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モハ80341の簡易運転台の変化

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月17日(火)00時21分50秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

モハ80341の簡易運転台の変化について
七久保さん
 ご紹介のモハ80341簡易運転台の写真を確認しました。窓が大きい状態が確認できた最も後の時期の写真は、芝生さんが1982年9月10日に撮影した写真で、窓が改造されたのはこれ以降ということになります。57-11改正を控えた時期で、置き換えの計画が具体化していることだったと思うのですが、事故による損傷復旧をしたのでしょうか。
 4両いたモハ80300台簡易運転台取り付け車のうち、窓が大きかったのは80341だけで、他3両は80316と同じレイアウトだったようです。KATOの80系飯田線セットに簡易運転台取り付けの加工を考えた方は他にもおられて、簡易運転台を検索したら、模型の加工記事も見つかりました。こちらは窓の大きい80341の加工で、同時に運転席側乗務員扉後ろに新性能車のような昇降ステップが付いたクハ86354を同時に加工していました。この昇降ステップは、芝生さんの写真から、落成当初から付いており、他にも86355にも付いていることが確認できるので、昭和33年度に入ってから落成した車(86352, 354~359, 361, 363、近畿車両のみ)に共通の特徴と考えられます。

(1/21追記)
 遅ればせながら、RM Models Archive 鉄道車両ガイド vol.13「80系300番台」を購入しました。
 まず、簡易運転台取り付け車の車内の写真があり(P26)、ワイパーが下に付いていることが確認できるので、上記の80341の原型の簡易運転台と分かります。また、乗務員扉すぐ後ろの昇降ステップについての記事(P27)もあり、確認されたのは上記86354, 355の他、86358にも確認されているとのことでした。同記事では、新製時からの装備かどうか、装備は86354, 355, 358の3両だけか、それとも昭和33年度の近畿車両落成車全ての装備かどうかは不明の事でしたが、上記のように昭和34年3月の86354の写真で確認できるので、時期に関しては「新製時から」の可能性が高いと思われます。
 また、クハ85型は、85106から前面窓の高さが少し下げられたことが記載されています(P21)。模型の方はどうかというと、一体成型の天井板との位置関係で、天井板が干渉する市に前面窓と運行窓があるために微妙にモディファイされています。80系飯田線新製品の方は85106以降の方に形態が合っています。このため、車号としては厳密には85108の方に特化しています。旧製品(クハ85300台)はどうかというと、運行窓と前面窓との関係は正しいのですが、上記の天井板との関係で全体が微妙に位置が下げられており、85106以降と同じ前面窓高さになっています。
 
 

Re: モハ80形簡易運転台取り付け車と静岡運転所の80系の製作

 投稿者:七久保  投稿日:2017年 1月16日(月)00時23分21秒
返信・引用
  > No.2225[元記事へ]

> 原口 悟さん

> 80341はやや天地が長くて上辺が元の窓の上縁に接しており、ワイパーは下に付いています。

80341の簡易運転台ですが、末期の状態ではガラス上部は元窓の上辺まで達しておらず、ワイパーは上に付いております。当方のHP、80系のページに'83年6月に中部天竜で撮影した同車同部の写真がありますので参考になれば幸いです。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/nanakubo/index.htm

 

Re: モハ80形簡易運転台取り付け車と静岡運転所の80系の製作

 投稿者:スカセン  投稿日:2017年 1月15日(日)21時00分6秒
返信・引用 編集済
  > No.2225[元記事へ]

原口 悟さんへのお返事です。

既報の通り関西へ行き、新快速を堪能するとともにキトの博物館にも行きました。
やっぱり80系の両持ち幌は貫禄がありました。
保存車の常といえば幌が撤去されているのが当たり前ですから、ありがたいことだと思います。
それから、意外なことにクハ・モハともに更新車にも拘わらず、ベンチレーターが大型の押し込み通風器が存置されていることに今回初めて気が付きました。
今まで、80系の初期型は更新により全車ベンチレーターが小型のものに変更されているものと思い込んでいました。

 

モハ80形簡易運転台取り付け車と静岡運転所の80系の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月15日(日)00時13分37秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

昨年末にKATOの80系新製品加工の報告をした時、「モハ80形簡易運転台取り付け車の製作を先送りにした」と紹介していましたが、この加工を行い、簡易運転台取り付け車を完成させたので紹介したいと思います(写真上)。
 車号は、1983年4月の編成表から、モハ80316になりました。最大の課題となった「屋根上の前照灯」は、当初タヴァサホビーハウスのパーツを使おうかと思っていたのですが、現在品切れで、ちょうど昨年末に発売したKATOの165系急行「アルプス」セットから、サロ165の簡易運転台前照灯を使用することにしました。ASSYパーツの発売がちょうど今日で、これがモハ80形簡易運転台取り付け車の製作を先送りした最大の原因になりました。
 加工は、屋上への前照灯の取り付けと、簡易運転台部分の妻窓のHゴム1枚窓化で、前照灯は、デッキ上のベンチレーターのさらに外側に取り付けられているためにスペースが厳しく、現車ではやや特殊な付け方になっています。現在はここまではまだ表現してなく、パーツの下に0.4mm真鍮線を打ち込んで車体に取り付けています。
 Hゴム窓は、クハ115の助士席側運転台後ろの幅の狭い戸袋窓を使いました。以前115系を加工した時に発生した窓ガラスがあったので、これを使っています。窓の開口部を1段奥まらせて0.5mm厚プラ板で塞ぎ、Hゴム窓に合わせて開けなおしました。ワイパーはタヴァサホビーハウスのパーツから、アームの短いものを使いました。なお、Hゴム窓のレイアウトには個体差があり、80343は80316と同じ大きさとレイアウトですが、80341はやや天地が長くて上辺が元の窓の上縁に接しており、ワイパーは下に付いています。模型にする場合は、1300mm幅の両開き扉のドア窓のガラスが寸法が近いです。

静岡運転所の80系の製作
 80系飯田線セットとは別に、KATOの80系旧製品から静岡運転所の80系を製作しました。車号は、RP77-8号の80系特集の編成表(P59~60)から、全車が300番台の

クハ86329―モハ80391―サハ87312―モハ80393―サハ87318―モハ80389―クハ86366

を選びました。写真中央は新製品加工のクハ86317(左)と並べた旧製品加工のクハ86366で、ベンチレーターを別パーツにしたため、違いが小さくなっていますが、助士席側幕板の運行窓が、窓ガラスと一緒で透明になっているのが旧製品の特徴です。また、ワイパーも別パーツ化したので違いが無くなっていますが、旧製品は準急「東海」セットが初登場だったこともあり、ワイパーがシングルアームでモールド表現されていました。静岡運転所の車はワイパーのダブルアーム化が行われており(浜松工場入場時代か)、加工の結果、飯田線の80系と違いが無くなっています。
 連結器は、台車側のKATOカプラーと、先頭車は車体マウントのTNカプラーだったので、新製品のASSYパーツを使って新タイプのカプラーにしています。床板へは、0.4mm真鍮線を打ち込んで固定しています。また、先頭車へは、飯田線の80系でも使った「クハ111の連結器胴受を組み合わせる」方法で連結器胴受けとジャンパ栓を表現しました。
 写真下は静岡運転所と大船工場の間の回送列車を表現したもので、クモハユニ64000、クモハ60069、モハ111,110と今回製作のモハ80を組み合わせたものです。静岡運転所の80系を製作したのは、「クモハユニ64000と組み合わせる」のが最大の目的で、111系もこの構想の一環として製作しています。実際にはクモハユニ64000の静岡への転入は静岡運転所での80系の運用の終了に時代が近く、80系を伴って大船工場まで出向く機会は少なかったようですが、少なくともモハ80348がクモハユニ64000,111系とともに大船工場へ出向いていることが目撃されています。
 

「ケーブルカー」が示すものとKE50型蒸気機関車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月10日(火)00時20分24秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

箸休めの話題として、WIKIから、「ケーブルカー」と「KE50型蒸気機関車」の話題を紹介したいと思います。

WIKIより、「ケーブルカー」が示す範囲について
 WIKIで「ケーブルカー」を見ると、巻頭の「定義」で「一部ではロープウェイやゴンドラリフトなどの「普通索道」のことをケーブルカーということもあるが」とあります。この、「ロープウェー」という意味で「ケーブルカー」という用語を使っている文献が手許にあったので紹介したいと思います。
 北極圏の犬橇単独行で有名な植村直巳(1942~1984)は1964年3月の大学卒業後、1970年までの間、世界各地の高山を登頂(うち1つが1970年のエベレスト日本人初登峰)していますが、その間の状況を著書「青春を山に賭けて」(文春文庫)で記述しています。その中で、1964年10月から1967年末までの間、西ヨーロッパ最高峰のモンブランの麓にあり、スキーリゾートでも有名な「シャモニ」に滞在し、冬の間スキー場でアルバイトをしていました。この間、スキー場のスキー客が利用するロープウェーを「ケーブル」あるいは「ケーブルカー」と表現しています。「青春を山に賭けて」P45にシャモニおよびモンブランを含む地図が掲載されており、類似の地図がRP77-8号P13~の「世界のロープウェーところどころ」に掲載されています(P19)。両地図にはモンブランを挟んでスイスまで連絡するロープウェーが記載されていますが、これは「ゴンドラ」と標記しています。東京都板橋の「植村冒険館」で植村直己の本で記述されている物件が現在どのような名称で一般的か、調査した文献を見たのですが、ここでシャモニのスキー場にある「ケーブル」あるいは「ケーブルカー」と標記されているものは、「ロープウェー」であると記述されていました。このことから、植村直己は現在「ロープウェー」と一般に呼ばれる乗り物を「ロープウェー」と呼ぶ文化には親しく接していなかったこと、および「ケーブル」という表現をケーブルカーには使っていなかったことがわかります。
 なお、植村直己はモンブランへの登山はモンブランの西側の登山電車で途中まで登っていると記載していますが、「青春を山に賭けて」収録の地図ではこの登山鉄道は地図の範囲外で、RP77-8号掲載の地図の方がより範囲が広く、この登山鉄道も記載されているので、植村直己の登山をたふぉるにはより参考になります。

国鉄の計画蒸気機関車「KE50型」について
 鉄道省でD52型と同時期に構想された蒸気機関車「KE50型」の記事がWIKIに昨年の中頃にできました。この中でKE50型が採用されなかった理由として「最高速度に難があったこと、および長さが既存のターンテーブルにギリギリだったこと」が記載されており、ここに「要出典」のタグが付いていました。ちょうどこの記事を見る直前に地元の図書館で蒸気機関車の本を閲覧しており、この記述がある文献を読んでいました。確か、久保田博氏の蒸気機関車の本で、元は昭和40年代の雑誌掲載記事です。この中のD52型の記述の中に「D52型となった設計とKE50型が比較され、KE50型は長さと最高速度に難があったため、採用されなかったとの記述がありました。実際、KE50型は動輪直径が1250mmと9600型と同じで、動輪直径から、当時鉄道省で推奨されていた最高速度の回転速度の「毎分300回転」を適用して最高速度を計算すると、動輪直径1250mmでは時速70.7km/hとなり、当時の貨物列車の標準速度の65km/hには適応できますが、後の43-10改正での貨物列車の速度の75km/hには適応できないことになります。一方で動輪直径1400mmでは時速79.1kmとなり、43-10改正でも適応可能ということになります。この速度差が問題になったとすると、「決戦機関車」は本線系統での高速輸送に使うことが考えられていたことになります。
 

ありがとうございます

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2017年 1月 5日(木)22時20分19秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。

原口さん、いろいろと詳しい情報をありがとうございます。

吹田ならではの理由があったわけですね。御殿場線に大量に転属して来ていたおかげで比較的身近に吹田の更新車に触れる事ができた事は自分にとって大きな収穫だったと思っております。

昭和40年から更新が始まり、大井からの委託分も含めた73500番台も含め比較的後期に施工した鷹取の方がより近代的に見えたのは同じ関西の工場の吹田にとっては皮肉な結果に思えてしまいます。

吹田車は御殿場線と富山港線に来るまで関西に集結していたのに対して鷹取車はごく一部を除いて関東に居たのも面白いと思っております。
 

クモハ73、モハ72型全金更新車の工場ごとの個体差

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月 4日(水)23時56分38秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは
クモハ73503さん、お久しぶりです

 クモハ73型の吹田工場全金更新車の特徴ですが、実はかなり昔のこの場で個体差に気づいた方が報告をしたことがありました。調べたところ、10年以上前の2006年11月の話題で、確かに、吹田工場では、種車の部品をできる限り利用する方針で工事されていたとの記録が見つかったとの報告がありました。具体的には、吹田工場での鋼体化工事の工事名は「鋼体強化、「室内」近代化」で、鋼体の方は側柱、間柱、戸袋・戸当り柱、隅柱など再利用できるものは解体せずに補強したうえ、そのまま使用されているとのことです。
 前面窓が若干低いことを指摘されていますが、具体的には「45mm低い」とのことで、富山港線の城川原駅の様に吹田工場型と他の工場の全金更新車が並ぶと違いがはっきりわかりますが、御殿場線のように横須賀色に塗り分けられると、塗り分けラインに対する位置の違いがはっきり判ります。また、モハ72型にも他の工場との決定的な違いが生じています。それは、前位の2連窓の配置で、吹田工場の全金更新車はモハ63形時代に運転台があったことに由来する、少し後ろにずれた配置なのに対して、その他の工場はモハ72500台以降の車の配置と同じ、端に寄った配置(後位と同じ寸法)に修正されています。ここでも、「側柱、間柱、戸袋・戸当り柱、隅柱など再利用できるものは解体せずに補強したうえ、そのまま使用」されている証拠になります。
 このような違いができた原因なのですが、吹田工場、大井工場以外の工場では電車の工事の経験が少なく、基本的には大井工場の技術を導入して工事が行われたことに対して、吹田工場は電車修繕の伝統が長く、全金更新試作(クモハ73001, 233, 387等)の経験もあって、独自の技術が入る余地が大きかったためではないか、と考えられます。
 吹田工場以外の車も微妙に個性があって、2006年11月当時の書き込みで、クモハ73型の前面が「大井工のものはちょっと窓が寄ったような濃い顔、浜松工のはすっきりした顔、大船工のは端正なやさしい顔・・と個性があるように感じられ」との印象があるとのことです。ただ、電車の工作の経験が少なかった工場では、工作の精度にやや劣るところがあったようで、浜松工場で多く工事されたモハ72形全金更新車に車体の劣化が早く進行した車が見られたことが報告されています。
 

吹田絡みのクモハ73

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2017年 1月 4日(水)23時07分11秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。

そして大変ご無沙汰しておりました。

73系の話題が最近出ているので嬉しくなってゴキブリのようにコソコソと湧いて出てきてしまいました。

さて関西の73系の検査と言えば吹田工場が担当していたわけですが、昭和37年から開始されたクモハ73などの近代化改装工事の件で吹田ならではと思った事を書かせてもらいます。

この全金属化の工事に際して吹田と他の工場では内装とクモハ73前面がかなり印象が異なる点が気になっておりました。

吹田の内装で異なる点は座席の袖の肘掛の部分が恐らく種車も物を流用したと思われる旧タイプの物を使用。また以前にもここで述べましたが貫通扉も旧タイプのプレス付きの窓ガラスの大きい扉、さらに天井に接続するパイプの天井部分の押さえ金具の形態も他工場とは異なる物でした。

同じ関西の鷹取の施工車は関東などの他工場と内装はほぼ同様の物でした。

またクモハ73の前面も吹田は窓の位置が若干低い感じで運行番号表示窓もクハ79300番台と同じ小型の物でした。

何故吹田だけ他工場とかなり目立つ部分で仕様が異なっていたのでしょうか。

吹田工場施工の近代化改装車は御殿場線で初めてお目にかかったのですが、その時にアレ?何か違うな?と感じたものです。

相変わらず重箱の隅を突っつくような事を書いてしまい申し訳ありませんが、これだから旧型国電は面白いなと思ったものです。

 

なるほど!

 投稿者:白い陽  投稿日:2017年 1月 3日(火)00時44分5秒
返信・引用
  遅ればせながら、皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。


73おやぢさん

詳細情報をありがとうございます。全く面倒臭い奴だ、と思われているかもしれませんが、いつも親身になっていただき重ねてありがとうございます。
たしかに関東の標準的なHゴムか改造は割と改造期間が限定的なのに対し、関西は入場の都度変わっていても不思議ではないほど細々といじられてる感じがありますね。
これは単なる推測でしかないのですが、関西では運転席窓のHゴム化が割と優先的に行われているように見受けられるのは、時期的に窓拭き器の更新に合わせたものではないか?と考えています。その際に小型のHゴム窓にしたのに合わせ、ワイパーアームも短い物を調達したのか、クハ79300~なども短いアームに換えられているのは関西を経験した証しの識別点の一つと思っています。
これは関西での話ではないのですが、短いアームつながりで、ひとつ。御殿場線に行った73249などは、木枠の上部取付のワイパーながら短いアームを取りつけて、相当座高の高い運転士でないと視界を拭いてくれないような感じになっており、ギャグなの?と突っ込みたくなるぐらいです。

千ツヌさん

本当に遅ればせながら、73063の画像ありがとうございます。原口さんも書き込みしておられますが、前面に行き先板入れを装着したとは驚きました。関西ばかりでなく関東もなかなかやるな、油断できない!と率直に感じています。
素直に考えれば、やはり関西から津田沼、そして御殿場へと流れた73064も関西時代に撤去され、また関東に来て新たに行き先板入れを取り付けたと考えられますが、一方で比較的末期まで残った鳳からのクハ79などは未装備のまま廃車になった?と考えると全く基準が理解不能です。
話のついでにやはり鳳から中原に入った73197は当時のRF誌のレポートで箱サボ入れは取り付けていない、と記載されていました。

もう一つついでに、73063、73199、73285、73315などは、関東標準のHゴム化改造を受けた後で関西に転出、助手席側のHゴム化を関西で施工したと考えるのが自然かもしれないですね。

ご紹介いただきましたHPは、以前Satokawaさんがご紹介くださっています。その後新たなページと大幅な加筆が行われて、もちろん注目していました。こちらにも79128が登場していますね。


それではまた!
 

年またぎですが

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2017年 1月 2日(月)18時05分41秒
返信・引用
  明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

白い陽さん
年またぎレスになってしまいました。

一度は車号を突き止めたのですが、メモをせずにいたら失念してしまいました。もう一度、記憶を整理してみると、

1.材料はネットで見つけた「淀川車としては初めて見る顔。車号の記載なし」でした。この画像は現在、確認のすべがありません。
2.疑問点は、従来の認識(最終形態)では運転台(右)が木枠だったはずなのにHゴムになっていたので、おかしいと感じたことです。これは断言できます。ただし、1位側(左)の形状は記憶にありません。
3.撮影日などから推測するに、改造後ほどなく廃車になった。

以上を、覚えています。
これをあてはめると、まずは73081が思い浮かびますが、そのとき「改造後ほどなく廃車とは吹田も無駄なことをするなぁ」との判断をしたことを思うと、原形の73083が1枚だけHゴムになったのかもしれません。そうすると追加施工ではなく新規施工というべきですが、どちらであるにせよ今まで発表または認識されてきた最終形態とは異なる、真の最終形態が存在したわけで、「吹田はひとすじ縄ではいかない」ということだけは言いたいです。

ちゃんと記録しなかったので明確な結論を出せず、申し訳ありませんが、今年もまた、このような謎解きを楽しみたいと思っています。
 

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