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RP

 投稿者:白い陽  投稿日:2017年10月29日(日)10時02分35秒
返信・引用 編集済
  こんにちは。

RPの最新号、メトロ銀座線特集なのですが後ろの方に旧型国電の置き換え計画が、多くの未発表の写真と共に掲載されています。
先の73系国電特集号の興奮冷めやらぬところですが、特集号に収めきれなかった分なのかもしれないですね。

中でも鳳の73261の前面は関東型の2枚Hゴム化、と情報があったもののネット上で辛うじてそれらしき車両を確認していただけだったので嬉しい掲載でした。よく似た73181とは、前面の行き先札掛けの取り付け位置が違うのが分かりやすい識別点になります。
なお、キャプションでは津田沼への転属回送となっていますが、モハは72970代、クモハはクモニ83への改造のため富士重工への回送途中を撮影されたものです。

ネットの普及で、つい10年ほど前までは謎ばかりだった関西地区の旧型の前面整形もかなり判明してきました。こんな日がこようとは想像もつかなかっただけに興奮気味の書き込みをしてしまいます。


では
 
 

KATO, TOMIXより、ED62形電気機関車発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月29日(日)00時11分56秒
返信・引用
  先日、TOMIXより、ED62型電気機関車シールドビーム改造車が発売になりました。先行して発売されたKATOのED62型および飯田線貨車セットとともに紹介したいと思います。

 写真上がKATOとTOMIXのED62型を並べたもので、左がKATO、右がTOMIX製品です。KATOの方は前面手すり、信号炎管、ホイッスルがすべて取り付け済みで発売されましたが、TOMIXの方は逆に全てユーザー取り付けとして発売になっています。目に付く違いとしては、つらら切りの上に表現された「ワイパー取付け部の逃げの突起」で、KATOは運転席側だけ表現(助士席側は下側取り付けのシングルアーム)、TOMIXは省略(ワイパーのモールドは両側の窓が上側支持)です。モデル8の「飯田線旧型国電等(下)」では、1号機から15号機までの写真が並べられており、ワイパーの形態が確認できるので、この部分の作り分けができます。
 また、スカートは両社ともジャンパ栓納めとエアホースがきれいに撤去された形態が表現されていますが、実はKATOの貨車とは時期が両立しない可能性が有ります。
 写真中央はタキ25000形で、上はTOMIXの従来製品、下はKATOの新製品です。大きな違いとして、「化成品分類番号」があります。KATO製品では、車番の横に「燃」とだけ書いてありますが、TOMIX製品では「燃(G)23」と書いてあります。この「燃(G)23」が「化成品分類番号」で、昭和54年10月に初めて設定されました。これ以降、石油類には「燃31」、ガソリンには「燃32」、濃硫酸には「侵(禁水)84」、カセイソーダには「侵81」と書き込まれるようになっています。このため、KATOの貨車は昭和54年10月以前が表現されていることになるのですが、ED62の方が、ジャンパ栓納めをこの時点までに撤去していた車が少なかったと考えられます。ED62の写真を探すと、旧国末期の昭和57年頃以降の写真が多く、改造当初の写真がほとんど見つからないのですが、「飯田線旧型国電(下)」では、まだジャンパ栓納めが残っていたころの写真が多く紹介されています。5号機、11号機は昭和54年10月以前にジャンパ栓納めを撤去しており、8号機は残っていたことが確認できます。恐らく、ED62型へ改造した時の次の全検時に撤去したと考えられ、全検周期が4年であることから、昭和54年頃から撤去が始まったと考えられます。このため、昭和53年の流電廃止時にはまだジャンパ栓納めの撤去が始まっていなかった可能性が高いと考えられます。
 写真下はホキ5700形で、左は河合商会・ポポンテッタの製品、右がKATO製品です。河合商会の製品はTOMIXの香港製貨車に由来する製品(上)と、河合商会になってからの製品(下)があります。KATO製品との違いは、手すりの太さの他、床下の「吐出口の大きさ」があり、KATO製品ではちいさくなりました。屋根上のハッチの大きさが、「大3」と「中央に大1、両側に小2」がありますが、「中央に大1、両側に小2」は昭和45年から47年の落成車で、35795から55748までの秩父セメントの車になります。
 

モデル8より「飯田線 旧型国電等 模型製作参考資料集C,D」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月28日(土)18時18分52秒
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  皆さんこんばんは

Satokawaさんのお話の通り、モデル8の「模型製作参考資料集」第3弾、「飯田線旧型国電等」上、下巻が発売になり、私も購入しました。
 上巻が2扉車、合造車、下巻が3扉車、機関車で、昭和45年頃からの写真が収録されており、浜松工場での通風器埋め込み前の形態がわかる車や、写真のスポーク車輪からプレート車輪への変化が辿れる車もあります。興味深い写真としては車庫に単独で留置されていて、普段は見られない連結面側の詳細がわかる写真が多く収録されています。
 細部形態の紹介は、第2段の大糸線では「抵抗器」でしたが、今回は上巻が「前照灯」、下巻が「排障器」と貫通路の「桟板」でした、前照灯は、飯田線ではかなり早い段階から大容量のLP402を採用していたことがこの場でも報告されており、初期の車が「機関車用の流用」ではないか、と指摘されていましたが、本来の「機関車用」との比較や細部形態の違いでグループ分けされています。区分要素は「下側支持」と「背後支持」、上部通風口の有無、ヒンジの左右、側蓋の左右、無、後部膨らみの有無で、KATOの旧型国電は、下側支持、上部通風口有、ヒンジ右、側蓋無、後部膨らみ有で、厳密にはクモハ52001,005、クモハ61005に付いているものです。
 排障器は、最近タヴァサホビーハウスよりいろいろな形態のものを収録した製品が発売されましたが、後からの補強追加等、さらにバリエーションが豊富です。また、桟板も同じくタヴァサホビーハウスより平妻用、半流用の貫通路パーツとしてバリエーションの追加が行われましたが、こちらも角の取り方等、バリエーションは豊富です。
 私としての注目点は、「プレート車輪への変化」で、コントラストの関係で床下機器および車輪がよくわかる写真が多く、末期はプレート車輪になっていた車がけっこう多かったことがわかりました。例えばさよなら運転編成のクモハ53008―クハ47009―クモハ54110―クハ47069は、昭和58年時点で全てプレート車輪になっており、さらにクハ47069以外の3両については昭和40年代中にプレート車輪になっていたことがわかりました。KATOから、旧型国電の取り換え用としてスポーク車輪が発売されていますが、実際に「取り替える必要がある車」は意外と少ない可能性が有ります。このため、これまでに製作した模型のうち、かなりの車の車輪を元に戻す必要がありそうです。
 また、少し前にこの場で話題になった「避雷器の交換」も辿れ、多くの車が「細い円筒形」から「ドラム缶型」へ変化しています。
 

模型製作参考資料集:飯田線版発売

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2017年10月28日(土)15時45分36秒
返信・引用
  皆さん、ご無沙汰しています。

原口さんから紹介のあったモデル8の模型製作参考資料集ですが、大糸線に続き飯田線版が発売になりました。
早期の売り切れ必至だと思いますので、ご入用の方は急ぎ購入した方が良いと思います。
通常の書店には並びませんのでご注意を。今回は上下2巻の大作です。
形式写真は芝生さんの写真でその多くをカバーできますが、模型製作参考資料と銘打っている様に
床下の写真などもありますので、製作のお供にどうぞ。トラックブレーキの68404の詳細写真もあります。
参考まで。

http://blog.goo.ne.jp/satokawa_157

 

越後交通栃尾線の近代的な電車群

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月26日(木)23時24分37秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

モデル8「越後交通栃尾線の車輌たち」より、モハ212以降の近代的な車両の一群について
 越後交通栃尾線は、762mm軌間の鉄道の中でも、近代的な電車が多く在籍していたことで有名でしたが、これらの電車の新製間もないころから末期までの写真がモデル8「越後交通栃尾線の車輌たち」に多く収録されています。
 これらの近代的な車両は「バス窓」を多用した、近場では新潟交通にいた「日車標準型電車」に似た形態な他、乗降扉が、天地の小さい窓が上に偏って付いている、東急の旧3000系列更新車や旧5000系に似た形態なのが特徴的でしたが、この扉の形態は後天的なものであることがわかりました。新製時はHゴム支持の上下2段窓で、後に下側が鉄板で塞がれたために結果的に東急のような扉になったものでした。このような車体の形態のため、製造メーカーは日車か東急かと思っていたのですが、実際は系列の車全てが日本鉄道自動車の後身である東洋工機の製造でした。東洋工機は現在でも鉄道関係の会社として盛業中ではあるのですが、「車両の製造」からは撤退しており、栃尾線のクハ103が昭和42年製で、東洋工機が最後に製造した鉄道車両の可能性が有ります。

金沢文庫レポート
 金沢文庫の総合車両製作所横浜工場では、中央東線の特急用のE353系電車の量産車の製造が始まりました。他、京王新5000系の製造も続いており、現在末尾「4」の編成が待機しています。また、昨日の通勤時、東急多摩川線、池上線用新7000系が引き出されているのを見ました。新7000系は当初多摩川線、池上線の車両を全て置き換える予定でしたが、製造が大幅にスローダウンしており、当初予定の1/3程度の本数で製造が止まっていたのですが、久しぶりの製造になります。現在少なくとも2本が待機しており、近いうちに同数の7700系電車が置き換えられえると考えられます。
 

モデル8より「大糸線 旧型国電等 模型製作参考資料集B」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月25日(水)00時18分40秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

3月にモデル8より宇部小野田線の旧型国電の資料集が発売されたことをこの場に報告しましたが、第2弾として大糸線の旧型国電の資料集が発売されました。
 大糸線の旧型国電は、昭和49年と52年に早期の廃車が行われていますが、この資料集では、昭和52年の早期廃車前に所属していた全車と、それ以前にいた車の若干が紹介されています。車両の写真では、元関西旧国利用者さんの撮影のものが多く紹介されています。
 特筆すべき点は、「模型製作参考資料集」と銘打っている通り、床下機器や屋上の拡大写真が多く収録されている点で、クモハ43810の床下(P61,62)は必見です。また、抵抗器のバリエーション(P74)は、恐らく詳細が解説されたのは初めてで、私がこの場で「大型」「小型」と記述していたものがそれぞれ複数のバリエーションがあることが紹介されています。飯田線旧型国電ではクモハ54形に見られる「大4小2半分1」、クモハ43型に見られる「小6台1半分1」では、「小」に天地の高いものと低いものがあり、「大」は旧型の角穴と新型の4穴があるほか、細部にさらにバリエーションがあります。また、大糸線のクモハ60形では、「大3小2半分1」と「大」が1つ足らないものが見られますが、この足らない1個は内側にぶら下がっていることがわかりました。
 他に、床下では、ブレーキシリンダーへの手ブレーキの接続の様子を記した図(P75)が紹介されています。元はかなり前にこの場でも紹介した、「とれいん」誌の記事です。
 屋上では、PS23装備車の搭載の様子がわかる写真(P65)が注目です。PS23は戦前型のPS11, 13に対して前後方向の碍子の間隔が短いため、碍子とパンタ台の間にアングル材を挟み込んでアダプターにしています。
 その他の車両としては、大糸線の貨物列車で使われていたED21, ED60型機関車、115系電車が紹介されており、このうちクハ115-1224はクハ11501005, 1221とともに後に高崎・宇都宮線上野口に転属しており、長く馴染みの車でした。巻末にはED21のパンタグラフを「デスコン棒」で持ち上げているところの写真が掲載されています。これは、電気機関車のパンタグラフは空気圧で上げているために、空気が入っていない場合はパンタを架線に接触させて空気圧縮機を運転させる必要があるためで、機関車にもデスコン棒は常備されていますが、写真の記述では区常備のものを使っているとのことです。

モデル8では、ほぼ同時に「越後交通栃尾線の車輌たち」も発売しています。
 地域交通は戦時統合が多い(茨城交通や山形交通、羽後交通など)中で、「栃尾電鉄」が「越後交通栃尾線」になったのは意外と遅く、昭和35年のことです。戦時を外れた統合では、遠州鉄道奥山線がありますが、こちらは昭和23年のことで、栃尾電鉄は、奈良電や三重県下の私鉄の近鉄への統合と同じくらいの時期の統合になります。
 栃尾線の車両は、近代的な電車のイメージが強いのですが、それ以外にも歴史の長い異形の車がいることが紹介されており、その中でも最も変な車は軽便時代の青梅鉄道の2軸客車2両分の台枠をつないでボギー車1両にした「ホハ10」だとおもいます。
 2軸客車2両からボギー車1両を作るのは、旭川電気軌道が行っており、こちらは2軸の電車2両からボギー車1両分の台枠を作り、そこに近くの国鉄旭川車両所で行われていたオハ61系への木造車鋼体化で発生した車体をかぶせて客車を1両作ったというものです。
 

「RPアーカイブス」より、DT14装備クモハ73と900番台全金試作車について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月20日(金)00時28分3秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

RPアーカイブス37「63・73形電車の時代」より、DT14装備クモハ73と900番台全金試作車の情報
 RPアーカイブス「63・73形電車の時代」の「読者短信」コンパイル中にDT14装備クモハ73形に関する興味深い報告がありました。
 1953年6月号に「東京国電モハ73形に偶数車出現」の記事があり、この中に「ちょっと変わっているのは、台車がDT14類似の住友金属FS-1を履いている。」の記載がありました。注目されるのは、「DT14」と「住友金属FS-1」を区別していることです。RPアーカイブスの「住友金属の台車」にある通り、最初のDT14台車は当時の扶桑金属で5両10台分が製造されましたが、住友金属で製造されたのはこれだけであることが確認されています。その後のDT14台車は汽車会社で製造されており、区別点は、住友金属製造分は「住友金属の社紋」が鋳出していることで、恐らくこれを区別点として報告されていると思われます。
 FS-1台車を装備したと思われるモハ63型は、63650, 652, 654, 666の4両で、これとは別にあと1両分あるわけですが、「あと1両分」を考えなければ、これらの車から「偶数向きのクモハ73形」になった車はクモハ73092(元モハ63650)だけになります。このため、「ちょっと変わっている」車はクモハ73092のことを指す可能性が高いと思われます。

900番台全金試作車についてもRPアーカイブスに詳細な記載がありました(P119~、元は「電気者の科学」1954年7月号
)。この中でクハ79902が「はじめ半室2等車の計画」であったため、蛍光灯が2社になったと記述されていました。興味深いのは、蛍光灯の回路図が示されていることで、「直流式」「交流グロースイッチ式」「交流一斉点灯式」の原理が回路で示されています。この中では「直流型」は101系登場とほぼ同時期にMGで発電する車内電源が全面的に交流になったため、今となっては骨董的なものになっています。車内の色合いも、個々の部品についてマンセル値の指定が記述されています。

熊本電鉄貨車の古典的な台車について
すぎたまさん
 97式軽貨車らしいトロッコと、貨車の古典台車のうち、古典台車の方は拡大写真を撮影していたので紹介したいと思います。ご指摘の通り、確かに「松葉スポーク」で、現物は鉄道博物館と浜松工場で見ただけなので、「古典台車」ぶりに驚きです。
 アーチバ台車は、調べてみると枕ばねがコイルばねなのが元祖で、日本のTR20のような板バネはモディファイ版だそうです。

 併せて、モハ71の床下も拡大写真を撮影していたので紹介したいと思います。
 写真中央は台車で、ブリルかと思ったのですが、調べてみたところ、日本車両製だとわかりました。改めて見ると、軸箱に日本車両の社紋が鋳出してあります。日車はボールドウィン形台車で有名で、「日車D型」がボールドウィンタイプの代名詞のようにもなっていますが、この台車はD型とは別の系統で、「M-12」という記載がRP00-4増刊号「釣掛電車の響き」にありました(P95)。「釣掛電車の響き」によると、日本車両のボールドウィン形台車はAからKまであった(FとHはなし)そうですが、これとは別系統の番号で、「ボールドウィン以前はブリル系統のものを作っていた」との記述もあったので、この台車はブリル系統に属するもののようです。
 写真下は床下機器で、床下が非常に狭く、簡素なものしかつけられないことが伺えます。 
 

97式軽貨車でしょうか

 投稿者:すぎたま  投稿日:2017年10月16日(月)15時35分44秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんにちは。

原口さんの熊本電鉄車庫での台車写真、1枚目の元東急5000系用台車の手前に写っているのは、97式軽貨車ではないかと思えますが、どうでしょう?。
下の画像の台車は、TR15か16のようにも見えますが、松葉スポーク車輪のようです。走れますかね(笑)。

近鉄のモ6330形の車体延長、見た目はそれなりにスマートになったようですが(ちなみに6333号が3ドア両開き、6338号は中央ドアのみ両開きの間違いです。すみません)、どうしてこの2輌だけこんな手の込んだ工事をしたのか。それが興味深いですよね。それと、2輌で形態が異なっているので、後の6441形などの3ドア化の際に、この試験データが生かされたのでしょうか。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

熊本レポート(補遺)熊本電鉄北熊本車両基地の台車など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月15日(日)00時19分10秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

熊本電鉄北熊本車両基地で見た雑品など
 熊本レポートの補遺として、9月21日に熊本電鉄の北熊本車両基地で見た物品を紹介したいと思います。
 写真上は元広浜社型モハ71の奥(建屋側)に覆い付きで並べられていた台車群です。一番手前は元東急5000系のTS301台車で、内側のモーターらしいものに「5102」「不良」のような書き込みがあります。その奥に見える台車は軸箱守がウイングバネの台車で、どうも元都営6000系の台車のようです。
 写真中央は、車両基地の南側に露天で留置されていた台車で、一挙に古くなってU型イコライザーのボールドウィン形台車です。中央に構造物を付けて、検査時の仮台車として使っているようです。この台車の由来なのですが、このタイプの台車を使っていた車は、元南武社型のモハ120形と、静岡鉄道から来た500形のうち、モハ505, 506が確認できたので、これらの車のどれかが起源のようです。
 写真下はボールドウィン台車の南側に留置されていた古典的な長物車風の車です。アーチバ式の台車枠が古さを醸し出していますが、調べてみたところ、HP「里山工房」中に熊本電鉄の貨車の写真が紹介されており、長物車の「ナ1」がこの形態であることがわかりました。1972年時点で、2両1組で保線用に使われていたとのことで、そのまま今に至っていることになります。小型の割にボギー車であることが注目なのですが、熊本電鉄の貨車は他の有蓋車や無蓋車もこのタイプのボギー車だったようです。熊本電鉄は1923年の電化以前は914mm軌間の軌道で、電化と1067mmへの改軌で貨車も新造しているのですが、軽便鉄道の流儀で貨車を作ったことが考えられます。

車体を延長した電車について
すぎたまさん
 近鉄モ6333, 6338の写真を確認しました。大手私鉄は盲点で、両開き扉とシル、ヘッダー付きの組み合わせが変わっていると思いました。
 西武所沢関連の車体延長車としては、西武多摩湖線用の小型車だった山形交通三山線のモハ105、クハ11(元西武クハ1111型)が馴染みで、ほぼ原形の車が山形交通高畠線、尾花沢線に譲渡されたのに対して、多摩湖線時代に車体を延長して、庄内交通湯野浜線にいた元東急のデハ2400形のような車になっていました。
 

電動車の台枠延長事例など

 投稿者:すぎたま  投稿日:2017年10月10日(火)05時16分20秒
返信・引用
  原口さんおはようございます。

軽量構造車の台枠短縮例は、だいぶ探したのですが、今のところ見つかりませんでした。
確かに高松琴平電鉄への、小形車導入に際して、車体を短縮してという話が当時あったのは知っていましたが、どこをどう短縮するのかという話は、聞こえてこなかったと記憶しています。
大井工場「たんぽぽ号」の車体短縮は、先代の入れ替え車クモニ13×2に合わせるためだそうで、当時「ずいぶん手の込んだことをするなぁ」と思ったのですが、今から思えば、鶴見線の大川支線用に、新形国電を17メートルに短縮改造して、クモハ12を置き換える案があり、それの試験を兼ねていたのかもしれません。

台枠延長については、昭和30年代頃は盛んにあっちこっちで行われていました。小田急クハ1551を、デハに合わせて経堂工場で延長し、3ドア車にしたりもしていました。本車はトラス棒まで延長しておりました。
ただ、軽量構造車の台枠延長は、事例が無いかと思います。これは最近の軽量ステンレス車が、T→M化電装しにくいのと同様、荷重を台枠が中心となって負担しているのでは無い(車体全体で負担)から、ではないでしょうか。
電動車の車体延長ですが、近鉄のモ6333号とモ6338号(いずれも17メートル級の車体を、20メートル級に延長)の例があります。6338号のほうは、3ドア両開きに改造されたので、戦前に案があったモハ41形省電両開きドア車のような外観になっていました。

台枠の厚い車輌。
日本鉄道自動車などの台枠が極端に厚い車は、流用台枠を補強しているのではないかとも考えました。もちろん、時代的に精密な計算が出来なかったため、部材を太くした線も考えられますが、新製台枠でそれをやると、コストが高くなってしまうのではないかとも思えます。
その他、台枠が妙に厚い車輌として、伊豆箱根鉄道1000系の1001編成(1003編成も?)があげられます。図面によると、全体の寸法がモハ60形省電にそっくりで、焼け電の台枠流用なのではないかと思えますが、登場が昭和38年と遅いので、さすがに流用台枠は考えにくいかなぁとも…。

失礼いたします。

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