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ご指摘ありがとうございます

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 4日(水)00時08分44秒
返信・引用 編集済
  田町さん、すぎたまさん、Satokawaさん、皆さんこんばんは
 こちらこそ、ご指摘ありがとうございます。話題を展開していくうち範囲を大きく広げてしまいました。時事的な話題もありますが、原点も重視し、旧型国電の疑問を突き詰めていきたいと思います。

クハ86356と同形の前面窓が少し小さい車について
 「80系湘南電車、最後の頃」P65の「300番台の変形車」で前面窓が少し小さいクハ86356が取り上げられた時、「事故復旧時、クハ86300台標準サイズの窓ガラスのストックが無く、やむを得ず少し小さい窓ガラスを使って復旧した」というシナリオを考えました。同ページの左右の窓の形が異なるクハ86352や、Wikiの方で類似の車と記述されているクハ86344等も事故復旧時に標準サイズの窓ガラスが調達できなかったための応急処置ではないかと思われます。
 ここで、田町さんより、クハ86356と同形の前面窓ガラスが少し小さい奇数向きがの車がいるとの情報があり、「事故復旧時に標準サイズの窓ガラスのストックが無い」という事態が複数回起こることはあるのだろうか(窓ガラスのストックが無いことを教訓として、窓ガラスをストックする方針を徹底したのではないか)と思い、もしかしたら新製時からの特徴かもしれないと思いました。すなわち、車両製作の過程で、前面窓ガラスの部品の不足が起こり、サイズの小さい代替品をあてがったのではないかと考え、クハ86356と並行して製造されていた車が候補になるのではないか、と考えたのですが、落成年月日で比較したところ、クハ86356と同日(昭和33年5月31日)の落成車は、窓ガラスが原型の写真が紹介されているクハ86361だとわかりました。このため、「新製時からの特徴の説」は可能性が大幅に下がりそうです。
 事故復旧とすると、RP誌の「読者短信」等の報告が手掛かりになるのではないかと思います。前面の窓ガラスの寸法が変わるということは前面のかなり大きな破損が起きていると思われ、破損が起きた事故も趣味誌に報道されている可能性は高いのではないかと思います。さらに、趣味誌の場合は、事故車、編成の車号が記述されることが多いので、クハ86356および357,359,363のいずれかが見つかることが考えられます。
 「読者短信」は最近ではRPアーカイブスの「湘南電車時代」で80系関係の報告がまとめられ、この場で以前話題になった京阪神急電の80系の4両増結編成の「クハ86背中合わせ編成」の変遷がよくわかるようになったことから、RP誌だけでなく、RF, RJ誌へ拡大すると、有力な情報が引っ掛かる可能性は高いと思われます。

準急「白浜」「草津」と電源車について
 先日、準急「白浜」と「草津」の電源車について、「発電機を積んだのではないか」と記述しましたが、この考えは12系以降の発電機方式の客車の方を見慣れた立場からの考え方で、電源は「バッテリー」もあると後から思いつきました。バッテリーとなると、客車の床下にぶら下がっているものを思いつきますが、こちらも「必要量はどのくらいか」が疑問になります。バッテリーの場合は、現在でも「電気自動車」で話題になる「電源ステーション」をどうするかという問題もあり、電源ステーションを千葉および渋川に局限して、「白浜」の場合は千葉から館山辺りまでを往復するのに十分な電気容量、「草津」の場合は渋川から長野原(現在の長野原草津口)までの往復分に必要な量、「草津」の場合は冬も運転したので暖房の分だけ必要電気量が増大するので、それに見合った量のバッテリーを増載したのではないかと考えられます。

72系と80系の間の幌の連結について
 72系と80系を臨時に連結した「白浜」ですが、上記の「クハ86背中合わせ編成」」の話題の時、「何故背中合わせになったのか」という疑問に対して、「事故が起こった時に隣の車両への避難路を確保するためではないか」との説が出たことがあり、「白浜」も何らかの方法で幌をつないだのではないかと思います。
 1枚幌と2枚幌の連結は、時代は下って旧国の末期になりますが、大糸線に例があったことを思い出しました。1枚幌を使っている中に身延線から2枚幌の車が転入した時、身延線から来た車を無改造で、1枚幌と2枚幌を強引につないで対処しており、芝生さんのサハ45型の写真で確認できます。このため、鶴見事故時の70系と72系の連結なら、同様の1枚幌と2枚幌の連結が行われたと考えられます。「白浜」の80系と72系の場合は、「テーパー幌」が必須になりますが、確かに千鉄局内には持ち合わせが有るとは思えないので、調達するとしたら大井工場からではないかと思われます。
 
 

大目に見てます

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時33分48秒
返信・引用 編集済
  皆さん、こんばんは。
田町さん、お久しぶりでございます。

>京急の掲示板?
確かに国電系掲示板ですので、違和感はあります。管理人として当方から原口氏には
“個人のブログを立ち上げて、そちらで思う存分おやりください”と進言させて戴いた
事もあります。
・・・が、この掲示板でネタ不足になり、暫く静寂を保っていた時に時事ネタを投稿して
戴いた原口さんの書き込みがきっかけになり、またコミュニケーションが盛んになった
事もありました。そういう意味で、大きく鉄道ネタからそれない限り、容認しているのが
管理人としてのスタンスです。
ご理解いただければ幸いです。

追記:本件に関しご意見のある方は、本ページの最下段にある『管理人にメール』より直接コメント願います。

http://blog.goo.ne.jp/satokawa_157

 

歳月から考えてある程度は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 3日(火)05時48分43秒
返信・引用
  田町八十吉さんおはようございます。

あなたのおっしゃりたいことも、わかるはわかるのですが、「旧形国電」と言えば必然的に1987年以前になるわけです。「国鉄新性能電車」も同様です。これは私たちがどうすることも出来ません。「国鉄形電車」に至っても、もはや185系とか、せいぜいステンレスの車輌くらいしか残っていない現状です。
 そのような実情の中、今の時代に至って、新しいことが発見されれば、それは発表出来るでしょうが、雑誌やネットに載っていない全くの新発見、というのは、もう限られているのでは無いでしょうか。

 私も小田急クハ1650形の来歴など投稿しておりますが、一応旧鉄道省の雑形客車改造だからという「名目」で、やや広めの解釈として「旧形電車」の一員として投稿した次第です。
 京浜急行についての投稿が多すぎるとお感じかもしれませんが、これは最近2000形の引退、800形の大幅減少と新1000形の「ステンレス塗装車体」など、私鉄界全体を見渡しても、ニュースと言うにふさわしい話題が連発しているため、特に2000形や800形は、世代的に京急の旧形車230形から400形、500形などと活躍を共にしつつ、それら系列を廃車に追いやった世代の引退なので、投稿が多くなっていると思われます。その意味では、ニュース的な話題があってもおかしくないのではないかと思え、全体として旧形車、国鉄形車、旧形国電の話題のいずれかに関連していれば、「まあ中立」と思われる範疇(全体でバランスを取っているという意味)かとは思えます。

 東武鉄道の旧形車の話題というのが、どのくらいだったのか知り得ませんが、吊り掛け駆動のみを扱えというのであれば、「吊り掛け電車を求めて」さんなど、他にもコメント投稿可能なサイトがありますので、そことはまた違った味があっていいのではないかとも思えます。また、旧形国電の技術というのは、それこそ院電から始まって、1958年に製造中止になるまで面々と続いてきたものであり、その間にはある程度の試行錯誤もあり、私鉄に影響を直接・間接に及ぼしたことは確実です。特に東武や西武、相鉄など影響が強く及んだところもあり、それらの話題は不可となってしまうと、国鉄車の払い下げ車についての議論も出来なくなってしまいます。
 また、吊り掛け駆動にのみ限定してしまうと、カルダン駆動やクイル駆動の試験を行ったモハ40030や40044のことは書けなくなってしまいますし、長期にわたり新性能車と連結していたクモニ83などのグループも、電磁直通ブレーキなので話題として微妙になってしまいます。三井三池のホハ200だって、自社発注車ですし、動力は無い(客車)ですから、旧形国電ではありませんね。

 なので、ある程度の脱線はあってもいいのではないか、全体としておおよそのバランスが取れていればいいのではないかと考えますがいかがでしょうか。管理人様いかがですか?。

 特定の私鉄の話題が多いなとお感じならば、ご自分で旧形国電の話題を振って、そちらに議論を誘導するのも、一つのやり方と思いますがいかがでしょう?。

> 国鉄からの譲受車以外の私鉄車両の、しかも現況についてコメントするのは、あまりに場違いかと思うのは私だけでしょうか?

 はい、私個人としてはあなただけだと思います。

> 常連の方々の顔ぶれが殆ど総入れ替えになっている

 常連という方々がどのような方々であったか、私はここ10年程度の参加歴だと思うのでわかりませんが、私などにとっては、あなたが「新しいメンバー」と思えますけど…。

 先にも書きましたが、このような「学究的掲示板」の場合、時に議論は白熱し、言葉の応酬になることもなくはありません。しかし、そうした議論も含めて、またやや広い話題を扱うことも含めて、「研究」「学究」ということは進むのではないかと、私は考えています。

 本件は管理人様のお考えもあるでしょうから、横レス気味でもあり、このくらいにいたしますが、田町八十吉さんの書き込みには、違和感を禁じ得ません。

 失礼いたします。
 

少々苦言

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 3日(火)01時04分24秒
返信・引用 編集済
  何年もこちらを訪れていなかったにも拘わらず、いきなりこのような事を申し上げるのも心苦しいのですが、ここは「我が心の飯田線」掲示板であり、当初は飯田線やその他路線の旧形国電全般のみ、その後は多少範疇を広げて国鉄形新性能電車にも門戸を開いたとの認識でおりましたが、久々に訪れてみてびっくり仰天!
いつから京急の掲示板になったのですか?
私鉄の事を書きたければ、それなりのファンサイトが開設されていると思います。

国鉄からの譲受車以外の私鉄車両の、しかも現況についてコメントするのは、あまりに場違いかと思うのは私だけでしょうか?

以前も旧形国電の知識は殆ど無く、東武の吊り掛け車ばかりに関心を示す常連の方がいらっしゃり、あまりに話題が嚙み合わない事に歯痒い思いをさせられた記憶や、80系ファンを自称する方とプライベートでお会いしてみたら、「飯田線にクモハ42の単行定期運用があった。」とか、「1960~70年代の静岡運転所の111・113系4連には東京口15連増結運用があった。」などと出鱈目を主張し始め、辟易した記憶がありますが、このような状況が続くようなら、結局居心地が悪くなってまた長期休眠状態に陥りそうな気分にさせられました。

そもそも、常連の方々の顔ぶれが殆ど総入れ替えになっているのも、上記のような理由があるのではないでしょうか?
 

80系の非電化区間直通列車について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 2日(月)23時21分9秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

80系に関連して、RF誌で連載されていた80系の記事が先月発売の号で全9回の連載が完結しました。
 最終回は、末期の動静とともに、80系を使った臨時列車が紹介されました。その中には、先日話題になった房総半島直通の準急「白浜」と、長野原線に直通した準急「草津」も紹介されています。両列車は、非電化区間直通のため、電源車を臨時に連結(「白浜」はクハ16形、「草津」はオハユニ71形)して機関車牽引で運転されたことが知られていますが、今回の最終回では、「電源車を連結して機関車牽引されているところ」の写真が掲載されています。実は、「電源車を連結して機関車に牽引された」という記事を読んではいたのですが、写真の紹介例は非常に少なく、少なくとも80系末期のRP77-8号の80系特集以降の各趣味誌の80系特集では写真を見たことが無かったため、今回掲載の「電源車を連結して機関車牽引されているところ」の写真は非常に貴重だと感じました。
 ところで、両列車とも80系の4両編成だったわけですが、4両編成分のサービス電源をまかなう分の「電力量」はどのくらいでしょうか。クハ16形、オハユニ71形が「電源車」であったからには、サービス電源を賄うだけの出力を持った「発電機」が搭載されたはずなのですが、その「発電機のスペック」の記述を見たことがありません。「電源車」の発電容量は、固定編成客車の20系、12系、14系、24系は発電量の記述があり、10系客車の発電用電源の容量も記述があったのですが、いずれも「冷房」が関係しているためにかなりの大容量になっています。これに比べると80系4両編成分の電源量はずっと少ないと思われます。

 また、RF誌の80系の今回の記事では、「私鉄直通の臨時列車」も紹介されています。有名どころともいえる伊豆箱根鉄道駿豆本線、大井川鉄道への直通列車の他、私が初めて知ったのは「上信電鉄への直通列車」です。写真は、「下仁田駅で出発を待つ80系電車」が紹介されています。

三井三池ホハ200形の車掌室仕切りについて
 ホハ200形の車掌室仕切りは、「西部警察」の映像(昭和53年当時)ですが、2本のポールが立ち、その間の中間の高さに板が取り付けられている、「中央に運転台が有る路面電車」のような感じであることが確認できます。この構造はホハ100形も同じです。
 ドアの開き方は、「西部警察」でも、車内で車掌室の方に向かって見て、左側の一番後ろの扉(モハ63型でたとえると2-4位側一番前の扉)から、源田刑事(刈谷俊介)が、「右手に拳銃を持ち、左手でドアを開けて車内に乗り込んできた」ことから、ドアが車掌室側へ開くことと、ドアエンジンが付いていない、手動の扉であることが確認できます。
 

もろもろ

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 2日(月)03時58分13秒
返信・引用
  田町八十吉さん、みなさんこんばんは。

Wikipediaの件
80系にモハ72混結の「白浜号」の件は、「自身で加筆せよ」とのことですが、自サイトには既に記述しており、検索でも引っかかってくると思いますので、わざわざIPなどを晒してまでの加筆の必要性を、自分では感じてないということです。そのため、よく加筆なされて居られる方に、よろしくお願いいたしたいと存じます。

湘南スタイルの代表形式の項、少々対象が広すぎるの件
例えば大山観光電鉄の鋼索線まで広げるとすれば、駒ヶ岳ケーブルはどうなのかとか、摩耶ケーブルも…とか、際限が無くなるようにも思えるのですが…。また一律に高運を除いてしまうと、西武新101/301系はどうするか(近江鉄道で現役ですし…)、117系も「急電」の後継車輌である背景を考慮すると…など、不整合が起こるので、個人的にはおおよそのところで切り上げ(笑)、あとは「等」とするとかで対応するしかないのかもと考えます。

モハ72の混結について
横須賀線でのモハ72混結は、「直接サロ85と連結したか」が不明なのが1点と、原口さんご指摘の「テーパーホロ」を使うのではなく、サロのほうのホロ枠を改造してあったと推定出来(普段モハ70や、サハ48、クモハ53等と連結しておりましたので)、準急「白浜」の場合は、直接モハ80との間にモハ72を挟んでおり(当然塗装も合ってない)、その時の千葉局にテーパーホロが常備してあったとは思えないので、ホロはつないでいなかったのでは無いかなど、ちょっと異質の混結と考えらるのが2点目として、これら点は横須賀線と白浜号では少々性質が異なるようにも思えます。

三井三池ホハ200形がサハ78車体の件
これは「レイル」誌の記述が(たぶん)間違っています。あれはサモハ車体ではなく、当初サハ78車体で、のちに乗務員室ドアが追加されています。
その証拠としては、ホハ203号の落成時写真(何かの雑誌に掲載があったのですが、誌名や号数など失念)には乗務員室ドアは無く、その後の写真にはあるので、後天的改造であることは明白です(これ、RF誌には指摘したのですが、完全スルーでしたね(笑))。
また原口さんご指摘のように、ドアの開く方向がモハ63のように一定方向では無く、中央から両側に開くようになっており、これはサハ78形の特徴であり、登場時には他に例がありません。
その他後年ドアが付けられたと見られる「乗務員室」は、仕切りが無く、ポール仕切りのみで、最初から設置されていた様子はありません。
「乗務員室ドア」の寸法が、モハ63と異なります。
両側非貫通で、車内にセンターポールが無く、その代わりに乗降ドア脇に手すりが立ち上がっていること、後年貫通路が片側、または両側に設置されたのも、鉄道車輌統制会の割り当て外であることを示していると考えられます。
これらの諸点から、三井三池のホハ200形は、サハ78形車体で落成し、必要に応じて乗務員室ドアを設けたのであろうと考えられますが、落成時写真で公表されているものは、ホハ203号しか今のところ見当たらないので、他車が厳密にどのような形状だったのかまではわかりませんから、一応「あろう」という表現にしております。

田町八十吉さんとは、某巨大掲示板でのコテハン時代から、実はやりとりがあったはずです(笑)。真実を追うために、各自の知識を結集し、情報を集結することで、見えてくることは多数あると思えますし、このような学究的掲示板の存在意義でもあろうかと思うところです。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

前面窓ガラスの小さい奇数向き1958年度製86300番台

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 2日(月)02時16分4秒
返信・引用 編集済
  前面窓ガラスが小さい86356の存在はこのサイトにリンクの田中景一さんのサイトや「80系湘南電車最後の頃」p65でも明らかになっていますが、もう1両、同様の改造を受けた岡山所属の奇数向き車が居た筈です。「保育社のポケット図鑑4 電車」(野村薫著 1977年刊行)のp104に赤穂線で運用中の当該車両の写真が掲載されています。
運転席側乗務員扉後位に梯子状の手摺が設置されている事から、1958年度近車製であるところ迄は絞り込めます。
該当車は86355~363(奇数)という事になりますが、355は松本配属であった事から除外されます。
残るは岡山配属の357~363(奇数)ですが、このうち361のみはネット上で比較的晩年の写真が掲載されており、これを見る限りノーマルです。
http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2014/01/blog-post_17.html
結果、357・359・363の3両迄は絞り込めますが、ここから先はお手上げです。

何方か真相を御存知無いでしょうか?
 

三井三池ホハ200形、2枚幌と1枚幌について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 2日(月)01時01分48秒
返信・引用 編集済
  田町さん、皆さんこんばんは

三井三池ホハ200形について
 三井三池ホハ200形は、元は専用線だったためか、情報が少なく、「3段窓で4扉」であることは確実なのですが、そこから先の形態が長らく不明だったようです。
 「レイル」誌の記述は、80年冬号P62にあります。解説は、「従来はこの三井の分はサハ78形の車体であるといわれていたが、九州三井炭鉱の専用鉄道で、一般乗客は乗車できず、したがって目に触れる機会も少なかったため判然としなかった。形態は63形と確認された。但し、車体は63形と同様運転台扉もあり、そちら側は非貫通だが、運転設備はもちろん、間仕切りも無く、純然たるサハであった。この辺りのことが誤り伝えられて78形だったと言われた所以ではなかったのだろうか。」とあります。一方で、別のところで「車体は”クハ型”と”サハ型”があったと」と伝えられており、「クハ型」は乗務員扉が最初からあったのか、「サハ型」に乗務員扉が後から追加されて「クハ型」になったのかは不明との記述もありました。「レイル」誌P62には写真も掲載されているのですが、扉はサハ78形と同じく中央から妻側に向けて開く形態で、乗務員扉後ろの窓のレイアウトも、客扉との間の窓柱が広い、モハ72500台と同じレイアウトになっているように見えます。一方で、妻面には3段窓が3枚並び、幕板には通風グリルが有り、こちらはモハ63形に類似しています。また、RM124号掲載の写真も、乗務員扉直後の扉は外側へ開くようになっています(先にあった乗務員扉か、後から追加された乗務員扉かは不明)。このため、ベースとなったのはサハ78形で、両側の妻の開閉式の扉を省略した形態が原型で、乗務員扉の取り付けと貫通路から隣の車両への移動を可能にする工事を行ったのは専用線から地方鉄道への変更を行った時と考えられます。ただ、以前も話題になったのですが、ホハ200形は昭和23年日本車両製なのですが、日本車両では昭和23年にはサハ78形だけでなく、モハ63形も全く製造していない(同時期にはオハ35型を製造)ため、モハ63形を全く製造していない中に突然モハ63形タイプの車を製造していることになります。これに関しては、「専用線」であったために、運輸省の管轄ではなかったことが抜け道になったことが考えられています。

 80系と他の旧型国電の連結では、違う幅の幌枠を連結する「テーパー幌」がこの場でしばしば話題になりました。2枚幌の、80系の車体側からすぼまる「縮小型テーパー幌」と、他形式の車体側から広がる「拡大式テーパー幌」の存在が確認されており、70系と80系の連結ではテーパー幌を挟み込むことによって幌を連結していましたが、73系は、首都圏でも1枚幌だったため、横須賀線の70系及び80系との連結の為には、2枚幌を連結できるようにする細工(車体側への幌のばね吊りの固定具(飯田線のクモハ54007前面に見られるようなもの)の取り付け等)を行ったと考えられます。72系は、伊東線にモハ72511が入っている写真が最近のRP誌の73系特集(17-11号)P39に掲載されており、こちらも前後連結の戦前型は横須賀線由来の2枚幌のはずなので、モハ72511は2枚幌を使えるように工事が行われているはずです。
 

72系と80系の併結について

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 2日(月)00時15分18秒
返信・引用
  連投、失礼します。

すぎたまさんが仰っておられる準急白浜の72・80系併結営業運転は唯一の事象かと一瞬思いましたが、鶴見事故による車両不足で大船区に一時的にモハ72形が配置され、スカ線編成に組み込まれた事があり、言うまでもなくスカ線編成にはサロ85形が多数含まれていたので、72・80系が同一の編成に組み込まれて営業運転を実施した例はこれも含まれる事に気付きました。
 

86059・060

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 1日(日)23時40分58秒
返信・引用
  72901さん

なめくじ会の写真は059ですね。

私は小学校4年の時に購入した鉄道ファン1977年7月号のp31に掲載の準急白糸のHMを付けた奇数向き木枠車の写真を見て疑念を抱きました。
準急白糸は1966~68年の間しか存在しない筈で、当該写真のキャプションも68年6月撮影となっています。
それまで、私の教科書は「国鉄電車ガイドブック旧性能電車編」上・下巻(これは小学校2年の時にお年玉で購入した)であり、それの記述によれば51年度製車は全車更新修繕を施工された事になっているにも拘わらず、68年に木枠車が存在した事に矛盾を感じました。
そこで、ピクトリアル77年8月号の車歴表を確認すると、059・060は更新修繕未施工である事を発見しました。
従って、前述の準急白糸の写真は059に違いないと確信したものです。

今と違って、ネットなど全く存在しない時代でしたし、小学生だったので、この事実を発信しようにも方法が皆無でじれったい思いをしておりました。

原口さん

>>三井三池鉄道の客車は、サハ78型そのものであるホハ200型が有名ですが

ホハ200形はサハ78形ではなくサモハ63形のコピーかと思います。
また、「型」ではなく「形」の字が適切かと思います。
 

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