャータウンのパーツを用いてクモハ115の戸袋窓上の風道と隣の種別表示挿しと併せて追加しました。併せて、サボ枠は、サボのステッカーを貼ることを前提として板状のパーツを貼り付けました。
 方向幕の準備工事は、車体の方向幕の穴をエポキシパテで埋めた上から、TAVASAの方向幕パーツを塗装したものを貼り付けました。併せて、ガラス側の方向幕表現を切り落としています。
 TOMIXの115系は、妻板の表現が115系1000番台に合わせられて共用化されているので、2000番台では存在する風道が存在しません。このため、トレジャータウンの113,115系用風道パーツを追加し、関連して手すりも追加しました。手すりは、検査標記のインレタの転写の後に穴あけと接着をしました。ちなみに、KATO製品の方は113系2000番台の方に標準化されているので、以前の製品では115系1000番台も妻板に風道の表現がありました(雪切室とMG風道はプリント表現)。
 以前の115系長野色C編成の製作の時にも紹介しましたが、TOMIXの製品は、115系のなかでも屋根が塗り屋根になった末期型になっているので、クーラー脇のランボードの肩が斜めになっているのとともに妻板上辺のキャンバス押さえが省略されています。長野色の時はトレジャータウンのパーツが間に合わず、工作を後日に回したのですが、今回の工作ではパーツが調達できたので、キャンバスさえをつい生かしました。
 写真上は、登場時のMc-M'-Tc-Tc'の編成、中央はTc-Mc-M'-Tc'に変更された後の編成で、車号はクモハ115-2006―モハ114-2606―クハ115-2127―クハ115-2027にしました。インレタは製品のものは使わず、くろま屋の製品とトレジャータウンの製品を使っています。

 クモユニ143は鉄道コレクション第20弾の製品です。発売当時に速報しましたが、今回115系と併せて加工しました。
 製品は、帯の色が黄色みが強かったので塗装を落として全塗装をし直しました。帯はトレジャータウンのクリーム色10号帯のインレタを使いました。併せて手すりの全別パーツ化を行っています。
 床下機器は、発売当時の報告のように、クモヤ145の床下機器で標準化されています。クモユニ143用の床下機器は、最近になって3Dプリンターの製品が発売され、これを購入してはいるのですが、表面処理の技術をまだ持っていないため、とりあえず製品のクモヤ145用の機器をそのまま使っています。連結器はTOMIX TNカプラーを装備し、スカートをTNカプラーに合わせて削り込みました。標記はTAVASAのインレタで、車号はクモユニ143-4としました。
 写真下がクモユニ143を連結した編成です。身延線ではクモユニ143は偶数側に連結されており、パンタ側が前になっていたのに対し、飯田線ではクモユニ147は奇数側に連結されて、パンタ側が中間封入されていました。旧型国電時代の荷物車の向き(偶数向きの身延線のクモハユニ44と、奇数向きの飯田線のクハユニ56)をそのまま継承しています。
 
 

京急2000型運用離脱まで秒読みか

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月14日(水)01時04分43秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

今朝の通勤時、金沢文庫の総合車両製作所に白塗りの京急新1000形が引き出されているのを目撃しました(写真)。
白塗りの新1000型は、12月中仁に1本目、1月中旬に2本目を目撃しており。これが3本目になります。2017年度は8両編成は3本が投入されることになっており、今年度分が全て製造されたことになります。これとともに残る3本の2000形が置き換えられるはずで、写真の3本目の新1000形が営業運転に入るときが、2000型の営業運転が終了する時になり、2000形の消滅が秒読み段階に入ったといえます。
また、川崎重工で新製される6両編成の方も、12月末に1本目、1月中旬に2本目を目撃しており、こちらは今年度は2本投入予定なので、今年度分の投入が完了したことになります。
今日の帰りには京成新3000型も目撃しています。こちらは2本目になります。

(2/17追記)
現在残っている2000型を先週目撃したので追記します。
2月15日に2061編成(写真中央)、16日に2011編成(写真下)を目撃しました。両方とも横浜8:14発上りの羽田空港行です。
 

雑型客車由来の電車など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月12日(月)23時14分44秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

雑型客車について
すぎたまさん
 「J-Train」67号は手許にあり、ホハユ3158の写真を確認しました。明治期の鉄道買収前の「雑型客車」のカテゴリーに入る客車は在籍時期的に写真が存在すること自体が貴重だと思います。
 昭和10年代の雑型客車を種車として作られた私鉄電車は興味深い存在で、同時期にも(旧)西武鉄道、武蔵野鉄道にも存在し、買収国電になった車では青梅電鉄に存在していました。それぞれの鉄道で「どのように電車に改造したか」バリエーションがあるもが面白く、客車の車体をほぼそのまま使用した富士山麓電鉄、木造で「電車のような車体」を作り上げた武蔵野鉄道、南武鉄道、自社の電車と同じ形態の車体にしてしまった青梅電鉄があり、小田急クハ1651~53は青梅電鉄ほど徹底してはいないが、本格的な電車にした例になると思います。ホハユ3158の写真は、これらの「雑型客車ベースの電車」が元々どのような車だったかを示すもので、南武鉄道の電車(後に客車に変更)の写真などと比べてみると、車体製作の考え方が見えてくるようです。
 ちなみに、南武鉄道は、当時の鉄道会社の車両の導入の方針が典型的に観察されます。開業時にデハ100形15両を大手の車両メーカーより導入し、昭和10年頃までの小刻みな車両増備は木造省電の払い下げ(元モハ1形)と中規模メーカー(木南車両)からの導入(クハ210型)で対処しています。昭和15年ごろの大規模な輸送力の増加へは、モハ150、クハ250形を大手メーカーから導入するとともに自社木造車の鋼体化(モハ503,504(木南車両)とモハ505,506(日本鉄道自動車))を行うと共に雑型客車の導入で充足する、という動きになっています。車両の小規模な需要を充足する中規模メーカーの存在と、戦時体制による車両増備位の規制の強化に対する抜け道としての雑型客車という昭和戦前の特徴が認められます。

119系について
前納さん
 KATO119系の情報をありがとうございます。後期型らしいとのことで、前期型への改造を考え始めています。
 クモユニ147も競作状態で、完成品ではGREENMAXが無い代わりにWINが車体を発売しており、MICROACE、鉄道コレクションと続いています。

JR東日本189系の交替
 現在稼働状態にあるJR東日本管内の特急型電車は、485系、583系が引退し、189系が中央東線に残っていますが、今度の改正で交替するようです。6両編成4本が残っていて、豊田の特急色、グレードアップあずさ色、あずさ色、長野のあさま色とそれぞれ別の色になっていましたが、確か昨年あずさ色が引退しています。豊田の18系は富士急行に直通するホリデー快速に使われていますが、この運用が3月のダイヤ改正からE257系500番台に交替することが発表になりました。E353系の増備に伴ってE351系が交替し、E257系の交替も始まることから、残り189系も交代する可能性が高くなったと考えられます。
 189系のホリデー快速は2016年10月に富士吉田に出張した時に乗っており、当時も報告しましたが、改めて写真を紹介します。10月15日夕方のホリデー快速で、富士山駅での撮影(写真上)と新宿駅での撮影(写真下)です。
 

KATOの119系

 投稿者:前納浩一  投稿日:2018年 2月12日(月)20時34分23秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんばんは。

KATOの119系ですが、模型店のブログなどの情報によると、2両セットがMc29+Tc'21、3両セットがMc32+Mc33+Tc'24とのことですので、後期形のようです。ちなみに、クモユニ147は2番のようです。
 

やはりクハ1651と1653ですね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月10日(土)20時18分13秒
返信・引用 編集済
  原口さん、みんさんこんばんは。

とりあえずRM162号を取り寄せて見てみました。なんと、持っている号でした(笑)。すっかり忘れておりましたが、確かに重要な写真が写っていますね。RMライブラリーだけでは追えない写真がありました。

それで、上田交通に譲渡された小田急クハの車体ですが、1651と1653で間違いないことが確認出来たと思われます。
詳細はまた後ほど書かせていただきます。まだ届いたばかりなので…。

なお、クハ1651のタネ車、ホハユ3158ですが、なんと「J-train誌」の67号(2017秋号)の、178ページに現車のきれいな写真が載っています。これを見る限り、台車は明治41年式に交換されており、戦後経堂工場に残っていた仮台車とも一致します。お持ちの方はご覧下さい。

ひとまず失礼いたします。また後ほど詳細を。

http://princesscomet.net/

 

京浜急行の車両の動向

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月10日(土)11時54分5秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

京浜急行の2017年度の新車は8両編成3本、6両編成2本が予定されており、投入が始まって、運用にも変化が起こり始めました

 朝の横浜駅では以前2000型が入ることが多かった8:05発羽田空港行特急に入ることが無くなりましたが、8:15発の羽田空港行特急は8両編成単独運転で、現在も2000型が入ることが多いです。写真上は2月7日に撮影した2011編成です。ただ、この運用には今年に入ってから投入された新車の新1000形1201編成が入ることもあり、撮影の翌日の同列車は2月8日は1201編成でした。さらに翌日は2000形の通常塗装車で、後述の1201編成が投入される前に残っていた2本のうちの1本(もう1本は1201編成と交代で運用を外れたはず)で、2061編成だったようです。
 写真中央は2月9日撮影の金沢文庫検車区で、中央の2100型2109編成の向こう側は新1000型1201編成、その向こう側は同じく新1000型1613編成で、今年度投入の編成が2本並んでいました。
 写真下は800型825編成で、2月9日追浜駅で撮影です。800型も1613編成投入によって鋼体が起こっているはずです。
 

碑文谷工場の小田急クハ1650形の車体について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 6日(火)00時27分40秒
返信・引用
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

RM連載時の「碑文谷工場回顧」の後に、RM Library「碑文谷工場ものがたり」が出版されたことは当時確認してはいたのですが、今となってはRM Libraryのかなり初期の号でこちらの方は確認できませんでした。RM162号の方の写真は、仮称モハ101の方は1958年11月24日、仮称モハ102の方は1958年12月11日の撮影となっています。また、改めて仮称モハ101の写真の方を見ると、台車は「TR10」と書いてあり、実際は明治44年式台車だったとのことで、「TR11より前の台車」の意味で「TR10」と記述していたようです。
ところで、「小田急から到着した直後のクハ1650形」の写真があるのですが、腰板を塗り分けた2色塗りで、腰板の方が明るい色になっています。当時のロマンスカーが腰板が青で窓回りがオレンジの2色塗りで、これを逆にした色のように見えるのですが、実態はどんな色だったのでしょうか。

東急東横線横浜―桜木町間の跡と、大正年間の横浜駅舎跡の観察
横浜鉄道模型フェスタの後、東急東横線跡を観察しながら横浜駅まで歩いていきました。写真上は桜木町駅に近いところで、奥が桜木町駅でした。この区間は線路と路盤を撤去して、ほぼコンクリートだけになっているのですが、ここから先の整備方針がまだ決まっていないようで、かなり長い間この状態が続いています。
写真中央は「高島線」のアプローチです。撮影場所は「三菱横浜造船所踏切」で、三菱横浜造船所があった頃は正門に続くところでした。
写真下は大正時代に存在した「2代目横浜駅」の遺構です。場所は、東横線旧高島町駅から少し横浜駅寄りの、写真上の手前の道が突き当たるところにあるマンションの敷地の中で、写真の構造は駅舎中央の入場口の左側の部分に相当します。

横浜鉄道模型フェスタの追記ですが、KATOから119系と同時期に「飯田線旧型国電のサウンドカード」が発売されます。

金沢文庫レポート
先に「白塗りの京急新1000系」が登場したことを報告しましたが、先週の通勤時、「2本目の白塗りの車」を目撃しました。また久里浜へ回送されたと思われます。これとは別に京成3000系も新たに目撃しています。
 

東急車輌に運ばれたクハ1652

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月 4日(日)05時34分22秒
返信・引用 編集済
  原口さん、みなさんこんばんは。

碑文谷から上田に行った小田急クハ1650形の旧車体ですが、ここの815に
http://6711.teacup.com/53007/bbs/815
既に多少の記述をしていました。
再度必要な部分を転記しますと、

車番  ボギーセンター間 トラス棒  連結器 タネ車(ピクの推定)
1651  10566mm      無し  アライアンス2 ホハユ3158
1652  11582mm      あり  柴田式?    ホハニ4152
1653  10870mm      無し  アライアンス1 ホハニ4204

アライアンスの1と2は、横の穴が1穴か、2つの長穴かの違いです。

原口さんがおっしゃる
> 「モハ101」の鋼体は、上田への回送用にTR11台車の上に
というのは、RMライブラリーの「東急碑文谷工場物語」にある101号と付番された車輌をやや斜めからとらえた画像と同じでしょうか。
そうだとすると(違っていたらすみません…)、台車はTR-11ではなく明治44年式で、碑文谷での仮台車と思われます。ただ、1651=101は、碑文谷でドア移設しておらず、もう1輌(仮番102)だけが碑文谷でドア移設までしてから発送しているようです。
さて、それで、上田へ行った車輌が1651と、もう1輌(仮番102)が1652と1653のいずれであったかについて、ほぼ決定的と思われる写真を入手しました。
下の画像をご覧下さい。まごう事なき1652号が、東急車輌と考えられる構内で留置されている様子です。1652号の載っている線路は、なんと4線軌道になっており、後ろに京浜急行クハ121号が映り込んでいることから、碑文谷ではなく、金沢八景の東急車輌とみて間違いないと思います。というのは、この画像の他に、同じ場所で京浜急行クハ121を撮影した、東急の押し印がされた「公式写真」も入手したためで(画像2枚目。赤丸部分が押し印。今回画像と同様「公表後または制作後50年が経過」しているため、著作権は消滅)、碑文谷に京浜急行のクハ120形が入線した記録は、少なくとも今のところ見つからないので、間違いないと考えられます。
この2枚の写真、見比べますと、クハ121号の後ろにあった工場建屋が、クハ1652が来た頃には無くなっているように見え、さらにクハ1652号は、台車が旧品のKS-30Lになっており、ヘッドライトやテールライトも部品取りされたのか無くなっている様子が目を引きます。「東急車輌で詰所になった」と「東急碑文谷工場物語」は記述しているようですが、このあと線路から外されたのでしょうか。あるいは台車付きのままだったのか…。京急クハのほうは、後に高松琴平電鉄に譲渡されることになる車でしょうかね。
クハ1652は、両端ドア付近の台枠があて板で特に補強されており、トラス棒も残ったので、元からあまり台枠の状態がよくなかったのかもしれません。それで電動車に改造となるモハ5370形のタネ車からは漏れた可能性が考えられます。
上記の「証拠」から、小田急の旧車体クハ1651が上田モハ5371、同クハ1653がモハ5372で間違いないと思われます。

それでは失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

KATOより、119系発売の予告

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 4日(日)01時56分0秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

KATOより、119系の発売が予告されました
 今週末に横浜ランドマークプラザにて「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」が行われているのですが、この場で、KATOより、119系の発売が予告されました。119系は、既にGREENMAX、MICROACE、TOMYTEC鉄道コレクションより発売されており、この場でもこれらの製品を紹介したことがありますが、ついにKATOからのこれまでの飯田線シリーズの一環として発売されることになります。
 発売されるのは、新製時の飯田線色で、「3両セット」と「2両セット」で、さらに「クモユニ147」も発売されます。上記3メーカーは飯田線色でも2両編成の発売が主で、3両編成はGREENMAXが最初の製品発売からかなり経ってから発売しただけで、「最初から3両編成を発売」するのは今回のKATOが初です。また、値段の予告が3両編成は13600円、2両編成は8800円なのに対して、クモユニ147は3300円となっており、以前発売のクモユニ82、クモニ83とは異なって、119系に連結することを前提としてトレーラーだけが設定されたようです。逆に119系の方は、モーター無しの編成の設定はされていません。
 119系は1982年度落成の前期型と1983年度落成の後期型があり、前面窓下の手すりが帯の中に入っているのが前期型で、手すりが帯の上に出されたのが後期型という識別点がありますが、どちらの形態を表現するかが注目です。3両編成は前期型ばかりで後期型は1本だけなのに対し、2両編成は逆に後期型の方が多いので、もしかしたら3両編成は前期型、2両編成は後期型と作り分けられる可能性もあります。

 このほかの予告としては、TOMYTEC鉄道コレクションの9mmナローゲージの新展開として、「簡易軌道」が発表になりました。簡易軌道は北海道各地に昭和40年代まで存在していたのですが、運輸省の管轄でなかったこと、北海道の中でも道東や道北に多かったため、鉄道研究の目から見ると謎の存在でもあります。発売されるのは、浜中町営軌道や歌登町営軌道にいた泰和車両製の近代的な気動車とそれに連結される貨車のセットで、貨車は無蓋車と、簡易軌道の象徴とも言える「ミルクタンク車」です。

 販売ブースでは、毎年私鉄オリジナルの鉄道コレクションが発売になるのですが、今年は総合車両製作所は東急新3000系、小田急は2300形「ロマンスカー」でした。総合車両製作所では毎年銘板の形のキーホルダーを発売しているのですが、今年はキーホルダーではなく、マグネットでした。また、「日車夢工房」が長らく販売ブースを出していたのですが、昨年日本車両は日車夢工房の活動を終了することを発表しており、今年はブースを出していませんでした。

 TOMIXでは、横浜鉄道模型フェスタに合わせてイベント企画品を会場の隣のカツミ横浜店で発売するのですが、今年はEF60型47号機茶色塗装、キハ40 1008烏山線などの他、ED62型スノープロー無が発売されていたので、購入しました。
 ED62型は当初は9号機までは伊那松島機関区で、スノープロー有、10号機からは豊橋機関区でスノープロー無でしたが、1983年に10号機が伊那松島に転属してスノープロー無のまま使われたようです。
 写真上が購入したED62型スノープロー無で、別付けパーツは付けてなく、パンタグラフだけを手許のストック品の塗装済みのものに交換しています。
 写真中央は以前にこの場でも紹介したTOMIXのED62型シールドビーム車、KATOのED62型と並べたもので、左からTOMIXのスノープロー無とシールドビーム、KATO製品です。これらの製品は全て、スカートは、ED61型時代のエアーホースを撤去して痕跡だけになった状態が表現されています。
 写真下はTOMIX製品で重連にしたものに同じTOMIXのタキ25000を1両連結したもので、1990年代に入ってからの飯田線貨物列車でよく見られた編成です。

都営10-000型について
すぎたまさん
 10-000型が「電機子チョッパ制御」とのご指摘ありがとうございます。調べてみると、現在走っている10-080編成は全国的にも同時期の京都市交通局の10系電車の増備車とともに「最後に新製されたチョッパ制御の車」とのことです。電機子チョッパ制御車は営団地下鉄(東京メトロ)が本家というイメージが強いのですが、千代田線6000系、有楽町線7000系、半蔵門線8000系のいずれも更新時にVVVF制御に変わっているので、確か今では無くなっているはずです。今では一番多くの電気子チョッパ制御車を使っているのはJR西日本(201系)と思われます。

東急碑文谷工場での小田急クハ1650型の車体の工事について
 最近、タンク車の情報収集のためにRJ誌の1990年代から2000年代の号の収集をしているのですが、通巻160号から東急碑文谷工場について連載記事があり、この中で、通巻162号(1997年3月号)に上田交通向けの小田急クハ1650型車体の工事の記述(P60)が見つかりました(この号自体は最近の購入ではなく、発売時の購入)。掲載写真は、碑文谷に到着したクハ1650形2両の車体、「モハ101」と付番された元の窓配置のままの鋼体(2枚)、扉を内側に寄せる工事を行っている途中の「モハ102」の鋼体(2枚)です。「モハ101」の鋼体は、上田への回送用にTR11台車の上に乗せられており、さらに上作用のアライアンス自連、エアホースが回送用に装備された状態です。「モハ102」の方は工事中で、鉄板および溶接部分が無塗装なので、どのような工事をしたかよくわかります。以前、クハ1651~53のどの車が上田モハ5370のどの車に対応するか、報告された時に、「自連の形式が手掛かりになるかも」との話があったことを思い出したのですが、RJ162符号の記述では、「回送用の自連」が別のところから調達されたように読め、上田到着時にさらに取り替えられたことも考えられる(自連を碑文谷に返却した?)ため、自連の形態は手掛かりにはならないかもしれない、と思いました。なお、碑文谷に来た時点での鋼体は、「1651が存在したことは間違いないが、もう1両が1652, 53のどちらかは不明」とのこと、また、「モハ101」「モハ102」と仮称したのは、貨物列車は操車場を通過する時に全ての車の番号を記載するためとのことでした。
 

もったいないですね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月 2日(金)03時53分31秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

都営の10-000形、最終編成はわずか21年の命ですか。もったいない。
いくら少数派になったからとて、都営地下鉄は赤字のはず。都はお金持ちなんですね。
なお、本系列は誘導障害のために、VVVF化は出来ず、最後まで電機子チョッパ制御で造られています。そのため界磁チョッパではありません。とはいえ、あの素子冷却音が聞けるのも、あと少しということですね。

失礼いたします。

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