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小田急1700は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2017年 5月15日(月)22時02分17秒
返信・引用
  原口さんこんばんは。

小田急の元特急車1700形と1750形ですが、原口さんの指摘を受けて早速調べてみました…。
しかし、ピクトリアルの「アーカイブスセレクション」を見ても、「小田急電鉄特集」を見ても、先頭車(1700形)と中間車(1750形)で、写真で見る限り、特に車体の高さに違いは見られませんでした。
図面はどうかと当たりましたが、どちらも床面高さ1200ミリで、特に違いはありませんし、床面から下段窓の窓枠上辺までの高さも同じ750ミリ、そこからヘッダーの上端までも同じく850ミリ、幕板の高さは400ミリと、全て同じです。よって、台枠の厚みの違い、腰板の寸法の違いは無いと思われます。そもそも元が省電であることは確実なので、モハ30にしろ、モハ63にしろ、特に違いは無いはずです。
しかし、実際の運用時に床面高さが異なる場面が本当に無かったのか、さらに調べましたが、この1700系(あえてそう書きますが)の場合、登場から1年半は、特急専用車でのリスク(毎日1~2往復程度で儲かるか。通勤車を増備するべきではないのかという声)からか、デハ1600形のKS-33L台車(軸距離2135ミリ)と主電動機を流用し、デハ1607から1610には、省払い下げのMT7~10主電動機とDT12台車を取り付けて走らせていました(歯数比2.26)。
なので、原口さんがDT11ではないかと見た台車は、住友のKS-33L台車です。
サハ1750形の台車はどうだったか。1751にはサハ2051(→クハ1958)が装備していたMD-5形を流用(サハ2051にはTR11を取り付け)、1752には来歴不明のTR23を付けています。
つまり1701-1751-1702で台車はKS-33L、MD5、KS-33L。
1703-1752-1704で同じくKS-33L、TR23、KS-33L。
もしかすると、MD-5は心皿上面の高さが低く、下に書いた台車新製まで床面高さが揃っていなかったということも無くはなさそうです。

その後完全新製の1705編成は、最初から新品のFS-108をデハ、サハともに装着して製造されました。特急車は大人気で、指定券(当時は定員制自由席)が取りにくいほどであったので、第1、第2編成とも新製車に合わせて台車や電装品も新品に取り替え、FS-108台車に交換されました。
元のデハ1600形から流用の台車は元に戻され、1607-1610ともにKS-33L台車に戻っています。TR23台車は予備に、MD5台車は途中不明ながらクハ1651の更新後に、空気バネに改造の上使用されています。

さて、この一連の台車たらい回しの中で、今もってよくわからないのは、デハ1607-1610に一時取り付けられたMT7-10等の主電動機、DT-12台車がどうなったのか、です。
そもそもなんでDT-12か、というのもよくわかりません。DT-12はモハ63に転用するため温存され、私鉄に払い下げられたのはたいていDT-10やDT-11(少数)でした。MT-7等の古い電動機(木造省電由来)を取り付けるのに、また床下にそれほど余裕があったとも思えないデハ1600形(車長16メートルちょっと)に2500ミリもの軸距離の台車…。解せないですね。DT-10あたりでもよさそうなのに…。小田急が特に希望したのでしょうか。
また、このDT-12台車のゆくえもわかりません。デハ1800とクハ1850に平軸受けのDT-12装備の車輌が、最終的に3輌ありましたが、このうちクハ1861のものは、タネ車のモハ60050のものであることがおおよそわかっています。その他の2輌(クハ1851と1860)に付いていたのが、この一時デハ1600に付いていたDT-12なんでしょうか?。元々クハ1851と1852にもDT-12は付いてきたようなのですが…。
デハ1811は省電のモハ42004の事故復旧車で、元々台車無しで「落成」したので、デハ1802のDT-13をもらって装着しましたが、デハ1802は代わりに何を付けたのか。一応定説ではクイル試験台車のKH-1を付けたと言われていますが、写真が残ってないようですし、クイルを破棄する時には何を付けたのか…。クハにDT-12を付けて発生したDT-13をもらったんですかね。
関西省電であったモハ43は、被災後小田急特急のタネ車になるにあたり、台車無しで譲渡されています(台車付きであったという記録がありません)。しかし、被災場所→収容場所→日車東京支店から新宿を経由して経堂まで、どうやって運んだんだろうかという疑問がわきますよね。当然仮台車だったと思われますが、その仮台車はどんなだったかについては、記述されている文献が無く、よくわかっていません。ただ、デハ1821→デハ1811となることになったモハ42004には、日車構内でTR23らしい台車が付いている画像は、「鉄道ファン」に掲載されたことがありました。サハ1752に当初付けたTR23は、こんなところが出所かもしれません。あくまで推定ですが。

ということで、記録されているものとしては、1700系ロマンスカーがDT-12台車やDT-11台車を付けたことはありません。
ただ、小田急には「台車の不思議」が結構あり、サハ1950形の一部には、鉄道省木製客車用と思われるイコライザーの細いTR11が使われ、最終的に岳南鉄道に譲られたとか、東急車輌に運ばれたと思われるクハ1652の旧車体には、本来のTR11台車ではなく、KS-30LAが付いている(TR11はおそらく新クハ1652→1651に流用)とか、旧4000系製作前に、デハ1300形にパイオニア台車を取り付け試験したが、それは旧4000に採用されたP-III706とは形態が異なり、台車形式が不明とか、いろいろその手の話があります。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 

小田急デハ1700形の台枠と、DT11台車の由来

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月14日(日)22時56分49秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

小田急1700形について
すぎたまさん
 小田急1700形ですが、中間のサハ1750形が両側の車よりも低く見えることも注目点だと思います。「鉄道青春時代―国電(3)」中P42, 43が「国電メモランダム 小田急の車体更新特急車」で1700形の写真4枚中3枚がサハ1750形の裾が前後の車よりも1段低く見えています。残り1枚も裾はほぼ揃っているのですが、ウインドシルの高さが明らかに前後の車よりも高く、他の写真と見比べてみると、サハ1750形は腰板の高さがデハ1700形より高いと考えられます。台枠の厚さはどうかというと、サハ1750形は客用扉が全く無く、乗務員扉があるだけなのですが、扉の裾と車体の裾との間を「台枠の厚さ」とすると、サハ1750形はデハ1700形よりも台枠が厚いようです。101系と103系は台枠の厚さが異なっており、このため、101系改造のサハ103形750番台やクハ103形2000番台が連結されていると、101系由来の車の方が明らかに裾が低いことがわかりますが、デハ1700形とサハ1750形の台枠の厚さの差はこれよりも大きいように見えます。
また、「鉄道青春時代―国電(3)」のデハ1700形の写真のうち、最初のものは台車交換前(1952年5月2日撮影)のデハ1704を先頭とする編成なのですが、デハ1704の台車が種車とされるモハ43037が付けていたはずのDT12ではなく、DT11を付けています。このため、他の3両のデハ1700形がどの台車を付けていたかも注意点で、種車がDT11を付けていたはずのデハ1701,02の台車がDT11だったとすると、別にDT11の入手先を考えなければならなくなります。

金沢文庫レポート
金沢文庫の総合車両製作所横浜工場ですが、4月後半に都営新宿線新10-300型の今年度2本目と思われる編成が登場した後、JR東日本のE233系3000番台が登場しました。現在、基本、付属の内訳はわかりませんが、編成が2本並んでいるのを確認しています。ダイヤ改正とは無関係な時期の登場で、現在E231系の更新工事が始まっていることから、更新工事のための予備車を追加したのではないかと考えられます。さらに、現在都営新宿線新10-300型の今年度3本目の編成が登場しており、現在工場の中にこの3本の編成が待機しています。

E233系関係の気になる情報として、「中央線快速のグリーン車の連結を延期する」というニュースが先月発売の鉄道誌のニュースにありました。線路側の工事の関係で数年先送りになるそうで、そうなると当初予想されていた「現在のE233系にサロE232,233型を増結する」という方式ではなく、「新形式の電車で編成丸ごと交換する」方式でグリーン車が導入されることが考えられます。
 

小田急1700形ロマンスカーの台枠

 投稿者:すぎたま  投稿日:2017年 5月 9日(火)04時42分58秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

小田急の本格的ロマンスカー(特急専用車)として、つとに有名な1700形と1750形ですが、その第1編成と第2編成は、戦災省電の復旧とされています。
その旧番号を追いますと、
1701-1751-1702がそれぞれ、
モハ30067-モハ63168-モハ32011
1703-1752-1704がそれぞれ
モハ43005-モハ63082-モハ43037となっています。
さて、これらは本当でしょうか。この点はずっと気になっていたのですが、それぞれの台枠図面などを見て考えてみました。
まず、サハ1750形のモハ63形ですが、これらは経堂工場に焼けた姿で置かれている写真が残されていますので、まず間違いは無いと思われます。ただし、台枠のみの利用で、台車、柱類、屋根は流用されていません。格下げ時には、車体を短縮され19500mmから16800mmにされています。
そして、第1編成のモハ30とモハ32は、いずれも台枠形式はUF20であり、着目すべきは、「魚腹台枠」であること、また、台枠四隅に|_/ ̄形の垂れ下がりがあることが特徴です。しかし、小田急1700形の1701、1702のいずれを見ても、台枠四隅は普通に直線で、ましてや魚腹台枠であった様子は見られません。
特急車にするとしても、わざわざ台枠の四隅や、魚腹形の中バリを平らに加工し直すとは思えず、この台枠流用は本当なのか疑問です。特にUF20台枠は、連結器の両側奥に、筋交い状の補強があり、小田急車のような半流形に加工するとすれば、この補強も改造が必要です。
次に第2編成のモハ43形は、台枠形式UF26です。リベット組み立ての20m車用平形台枠ですが、第2編成の車体長などの寸法は、第1編成と全く同じ(車体長16200mm×幅2800mm)で、当然どこかを短縮しないとなりません(元は19200mm×幅2800mmのはず)。特に車体中央部分のみ短縮したのでは、オーバーハングが大きくなってしまい、建築限界などを支障する恐れが出てきます。そのため、オーバーハング部も250mm程度短縮する必要があります。正直、そこまでするかなぁという気がします。ただ、この時代は、車体の短縮や延長は普通に行われ、軽量車体とは異なり、車体枕梁間の加工も自由でしたので、可能性が無いわけではありません。
またUF26台枠の特徴として、モーター取り付け部分の中バリは、若干細く加工されていたとのことなので、そこが見られればモハ43の台枠利用かどうかに目星が付けられそうですが、現車が無くなって久しい今、それは無理ですね…。

いずれにせよ、車体幅は2800mmで揃っていることと、正面自連上に新製車には無い「座」が設けられているので、省電台枠利用であることは間違いなさそうですが、中間車となったモハ63以外は、本当に記録通りの番号の車輌から台枠が利用されているか、かなり疑問と言えそうです。ただし、編成ごとに台枠形式が揃えられているとも考えられるので、元番号を否定しきれないのも実際のところです。
なお、1705-1753-1706は完全な新製車ですので、元番号はありません。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

タンク車の加工(その4)MICROACEのタキ20500,23800型の台枠の幅を詰める

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月 8日(月)22時57分0秒
返信・引用 編集済
  MICROACEから、2002年にタキ20500形石炭酸専用車とタキ23800形ラテックス専用車が発売されました。両形式についていくつかのバリエーションが発売されたのですが、MIACRACEの初期の製品で、形態の把握に大きな難がありました。最大の欠点となったのが「台枠の幅が非常に広い」ことでした。写真上はMICROACEのタキ23800型4次車(タキ23819~821)と、比較のために左にKATOのタキ3000、右にKATOのタキ35000を並べたものです。MICROACEのタキ20500形、タキ23800形は、タキ35000形の系列のタンク車で、「葉巻型タンク」とともに「台枠の幅が狭い」ことが最大の特徴なのですが、MICROACEの製品は台枠の幅が非常に広く、上から見るとタキ35000系列「らしくない」車になってしまっています。このため、購入してからかなり長い間手つかずだったのですが、最近になって台枠の幅を詰め、タキ35000系列「らしくする」加工を行いました。

写真中央は台枠を詰める加工を行ったタキ25000形の左から1次車(20500~512)、2次車(20513~20517)、3次車(20518~520)です。工作は、台枠の外側約1㎜幅を切り取り、その内側の2.5mm程度を切除し、切り取った外側の台枠を再接着するもので、接着ののりしろと、タキ35000系列台枠特有のデッキ部のかさ上げの表現を兼ねて0.3mmプラ板を上から貼り付けました。その上で両側ブレーキ車(1次車)と手ブレーキ車(2、3次車)の台枠のオーバーハングに合わせて外側を切り詰め、0.3mm真鍮線で手すりを植え直しました。手ブレーキ車は手ブレーキの表現(タム500形1枚板ランボードの足の表現にも使った0.7mm幅真鍮版と0.3mm真鍮線、レボリューションファクトリーの手ブレーキハンドルを使用)をしました。また、タキ20500形は加熱管を装備していたので、0.6mm真鍮線で加熱管を表現し、さらに2、3次車は窒素送り込み管を装備していたので0.4mmで配管を追加しました。
なお、タキ35000形は本来台枠の中梁が省略されているのですが、MICROACE製品ではタンク体の台枠への固定のため、本来は存在しない中梁が存在しています。台枠の幅を詰める加工では、この「中梁がある」ことが逆に都合がよく、「台枠の形を保つ」ことに役立ちました。

写真下は同様の台枠の幅を詰める加工を行い、さらに別形式にしたもので、左からタキ15700形メチルメタアクリレート専用車、タキ24400形アクリルアマイド液専用車、タキ16200形酢酸ビニル専用車です。タキ20500形とタキ24400形はランボードの手すりの変更は省略しましたが、タキ1570形、16200形は0.3mm真鍮線を使って手すりのレイアウトを変更しました。
これらの加工により、タキ35000系列「らしい」車になったと思います。

これらのタンク車の専用種別ですが、合成繊維の原料で、羽越本線の中条にあったクラレ(倉敷レーヨン)や新潟臨海鉄道の焼島にあった三菱瓦斯化学など、日本海側に多く立地する合成繊維の工場への原料輸送に使われていました。タキ20500形は高崎線でもよく見かけており、1990年代まで吹上にあった石油基地への石油輸送列車に混じってタキ3900形石炭酸専用車とともに連結されていました。
合成繊維の原料では、二硫化炭素が「戦前の化成品タンク車の三羽烏(他は濃硫酸、カセイソーダ液)」と呼ばれた歴史の古い積荷で、近畿地方を拠点として(守山にあった東レ(東洋レーヨン)の工場など)タンク車輸送されていました。

なお、タンク車の「標記」はちょうど飯田線の旧型国電の末期に「化成品分類番号」が追加される大きな変化が起こっています。ガソリンでは「燃32」、石油類、アルコールでは「燃31」と標記の蕎麦に書き込まれているもので、上記の石炭酸では「毒61」、化成品の有名どころでは濃硫酸の「侵(禁水)84」、カセイソーダ液では「侵81」が指定されています。化成品分類番号が追加されたのは1979年のことで、このため、化成品分類番号があるタンク車と流電は同時には存在していなかったことになります。

http://

 

タンク車の加工(その3)タム500型のバリエーション

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月 7日(日)20時02分19秒
返信・引用 編集済
  タム500型は、以前KATOから発売された時にタム2920, 2932への加工を紹介しましたが、最近になって何両か入手したので、別バリエーションを作ってみました

写真上は「1枚板ランボード」を持つタム2840とタム2907です。
KATO製品はタム2920, 2932が含まれる、「最終標準型」といえるものですが、「1枚板ランボード」はその前の段階の標準型といえるものです。
タム500の製造は昭和6年から36年の間ですが、戦前は昭和17年に1両だけ「タム590」が新潟で製造され、18年に2500から2529までの30両が製造されて打ち止めになります。戦後になって2530から製造が始まりますが、鉄道車両、飯野といった新規参入メーカがあり、形態が非常にバリエーションに富んでいます。その中でおそらく昭和29年に日車支店で最初の「1枚板ランボード」の車が製造され、昭和31年になって日本石油輸送が日車支店に大口の発注をしたため、「1枚板ランボード」が標準型になったと考えられます。
昭和31年に日本石油輸送は少なくとも2814~2833と2835~2854の2回の発注をしており、タム2840は2回目の発注の一員で、同じ製造ロットには津軽鉄道タム501(元タム2848)が入っています。
昭和32年には、梯子の位置が後ろ(足踏みブレーキ側)へ寄せられる設計変更が行われました。この年も日本石油輸送は大口の発注をしており、タム2907はこの一員です。
「1枚板ランボード」は0.5mmプラ板から、13mm四方で中央に7mmの穴を開けた板を切り出しました。足は0.7mm幅・0.3mm厚真鍮帯板細工で、手すりは0.3mm真鍮線です。梯子は製品のものを切り取って付け直しました。

昭和33年になって日車支店はランボードを上下2段にする設計変更を行いこの形態を日本石油輸送が採用して新たな標準型になります。この形態が昭和36年の最終ロットのタム10515~524まで続くのですが、その中で別形態を採用した会社が若干数存在します。そのうちの1つが日本陸運産業で、昭和35年に東急車輌に発注した車は、上下2段のランボードが板でつながった、1枚板を曲げた形態で、梯子が中央に位置する、さらに新しい形態を採用しました。この形態を表現したのが、写真中央の「タム2982」と「タム591」です。
昭和35年から36年はナンバリングが不規則で、2996までナンバリングされた後、10500に飛んで10509まで続いた後、前の欠番にさかのぼって591から599、2997から2999が振られた後、10510から振られて10524に至ります。このため、「タム591」は番号が異様に若いですが、昭和35年製と最末期の製造です。
模型の方は、製品の上下のランボードの間を0.3mm厚プラ板で埋め、中央の梯子に合わせて手すりを引き直しました。番号表記も微妙に位置が違うのでくろま屋のタンク車用インレタで位置を直しました。「日本陸運産業」の社名板はミラクルデカールの印刷で、別に作った標準サイズの社紋板を縮小した小ぶりな社紋板を作りました。
また、昭和35年に「運用関係表挿板」と「検査関係表挿板」が分割される設計変更が行われています。従来は両者が一体になったL字型の板でしたが、これが横長の運用関係表挿板と小型の検査関係表挿板に分割されました。昭和35年4月製造のタム2988ではL字型の一体表挿板でしたが、昭和35年末製造のタム591では分割されていることが確認できます。このため、タム2982の方では表挿板は製品のL字型のままですが、タム591の方は表挿板を切り取って分割し、付け直しました。
他にも、ドームに付いている「安全弁」の位置関係が異なっていて、上から見て90度反時計回りに回転した位置に付いているので、ドームを90度反時計回りに回して付け直しています。

下は先に報告の製品番号のままのタム2988とタム10520ですが、個体差を表現しました。タム2988は足踏みブレーキに隣り合う妻の山形手すりが無くなっていたので、製品の方の手すりを切り落としました。タム10520は、上記の表挿し板の分割が行われていたので、表挿し板の分割と付け直しを行いました。
昭和36年には、日本漁網船具が東急車輌にタム500を発注しており(確認できた番号は594, 595)、こちらは日本陸運産業のタム2982, 591とは逆に古いコンセプトの1枚板ランボードを採用しています。なお、日本漁網船具株式会社は現在のニチモウ(株)ですが、大正時代末に石油製品の販売を開始し、ブランド名として「白鳥座」の意味を持つ「シグナス(Cygnus)」からとった「キグナス(Kygnus)」を設定しました。戦後になって石油元売り業を始め、その後昭和47年に石油部門が独立した石油会社になった時にブランド名を社名に入れて「キグナス石油」になりました。このため、タンク車は「日本漁網船具」時代の入籍と「キグナス石油」になってからの入籍があり、先日のタキ45000型最終ロットは「キグナス石油」になってからの入籍です。キグナス石油は経営母体は変わっていますが現在でも独立した法人で、新たに白鳥をモチーフとした社紋を設定して盛業中です。

なお、タム500の「標準形態」としてランボード等の周囲の付属設備は変化が起こっていますが、「タンク体」の設計は昭和戦前に確立しています。少なくとも昭和18年製の車に「小型の4対8個のタンク台」と「外側のタンク台に繋がるタンク体固定の帯金」のレイアウトが採用されて、昭和20年代の新参入メーカーによる独自の形態が入った他は最後まで継承されています。
 

タンク車の加工(その2)タンクの所有社を変える

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月 6日(土)01時48分29秒
返信・引用 編集済
  タンク車の手軽な加工としては「社紋板を変える」方法があります。以前のKATOのタキ3000形では社紋板のシールが入っていましたが、1990年代から2000年代初頭のJNMAフェスティバルでは社紋板のデカールが多く発売されており、最近ではジオマトリックデザイナーズインクが社紋板のインレタを発売しています。
写真上はジオマトリックデザイナーズインクのインレタを使って社紋板を書き換えた、共同石油、三菱石油、石油荷役、モービル石油と、「米タン」標記を消した日本陸運産業の車です。三菱石油の車は中国地方で水島から鳥取近郊の湖山までの石油輸送で使われていた車が有名ですが、東日本でも割と見られました。また、他の社の車はタンク車所有が日本石油輸送に一本化されていく中で遅くまで石油元売り会社所有で残っていた車で、東海道線でよく見られました。これは、清水に東燃ゼネラルの専用線があって潤滑油を首都圏と中京圏に出荷しており、この運用に二線級になったタンク車が入ることが多かったためで、古くはタサ1700形が入っていました。1990年代は石油元売り会社のタンク車が多く入っており、写真のモービル石油の車が「清水駅常備」だったほか、いろいろな社の車が入っていました。

写真中央は日本陸運産業とエッソスタンダード石油のタキ35000です。日本陸運産業のタキ35000は社紋が大小の2種類があり、KATOのタキ35000形日本陸運産業8両セットでも表現されているのですが、この「小さい社紋」になった原因が右の「エッソスタンダード石油」です。製品では表現されていないのですが、現車を見ると日本陸運産業の小さい社紋の傍に塗りつぶされた社紋板が有ったり、小さい社紋板に合わせるように日本陸運産業の社紋が書き込まれていたりします。この中で「楕円の社紋板」が残っているものがあり、これが「エッソスタンダード石油」の社紋板です。エッソスタンダード石油は1981年に「エッソ石油」に改名されているのですが、「エッソスタンダード石油」時代の横に長い社名板はそのまま残っており、日本陸運産業に移籍した後もそのまま使われています。模型の方ではこの「塗りつぶされた社紋板」を表現するため、KATOのタキ3000形付属のシールから、エッソスタンダード石油の社紋板をガイドにしてプラペーパーを切り出し、黒く塗ったものを貼り付けました。
日本陸運産業では、他にも横長の長方形の社紋板の中に小さい社紋を書き込んでいるものがあり、これは上の写真でも紹介しているモービル石油が元の所有者です。移籍車は日本石油輸送にもあり、三角形の三菱石油がわかるものや正方形の社紋板の中に社紋を書き込んでいるものがあり、これは元はシェル石油と考えられます。また、日本石油のカルテックスマークを塗りつぶして左側の円に日本石油輸送の社紋を書き込んでいるものもあります。先の書き込みでタキ45000のラストナンバーはキグナス石油所有であることを紹介しましたが、逆にトップナンバーは昭和石油の所有で、日本石油輸送に移籍後は、社紋板を撤去して、残ったボルト台座をかわすように内側に日本石油輸送の小さな社紋を書き込んでいました。

写真下はタキ7250形、13700形アルコール専用車とタキ7950形メタノール専用車ですが、以前に「新貨車工房」のデカールを使って作ったものとは別に新規製作しました。標記は以前製作時のあまりのデカールとジオマトリックデザイナーズインクのインレタです。この中では、タキ7250形は「石油荷役」の車にしたのですが、石油荷役の車は足踏みブレーキが「片側ブレーキ」だったので、ブレーキの片方切り落としとともにブレーキをかわすために左右非対称になっていたランボードと梯子を左右対称に加工しました。
これらのアルコール専用車も東海道線でよく見られたもので、清水に内外輸送のアルコール専用車が多くたむろしていたのを見ています。また、アルコールおよびメタノールの発送は新潟の三菱瓦斯化学や中条のクラレ(倉敷レーヨン)等、日本海側の工場で多く行われていたようで、北陸本線に様々な化成品タンク車とともにアルコール、メタノール専用車も多く走っていました。
 

タンク車の加工(その1)タンクの長さを詰める

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月 6日(土)01時15分28秒
返信・引用 編集済
  先に飯田線の80系を加工してから、模型の方は気分転換としてタンク車の加工をしていました。その中からいくつか紹介したいと思います。

「タンクの長さを詰める」加工は模型のバリエーションを増やすのに適当な工作技法として古くからスタンダードな工作でした。Nゲージでも1980年代から工作が色々と紹介されていたのですが、最近になってこの工作を実行しました。
写真上はKATOのタキ43000型ガソリン専用車(右)を詰めたタキ44000型石油類専用車(左)です。タキ43000と44000は、円錐部分の寸法は共通で、中間の平行部分が、タキ43000の方で1コマ挟んで長さを伸ばしており、間に入ったユニットが溶接跡で表現されているのでこの部分を抜き取りました。併せてランボードも手すり1コマ分長さが短いので1コマ抜いています。これに合わせて安全弁とマンホールのレイアウトも変わっているので配置しなおしています。全体として約8㎜長さが詰まっています。
「石油類専用車」の特徴は重油輸送に対応した「加熱管」とこれを点検するための「点検ハッチ」なのですが、加熱管を0.6mm真鍮線、点検ハッチはレボリューションファクトリーのパーツで追加しました。
車番はレボリューションファクトリー、社紋板はパンダ工業のインレタです。

写真中央は同じくKATOのタキ35000型ガソリン専用車(右)を詰めたタキ45000型石油類専用車(左)です。こちらも円錐部分の寸法は共通で、平行部分の両側を4.5mmずつ詰めました。こちらはランボードとマンホールは共通レイアウトで、安全弁がタンクを詰める過程で1つになっています。加熱管と点検ハッチは上記のタキ44000と共通です。
足回りの方は、台枠のジャッキアップポイントを分割線にして前後を4.5㎜ずつ詰めました。この過程で側ブレーキが台車に接近し、ステップが台車に干渉する(現車も台車の外側にステップが付いている)ため、写真のようにステップは切り落としました。残った台枠の方も車輪が干渉するため、彫刻刀で彫りこみました。
標記は車番部分はくろま屋と「石油類(除ガソリン)専用」標記はジオマトリックデザイナーズインク、荷重、常備駅標記(左側)と「形式 タキ45000」標記は「ミラクルデカール」に印刷しました。

写真下は同様にタキ35000を詰めたタキ45000形「キグナス石油」とタキ13800形酒類専用車です。
デカールへの印刷は昔は「インクリボン式」プリンターが使われていたのですが、最近ではインクジェット式に完全に移行しており、このインクジェット式のプリンターに対応したデカールが「ミラクルデカール」です。これに社紋板や標記を印刷して出力したものを作りました。「キグナス石油」の社紋板はタンク車の写真からAdobe Illustrator」で作りました。社紋板とともに「キグナス石油株式会社」のロゴも作っています。
「キグナス石油」のタキ45000形を作ったのは、高崎線で遅くまで見られたためで、岡部、倉賀野への大規模石油輸送とは別に渋川の関東電化工業の工場への石油輸送にキグナス石油のタキ45000形が使われていました。関東電化工業での貨物はタキ200形トリクロールエチレン専用タンク車やトラ70000形無蓋車の「塩積専用」運用などが有名でしたが、タンク車も結構いろいろなものがありました。また、タキ45000形は全部で578両が製造されているのですが、最後の製造はキグナス石油で、ラストナンバーのタキ43578もキグナス石油の車でした。
タキ13800形は、タキ7250形やタキ13700形アルコール専用車の一族ですが、積み荷は「醸造酒」で比重がほぼ1のため、長さが詰まっています。表記はかなり前に購入した新貨車工房のデカールです。新貨車工房のデカールでは、以前にタキ7200形、7950形、13700形を作っているのですが、タキ13800形だけは長さがかなり詰まるため、工作を保留していたものです(厳密にはタキ7200形等はタキ35000形に比べて前後2㎜ほど平行部分が短いが、見かけは目立たないのでそのまま塗り替えと標記書き換えだけで製作)。
ちなみに、ここで作ったキグナス石油の社紋は、昭和61年に設定されたもので、国鉄末期から2000年頃までタキ35000型やタキ45000型に付けられており、ガソリンスタンドでもなじみだったものです。社紋は2012年に新たに設定され、白鳥をモチーフとしたシンボルマークになっています。一方で、昭和61年よりも前は月と白鳥を組み合わせたもので、日本漁網船具以来のもので、後述の日本漁網船具のタム500形に付いていたものです。
 

秩父鉄道7000型、7500型の扇風機

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月 5日(金)20時02分22秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

秩父鉄道7000型(元東急8500系)、7500型(元東急8090系)の扇風機の確認
EF651047さん
初めまして
 実は先日(5月4日)、秩父鉄道を使って秩父まで出かけ、乗車した7000型(元東急7500系)、7500型(元東急8090系)が扇風機を付けていたことを確認しました。写真は上が元東急8090系の7503、中央が元東急8500系の7101の扇風機です。7101は東急500系の中でも未更新車ですが、前後の7001, 7201は更新車で、車内では座席の袖の仕切りが付いていることが識別点ですが、こちらも扇風機付きを確認しました。東急の場合は、京急のように自社の社名ではなく、扇風機メーカーのロゴがそのまま付いているのですが、東芝の旧ロゴで鉄道関係では大物車に東芝所有のものがあり、以前見られたものです。東急8500系は半蔵門線を通して東武に直通する車を見ており、現役を確認しています。
 ちなみに元都営三田線6000系の5000型は6000形時代のラインフロー式の送風機の脇に秩父移籍時に冷房風道が付けられたレイアウトになっています。

石灰石鉱山の現在
 下は同じく先日撮影した上長瀞の荒川橋梁を渡る石灰石列車です。
 秩父の羊山公園の芝桜を見た時に近所にある「武甲山資料館」にも行き、石灰石関係の展示を見てきました。そこで日本国内の石灰石資源と鉱山の分布の展示があったのですが、この中でも鉄道関係でも目にする名前が有りました。武甲山の他、新潟の青海鉱山(電気化学工業)、三重県の藤原鉱山(小野田セメント)、山口県の宇部伊佐鉱山(宇部興産)等がありましたが、奥多摩にあった氷川鉱山、近江長岡にあった伊吹鉱山の記載がありませんでした。伊吹鉱山は地質的に大きな変動を受けていて亀裂が発達しているために地質的に不安定なことが鉱山閉鎖の原因になったとの話で、氷川鉱山も同様の理由で採掘を大幅に縮小したと聞いています。氷川鉱山から鉱石が供給されていた浜川崎の浅野セメントの工場では、石灰石を北海道からの船舶輸送に切り替えたのですが、その鉱山も武甲山資料館の展示に記述があり、渡島半島の北海道北斗市に太平洋セメントの鉱山が稼業しています。氷川鉱山は少なくとも鉱石生産量では上位30位以内には入ってなく、採掘体制を大幅に縮小していることは確実です。
 武甲山からの鉱石は秩父鉄道経由で太平洋セメント熊谷工場へ発送されるほか、横瀬の三菱マテリアル、高麗川の旧日本セメントの工場へベルトコンベア輸送されています。武州原谷の秩父太平洋セメント秩父工場へは埼玉―群馬県境付近の叶山鉱山から鉱石が発送されています。三菱マテリアルからのセメント出荷は昔は西武鉄道のE851型機関車が牽引することで有名でした。
 

扇風機付きの現役車

 投稿者:EF651047  投稿日:2017年 5月 4日(木)23時27分50秒
返信・引用
   東急8500系も扇風機付きですが。  

京急800形の扇風機

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 5月 4日(木)01時14分49秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

>スカセンさん
 京急800形では1つ、注目のアイテムがあります。それが写真の「扇風機」です(4月12日、824-1車内)。
 私が顔を出している別のところでホビーセンターKATO東京のデハ268の車内の公開をした時に扇風機を見たという話があり、現在現役で扇風機が残っている車はどれか、という話になりました。首都圏の大手私鉄では扇風機が残っているのはこの京急800形と、おそらく京成3500形が最後で、京成3500形は昨年最後の未更新車が廃車になっているので、京急800形が最後になっている可能性が有ります。写真の800形は「KHK」の社名ロゴが入っていますが、デハ268の扇風機にも同じロゴが入っていました。扇風機に入っている社名は、以前元国鉄101系の秩父鉄道1000系の扇風機に残っていた「JNR」のロゴを報告したことが有りましたが、譲渡先でも元会社の社名が扇風機に残っているとすると、琴電の1070型、1080型にも「KHK」のロゴが残っているかもしれません。

国鉄の車で最後に「扇風機」を付けて落成した車は何か考えてみました。「電車」で見ると冷房と扇風機の組み合わせで新製されたのは103系が該当しますが、他は扇風機は非冷房車のアイテムでした。電車について年ごとに見ると、
1981年(年度では1980年):福塩線、宇部・小野田線の105系
1981年:大糸線、身延線の115系
1982年:115系3000番台の111系中間車と連結する冷房準備車、119系の1982年度落成分
1983年:119系の1983年落成分、103系の赤羽線10両化用増結車
119系の最後の落成は1983年6月7日のクモハ119-29~33、クハ118-21~24になるのですが、103系は赤羽線10両化が1983年10月2日で、10両化の増結車(昭和57年度第3次債務:モハ103-787~791、モハ102-2044~2048)と、同時期の山手線増発用(昭和57年度第4次債務:モハ103-792,293、モハ102-2049, 2050)が具体的な新製年月日のデータが手許に無いので推測になりますが、119系よりも後の落成と思われます。1984年以降の電車は全て冷房付きで落成になり、「最後の非冷房車」では119系になりますが、「最後の扇風機付きで製造された車」は103系になると考えられます。
一方、気動車と客車ではキハ40系気動車と50系客車はともに1981年が最後の製造で、気動車はさらにキハ37型が1982年製造です。これで非冷房車は終わりかと思ったのですが、JR以降直前の1986年に製造された車のうち、北海道に入ったキハ54形500番台が非冷房で扇風機をつけて落成したことがわかりました。北海道ではJR移行後もキハ130形、キハ150形100番台が非冷房ですが、扇風機ではなく、クールファンなので、「扇風機」はキハ54形が最後のようです。
 

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