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京急2000型2061編成運用離脱か

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月15日(木)00時50分34秒
返信・引用
  連投失礼します

京急2000型に動きが起こりそうです
 今週は今日(水曜)まで、2011編成と2061編成の両方とも運用に入っているのを見たのですが、今日、金沢文庫検車区に「1209編成」が待機しているのを目撃しました。写真上は月曜の2011編成、中央は今日の2061編成ですが、もし1209編成が明日営業運転に入るとなると、2061編成の営業運転は今日いっぱいということになります。
 写真下は今日の帰りの通勤時に乗車した1613編成で、今年度落成車の初の乗車です。6両編成の方も、今年度のもう1本の落成の6両編成の1619編成を朝の通勤時に目撃しており、2本の800型が運用を離脱しているはずです。800型は私の行動範囲内では目にすることがまだ多いです。
 
 

RM Models Archive「80系湘南電車 最後の頃」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月15日(木)00時35分40秒
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  皆さんこんばんは

NEKO Publishingより、「RM Models Archive 80系湘南電車 最後の頃」が発売になりました。
 RM Mordels Archiveでは以前に80系300番台をまとめた本が発売になっていますが、今回の本でそれ以前の番台がカバーされたことになります。
 収録されている写真の中で興味深いものの1つは、PS23を搭載したモハ80079がパンタを折り畳んでいるところ(P37)です。確か、「我が心の飯田線掲示板」が発足して間もない2004年頃に、中部山岳ローカルの70系と80系に見られる「パンタ横ランボードの切欠き」が何なのか話題になったことがあります。「特発予備」で芝生さんがランボード横に切り欠きがあるモハ70,80型の写真を集めて下さったのですが、写真を検討した結果出た結論が「PS23パンタグラフを折り畳んだときに集電シューのホーンが接触するのをかわすためではないか」でした。今回のモハ80079の写真でPS23パンタグラフを折り畳むと確かにホーンがランボードに接触するほどまで降下し、これを逃げるためにランボードが切り欠かれたことがよくわかります。また、次頁のモハ80088の写真で、PS13パンタグラフは折り畳んでもランボードからは十分な高さがあることがわかります。
 PS23パンタグラフは最近のRP誌の115系特集で記事が組まれたことがあります(2015-12号P10~18)。折り畳み高さを下げるために様々な工夫が行われたことが記述されており、特にP16の構造の解説中、台枠中の主軸軸受の位置が下げられたため、折り畳むと、PS16では、台枠の上に枠が乗る形になるのに対して、PS23では、枠が台枠に潜り込む形になります。高さの違いや約15㎝になり、これがモハ70,80型の場合、ランボードの位置関係に大きな影響を及ぼした形になります。

 他に、クハ86300番台の前面の変形車が紹介されています(P65)。クハ86352は前面強化を行っており、腰板と窓の外側の柱に鉄板を追加しているのがわかります。また、前面窓を、運転席側だけ角のRがきついものに交換しています。クハ86352は広島運転所の車で、同時期に広島運転所に転入した元山スカのクハ76036,051が前面窓を木枠原型からHゴムに回送しており、この時に角のRがきついHゴム窓になったので、この工事と関連がある可能性が有ります。また、この車は乗務員扉後ろに折り畳み式の昇降ステップを設けており、他に昇降ステップが確認されている車と同じ、昭和33年度の近畿車両製です。
 また、クハ86356が、前面窓が天地が小さい、初期型の更新修繕車のような形態になっており、事故復旧の可能性が指摘されています。
 

京急2000形ファイナルイベントと和歌山線105系置き換えの発表

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月 8日(木)00時31分23秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

京急2000型の運用離脱と関連イベントが発表になりました
 2000形は、2061編成と復刻塗装の2011編成が残っていますが、2061編成の方は3月中旬、2011編成の方は3月下旬に運用を離脱することが発表になりました。関連して、記念切符の発売と、抽選制のイベントを3月25日に行うことも発表になりました。
 両編成とも今週は運用に入っているのを目撃しました。写真上は5日(月)に横浜8:14発羽田空港行特急に入った2011編成、下は7日(水)に同じく横浜8:14発羽田空港行特急に入った2061編成です。

和歌山の105系の置き換えが発表になりました
 今日のニュースで、和歌山線、桜井線に227系が投入されることが発表になりました。2019年初めから車両の投入が始まり、2020年初めまでに置き換えるとのことで、2019年度に置き換えが行われることになります。和歌山線、桜井線で運用されているのは105系500番台なので、これらの車が置き換えられることになります。105系500番台は1984年度に奈良線電化に伴って改造されたので、改造から30年を超え、103系1000番台として走っていた期間の2倍以上を走ってきたことになりますが、いよいよ先が見えたことになります。
 

片町線の本

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2018年 3月 4日(日)19時03分7秒
返信・引用
  皆さん、ご無沙汰しています。
話題の本、片町線旧型国電等を私も入手しました。
元関西旧国利用者さんの写真集、と言っても過言ではないですね(笑)
かなりの部分が本サイトのお客様の部屋所蔵写真と重複しますが、まだ埋蔵されていたものが出てくるものですね。
個人的にはモハ72952の交換されたプレスドアに萌えました(笑)
次は何が出てくるのか、楽しみになります。阪和線かな?

http://blog.goo.ne.jp/satokawa_157

 

クモハ73403のHゴム窓等

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月 4日(日)11時19分33秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんにちは

クモハ73403及び、クモハ73083の運転席のHゴム窓ですが、旧型国電の末期だからこそ、「移植した」のは有りだと思いました。
 廃車からの部品の移植は、高崎地区の115系と211系で例があり、115系では倒木で種別幕周りの前頭部を大破した先頭車の復旧を、同時期に廃車が進行していた確か小山電車区の115系の先頭車の前頭部を切り取って交換して復旧しており、211系では、側板を大破したクハ210-3013を、グリーン車組み込みで余剰になったサハ211の側板を切り取って交換して復旧しています。また、有名なものとしては蒸気機関車の「門鉄デフレクター」の転用があります。このため、クモハ73083は、昭和50年3月時点で検査周期に比較的余裕があったところに、バードストライク等で運転席の窓ガラスを破損し、ちょうど廃車になったクモハ73403から運転席の窓ガラス部を「部品取り」して、復旧したので、クモハ73403によく似た窓回りのHゴム窓になったのではないか、と考えてみました。移植したとすると、クモハ73403も、別の車からHゴム窓が移植されていることも考えられます。
 ちなみに鉄道車両のバードストライクはダイヤ改正直後に起きやすいそうで、これは、列車の新設、時間変更に対して鳥の方で慣れてないことが考えられているそうで、ダイヤ改正から時間が経つと鳥の方で電車の時間を覚えるためか、バードストライクが減るそうです。

モハ72000台の配電盤と貫通扉の有無の関係
 モハ72000台の配電盤と貫通扉の有無についてしばしば話題にさせていただきましたが、「片町線旧型国電等」ではモハ72000台原型車の写真が多く掲載されており、新たな情報が得られました。車輌別に記述すると

72150 1位側開閉窓 2位側開閉窓
72151 1位側開閉窓 2位側開閉窓(ただし、上中段窓を一体化) 3位側開閉窓 4位側開閉窓
72210 1位側開閉窓 2位側配電盤埋め込み 3位側開閉窓

 改めて確認できたのが、72210の「2位側に配電盤を設置していながら、貫通扉を未設置」の形態で、貫通扉を設置するよう工事をすることが通達されたのが昭和28年度になってから(モハ72000台の場合は、翌年度繰り越し工事になったモハ72310以降)であることが追認されました。貫通扉と配電盤の関係は、以前、「貫通扉無で工事された昭和26年度工事の72181までの車で、後天的に貫通扉を整備した車は、同時に配電盤を2位側に移動して妻窓を閉塞した」説を提示しましたが、72201以降の昭和27年型は、当初はモハ72型改造工事への「配電盤の2位側への移動」と同時に「貫通扉の設置」だと思っていたところ、貫通扉設置(厳密には貫通扉を設置できるように戸袋を工事)は昭和28年度になってから、という情報が得られ、修正したものです。
 なお、モハ72000台全金更新車で貫通扉が無い車(戸袋は有ってもドアが無い)車がいたことが報告されていますが、片町線にいた全金車では、72035, 138, 157, 165, 249のいずれも戸袋内にドアがあることが確認できました。

  他の車で気づいた点としては、クモハ73075がパンタ台を2本足から3本足に交換していることで、2枚の写真が昭和40年11月と昭和48年9月と間がかなり空いており、この間にパンタ台が交換されています。

 P29の「クモハ41126」とされている写真ですが、クモハ41126は戸袋窓のHゴム化が行われていないため、確かにこの時期にクモハ41126は淀川にいたのですが、写真の車は同じページの上の3枚の写真と同じクモハ41112と考えられます。避雷器が異なっているのは、「クモハ41126」として紹介されている写真が昭和41年3月24日と最も古いためで、その上の昭和42年12月10日撮影のクモハ41112の写真では避雷器はドラム缶型に変わっています。
 

モデル8「片町線旧型国電等」

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 3月 3日(土)16時24分54秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。

表記の冊子を昨日入手しました。73149や72151など未見の車両も収録されていて、参考になります。
さて、原口さんが言及された「廃車直前のHゴム支持改造」について、前回書き込み時に行方不明だったネットの拾い画像がその後に発見されたので、それを踏まえて追加説明させていただきます。ただ、当該の拾い画像を貼るわけにいきませんので、その点はご容赦ください。

それによると、Hゴム窓の形状と位置は73403に似ていますが、DT13、3本足、尾灯新型(新製79形のタイプ)であることから73083と特定しました。そうすると芝生さんが50年2月、田中さんが50年3月にそれぞれ原形で撮影され、廃車が51年4月ですから、改造したとたんに廃車ということになります。

なるほど、73403も結果的には改造即廃車グループですが、73083はさらに遅い時期であり、近日中の新性能化が予定されるなかで、あえて改造するかな?との疑問がぬぐえません。そうした疑惑の目で見ると、73083のHゴム窓の基盤は一段引っ込んだ位置にあり、中央窓との間柱の存在がはっきりと確認できます。まるで従来の木枠を撤去し、その代わりにHゴム窓付きの鉄枠を入れただけ、といった構造にも見え、廃車が近いことを前提にした簡易改造かなという気もします。

さらに想像をたくましくすれば、よく似た73403の廃車が50年3月ですから、移植した? まさかとは思いますが、いずれにせよ関西のHゴム改造車としては珍車といえそうです。

 

モデル8より、「模型製作参考資料集E 片町線旧型国電等」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月 2日(金)00時39分56秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

モデル8より、「模型製作参考資料集E 片町線旧型国電等」が発売されました
 「宇部・小野田線」「大糸線」「飯田線1」「飯田線2」に続く第5弾になります。第4弾まではほぼ戦前型一本だったのが、今回は73系がかなりの割合で入っています。片町線の旧型国電は、昭和49年ごろを境に主に京阪神緩行線からモハ72、クハ79形が大挙転入して、戦前型の大部分が置き換えられているのですが、この前後の車をできる限り収録する方針になっています。このため、昭和48年ごろまでにほとんどが廃車になっているクモハ31形の写真が多く収録されています。また、今回も元関西旧国利用者さんの写真が多く紹介されています。
 この中で注目すべきは「クモハ73403」が前面窓をHゴム支持に改造されていたことが明らかになったことです。「お客様の部屋」に昭和48年7月1日撮影のクモハ73403の写真があり、同じ写真が「片町線旧型国電等」P50に紹介されています。また、昭和49年3月9日撮影の写真も掲載されています。そして、昭和49年3月に田中景一さんが撮影の写真がありますが、この時点では前面窓は3枚とも原型です。ところが、「片町線旧型国電等」P2に運転席窓をHゴム支持に改造したクモハ73403の写真が掲載されています。写真の車は台車がDT14であることがはっきりわかるので、クモハ73403に間違いなく、前面窓をHゴムに改造したクモハ73403の写真はおそらく初めての公開と思われます。Hゴム窓の形は正方形で、ワイパーが上からぶら下がっています。撮影日時が「昭和48年9月15日」となっており、これが正しいと一旦Hゴム改造された窓が木枠原型に戻ったことになるのですが、おそらく撮影日時の方が「昭和49年9月15日」の誤りと考えられます。クモハ73403は昭和50年3月10日に廃車されており、廃車まで1年以内に迫った昭和49年3月から9月の間に前面窓が改造されたことになります。以前、73おやぢさんと白い陽さんが片町線の73系で最末期になって前面窓をHゴム支持に改造した車が見つかったことを報告していますが、クモハ73403も工事の該当車であったことが明らかになりました。
 「細部写真」のシリーズは、今回は「扉下ステップ」でした。乗務員扉下だけでなく、他の扉下にもあるものですが、車体側への固定の形態(主に車体側の金具の形態)がけっこういろいろあります。Nゲージの方では、タヴァサホビーハウスの「73系用乗務員扉ステップ」「70.80系用乗務員扉ステップ」は上がハの字にすぼまった形態になっていますが、これは「L型台座付」の形態を表現したものになります。TOMIXの73系のステップもこの形態です。タヴァサホビーハウス、銀河モデルでは、他にストレートな形態のものも発売していますが、これは「帯板台座付」の形態です。乗務員扉下ステップは新性能車の方で地域的なバリエーションが出ており、「新潟」「仙台」「北陸」「長野」等で固有の形態が誕生しています。

 その他の写真では、蒸気機関車の写真が多く紹介されています。城東貨物線経由の貨物列車ではD51やD52といった本線系の重量級の機関車が走っており、また、木津方面の非電化区間から入ってくる機関車はC11が電化区間まで入ってきていました。このため、片町線は、「国電区間」としては珍しい、蒸気機関車と共存していた路線ということになります。
 

最果ての客車列車:宗谷本線321レ - 昭和55年

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月24日(土)12時52分56秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

宗谷本線321レの製作
 稚内へ行く普通客車列車として有名だった宗谷本線321レを製作したので紹介したいと思います

 321レは以前、60-3改正以降のスユニ50―オハフ50の2両編成になった末期の編成の製作を報告しましたが、今回は昭和55年時点の4両編成を製作しました。写真上が編成を組んだもので、先頭から

DD51 1191(旭) - マニ36 2114(北スミ) - スユニ60 201(旭アサ) - スハ32 234(旭アサ) - スハフ32 264(旭アサ)

です。この列車は、昭和40年代はC55型蒸気機関車が牽引していたことで有名で、この当時の訪問記録がけっこう見つかりました。また、使われる客車はスハ32系の印象が強いようで多くの訪問記でも記述されていたので、最近になってスハ32型の完成品が発売されてから、製作を構想していました。
 スハ32系の製品はTOMIXが先行しており、マニ36型スハ32改造車も発売していたのですが、旭川客貨車区の「スユニ60」の製品が無く、321レの製作は構想段階にとどまっていました。昨年になってKATOから急行「だいせん」セットが発売され、スユニ60が製品化されたので321レの製作にGOサインが出ました。さらに、KATOからもスハ32系の単品(スハ32、スハ33、スハフ32:以前は中央本線客車列車セットのスハ32だけ)が発売されたので、KATO製品だけで編成を組むことが可能になったので、スハ32発売を待って製作を始めました。

 写真中央はスユニ60です。スユニ60は一般型の0番台と北海道形の200番台があり、KATOの「だいせん」用スユニ60は200番台のなかでも前期型の方に窓配置が合っていたので、前期型の中から番号を選びました。ただ、製品では車掌室の扉が鋼製のものが整形されているのに対し、入手できた旭川のスユニ60形の写真では、車掌室の扉は木製のものしか見つからなかったので、写真が見つからなかった車号から「201」を選びました。
 200番台の特徴は、床下の蓄電池箱の追加と、車掌室のストーブ煙突の追加です。北海道の一般型客車では「大型の電池箱」が有名ですが、元々はこちらの方がオリジナルの形態で、蓄電池の単位体積当たりの容量が増大したので小型化した、というのが実態です。北海道では、全体の蓄電池容量の増大のため、従来の電池箱のケースをそのまま利用して電池を追加し、北海道の客車の特徴となりました。現在高崎にいるスハフ32 2357は大型の電池箱が床下にぶら下がっていますが、これは、オリジナルの形態ということになります。スユニ60の場合は、「小型の電池箱を2組設ける」という形で電池容量を増大しており、蓄電池のパーツを追加しました。表現を統一するため、パーツは後述のスハ32、スハフ32の電池箱を大型のものに交換して切り取ったものを使いました。
 煙突は、スユニ60の場合、車椎用室側の一番端のベンチレータ位のすぐ内側に付いています。パーツとしてはKATOの急行「大雪」セットのスユニ61用としてASSYパーツが出ているのですが、入手していないので、手許にあったEVERGREENの1.2mm径プラ棒を使って自作しました。このプラ棒は取り付け足の無いベンチレーターパーツへの足の追加、および小径の穴を埋める用途で購入したのですが、20年近く前に購入してまだ使い残りがあります。T字の煙突にするためにT字の取り付け部に0.3mm真鍮線を埋め込んで強度を上げました。

 写真下はスハ32です。スハ32、スハフ32は写真が見つかった旭川客貨車区の車から車号を選びました。
 KATOのスハ32は、屋上のベンチレーターが9個です、これに対してTOMIXではベンチレーターが8個で、WC部のベンチレーターがありません。全体としては8個の車の写真の方が多く見つかっており、9個の車は少ない(昭和10年頃までに製造された車に限られる?)ようです。スハ32 234はベンチレーター8個だったので該当箇所のベンチレータを撤去して取り付け穴を埋めました。
 屋根はMrカラーの「ジャーマングレー」を吹きました。Mrカラーのジャーマングレーは写真のようにかなり黒っぽく、蒸気機関車時代の旧型客車のイメージに合っているので採用しました。なお、マニ60の方にはタミヤカラーのジャーマングレーを吹いたのですが、こちらは普通のダークグレーに近く、同じ「ジャーマングレー」でもかなり違います。このため、「電化区間を長く走っている車」のイメージで隅田川客貨車区の車であるマニ60に採用しました。
 床下の蓄電池箱は、前述のように大型のものに交換しました。用いたのはGREENMAXのガーランドベンチレーターパーツに付属のものです。
 車軸発電機は、北海道のものがギアドライブが有名ですが、台車側装架のものは、KATOの北海道の急行のセットでTR11, TR23, TR47, TR50が出ているのですが、模型の方では製品のままの表現(車体側のベルト駆動型)にしています。実際、写真でもどちらのタイプのギア駆動だったかは確認できなかったので、加工を保留しました。

 スハ32、スハフ32にはレボリューションファクトリーの方向幕ステッカーから「稚内行」を貼り付けました。

 これで、宗谷本線の客車列車を昭和55年、60年時点のそれぞれ「利尻」、321レを作ったことになり、機会が有ったら、気動車急行「宗谷」や、稚内機関区のキハ22型を作ってみたいと考えています。
 

J-train2018年春号より、昭和30年代末の飯田線など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月23日(金)01時34分57秒
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  皆さんこんばんは

2月発売のJ-train誌の「電車区訪問記」は飯田線の豊橋機関区でした(P143~)。
 本文中にもありますが、訪問は昭和38年の1回で、昭和50年代にも訪問しているとのことで、紹介されている写真は昭和50年代のいわば「見慣れた」写真が多く、昭和30年代の写真は少ないです。時期的には「2代目快速色」の頃で、青とオレンジの2色塗りで、幕板にも青塗装が入った頃に相当します。この中で、P147に番号不明のクハ47050台の写真(1963年9月1日、豊橋駅で撮影)があるのですが、奇数向きで、乗務員扉横の手すりが73型以降の天地が短い簡素な形であることと、幕板の手すりの位置が少し高いことから、「クハ47071」と考えられます。クハ47071は1959年3月に芝生さんが撮影しており、この時は助士席側の前面窓が2段式だったのですが、J-trainの写真では1枚窓になっています。このため、1959年から63年の間に助士席窓を1枚窓にするとともに、中央窓の下辺に静鉄形の通風器を付ける工事が行われたことになります。

他の記事では、前納さんが長らく手がけてきた205系の紹介が、今回の日光線、宇都宮線205系で最終回となり(P98~)、同時に新潟地区の115系の紹介も手掛けておられます(P68~)。
私としての注目は「客車列車の編成」(P3~)で、昭和20年代から50年代までの客車列車の編成記録が紹介されています。昭和20年代では、まだ木造車が入っていたころの客車普通列車、昭和30年代ではブルートレインの前身となった特急の一般型客車で編成されていたころの編成、昭和40年代では上野駅でも若干見られた客車普通列車、50年代では終末を迎えた上野発の客車普通列車などが紹介されています。

小田急クハ1651~53の車体について
すぎたまさん
 RM162号の碑文谷工場のクハ1650型車体の写真を改めて観察し、ご紹介の特徴を確認させていただきました。「クハ1653」の決め手ともなった「ドア上の水切り」も確認できました。

琴電に行った当時の京急の車はRP93-4増刊号(特集、四国の鉄道)で譲渡時の木造のままの頃(元クハ5100形7両と元デハ113の20型、RP162号の碑文谷工場の写真の頃、1958年よりかなり前の1948年のいわゆる「供出車」)の写真があります。また、クハ120形は、だいぶ後の1962年に改めて琴電への譲渡対象になり、鋼体化されています。この時にドアの位置と半円形の前面をそのままにして貫通扉が付けられたため、運転席が片隅の三角形のスペースに押し込められて、かなり狭い運転室になっています。これら元京急木造車の中から近代的な車体に鋼体化された62,65が平成まで残り、確か62がどこかに保存されていたと思います。
 

上田の5370形は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月22日(木)16時57分56秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんにちは。
2/10の投稿からだいぶ時間が経過してしまいました。すみません。

それで、RM誌162号60ページの写真から、意外とすんなり上田交通(当時)のモハ5370形のタネ車は確定しました。
まず、記事中でモハ101と仮番付番された車は、クハ1651の旧車体ということになっていますが、これは60ページ一番下の写真2枚(左が2-4位、右が3-1位)から、トラス棒が無く、前後のドア下に鉄板+リベット多数による補強が無いことから、少なくとも1652ではありません。よってこの車は、目撃証言と車体に1651の文字を消した跡があったという証言記述から1651で間違いないでしょう。そうするともう1輌が1652か1653かということですが、1652は私が紹介した写真にもありますように、東急車輌には運ばれたものの、碑文谷には行っていない様子ですし、もっとも決定的なのは、
●60ページ写真で2輌分の車体が並んでいて、腰板から下の塗色が異なるように見える写真の、右側の車体ドア上に水切りが見える
●61ページ写真で、上田交通上田原電車区で工事が行われているモハ102号(仮番号)の台枠補強位置が1652号と合致しない
●小田急旧クハ1653には、ドア上に水切りが唯一存在していた
…という理由により、
モハ101号(仮)=1651号=モハ5371
モハ102号(仮)=1653号=モハ5372
1652号=東急車輌詰所
となったのは決定的かと思います。

車号は上のような感じでいいのではないかと思いますが、原口さんご指摘の「特急色様の色に見える写真」については、小田急旧クハ1651から1653(台枠は省雑形客車)は東急車輌で、台車だけ利用し(雑形客車から流用してない別の釣り合いバリが太いTR11台車)新クハ1651から1653になり、旧車体が2輌分碑文谷に運ばれた(上で検証したように旧1651と1653の車体)わけですが、東急車輌から碑文谷(東横車輌)に転送される際に、仮のさび止め的塗装をした可能性と、あるいは腰板のみ塗装をし直し、それがフィルムの感光特性や、撮影時の光線状態から違った色に見えるのいずれかではないかと推察しました。

輸送時のTR10台車について。これは明治44年式ではありませんでした。写真で見る限り、軸箱守左右が斜めに切れ上がった形状では無いので、TR10で間違いないでしょう。さすがに信越線を行くのに、明治44年式で昭和33年に走るのは無理があったのと、碑文谷工場の持ち物の明治44年式を借りるわけにもいかない事情があったのかもしれません。
碑文谷の明治44年式台車は、同誌58ページの東急サハ3363号新製車体が仮に履いているのが見られます。

アライアンスの「上作用」自連が装着と同誌にありますが、これは元のものがシャロンやアライアンスの「下作用」でしたので、これも貨物列車連結のため仮のものを付けて発送した様子がうかがえます。どこの持ち物なのかわかりませんが…。

小田急旧クハ1652号は、元台枠に損傷または変形があったのか、電車に改造時すでにトラス棒を残し、クインポスト部に枕木方向へ太いチャンネル材の補強を2本入れ、さらに枕梁部に外からあて板をして、大きなリベット多数で止め、大がかりな補強をしています。元台枠の状態が、あまり思わしくなかった様子が見て取れますが、それらが他車とかなりな仕様の違いになっていて、ただの詰所になったのだと思われます。

京急クハ120形は、高松琴平電鉄への譲渡車にはなりませんでした。これも碑文谷で、京急クハ140形→東急クハ3140形になったものを工事したそうで、同誌163号に写真などの記載があるようです。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

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