teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


飯田線旧型国電の製作(その2)クモハ61004・クハニ67905.クハユニ56002の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 2月19日(日)14時50分44秒
返信・引用
  前回発売の戦前型セットから、残りのクモハ61004、クハニ67905、昭和58年を想定したクハユニ56002も加工しました。
写真上はクモハ61004、クハニ67905で、中央は編成に組んだものです。昭和53年3月末時点では両車は編成外でした。
写真下はクハユニ56002と、昭和58年時点での編成相手だったクモハ51200(戦前型第4弾から)と組み合わせたものです。KATOのクハユニ56002は所属標記が「静ママ」なことと、運転席側前面窓がHゴム支持になっていることから、こちらが「本来の編成」になります。
 
 

飯田線旧型国電の製作(その1)クハ68400の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 2月19日(日)14時42分11秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

KATOの飯田線旧型国電シリーズから、7両の戦前型旧型国電を製作したので紹介したいと思います

まず、今回の製作の最大の目玉である「クハ68400」を紹介したいと思います。

KATOの最初の飯田線戦前型で「クモハ53007」が「クハ68420」とのセットで発売された時、何故「クハ68420」が選択されたのかが話題になりました。そして、この時点でクモハ53007の「本来の編成相手であるクハ68400あるいはクハ68042」をどう作るかをおそらく多くのモデラーが考えたことと思います。その後、確か「RM Models」のどこかの号で、鉄道コレクションの福塩線セットに入っていたクハ68038からの製作が紹介されました。そして、昨年「クモハ54002」が製品化されたため、「KATO製品からのクハ68オリジナル車の製作」が可能になりました。

写真上が今回製作した「クハ68400」です。ベースは上記のようにクモハ54002ですが、「クモハ54―クハ68セット」のクハ68414と部品をコンバートして、「パンタの無い屋根」と「T車の床板」を組み合わせています。このため、ベンチレーター配置が異なっているので、配置を変更しています。パーツはTAVASAのベンチレーター台座(ベンチレーターが同封されている取り付け穴直径が2mmのもの)を使いました。また、床板は完全には互換性が無いので、取り付け爪をいくつか切り取るほか、いくつかの突起の削り落としが必要になりました。
前面は、クモハ54002によく似ているのですが、助士席側窓枠の底辺がさらにかさ上げされています。この部分はプラ板を追加し、室内パーツの「静鉄形運行表示」をかさ上げして付け直しました。また、クハ68400はテールライトが少し内側に寄っているのが特徴ですが、加工をするとライトのプリズム部分に大きく手を加える必要が出てくるため、ライトの位置は製品のままとして、代りに裾のステップを少し外側に取り付けて「視覚的にライトが内側に寄って見えるようにする」ことにしました。
中央はWC取り付け部分で、窓の埋め込みを行いました。妻の加工では、配管とともに一旦シル、ヘッダーを含めたすべてのモールドを削り落とし、整形してからプラペーパーでシル、ヘッダーを付け直しました。このため、妻はノーリベットになっています。実は、「クハ68への加工」を考えた方は他にもいて、加工過程をブログで紹介しており、そこで紹介されていた加工を採用しました。銘板は、実車の資料が見つからなかったので、考える限り最多の銘板を付けています。使ったのはKitchNの銘板パーツで、右上は「日本国有鉄道」、右下は製造メーカーの「川崎車両」左は改造銘板で、正確な情報は確認できなかったので、左上は更新修繕1を想定した「吹田工場」、左中央は「更新修繕2」を想定した「豊川分工場」の代用として、同じ5文字の「多度津工場」、下はWC取り付け工事の「浜松工場」を付けました。
クハ68400は最末期は台車がコロ軸受になっていましたが、これを表現するため、同じKATOのオハフ33用TR34を取り付ける加工を行いました。工作方法は「RM Models」の先月発売号で紹介されていたGREENMAXのキハ110系の台車をKATO製品に交換する方法を応用しました。まず床板のボルスターに付いているスナップを切り落とし、ウェーブの外径4.7mm、内径3.5mmパイプを差し込んで接着しました。GREENMAXのキハ110系では、そこにウェーブの外径3.5㎜、内径1.7mmパイプを差し込んでいましたが、クハ68では、ボルスター部分の高さが低いので、0.5mmプラ板でかさ上げを行い、そこにウェーブの外径3.5mm、内径1.7mmプラ棒を差し込みました。ここに、TR34台車を、3.5mmプラパイプが突き通るようにボルスタ―の穴を広げ、ネジ止めしました。
写真下は、「本来の編成相手」クモハ53007と連結したものです。WC取り付けの必要が無い「クハ68042」も考えたのですが、クモハ53007がほとんど先頭に立たなくなった原因となった車なので、加工度はより高いですが、編成の自由度が高まるクハ68400を選択しました。
 

鉄道模型いいですね

 投稿者:ほたる  投稿日:2017年 2月 5日(日)17時44分26秒
返信・引用
  こんにちは。

私の辰野岡谷間の通学期間(S47.4~S50.3)は、原口さんのおっしゃるように、客車列車と115系の交代時期だったのか、次第に115系が増えていったような気がします。(セミクロスシートの115系より確実に座れる旧型客車が好みでしたが)湘南色の80系電車も乗った記憶があります。

ところで、写真の飯田線電車の模型いいですね。実は私も最近HOゲージを集めているのですが、KATOあたりで飯田線の電車を出してくれないかな、なんて思っています。
 

中央本線の普通列車の変化、豊橋機関区40番台運用の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月31日(火)00時06分27秒
返信・引用
  皆さんこんばんは
ほたるさん、初めまして

昭和40年代後半は、飯田線では17m国電の置き換えが完了し、昭和53年の流電引退までの間の戦前型20m車の体制が安定した頃で、これに対して中央東、西線の方で大きな変化が迫っていたころではないかと思います。昭和48年10月の中央西線、篠ノ井線電化で、中央西線のローカル列車が80系に交替し、東線の方にも80系が大挙進出しています。そして昭和50年3月には三鷹電車区への115系300番台投入で中央東線の客車列車が全面的に置き換えられたので、お話の電車通学をしていたころに、目にする普通列車の顔ぶれが激変したのではないかと思います。また、50-3改正では同時に気動車で残っていた急行「アルプス」「こまがね」も電車化されたので、中部地方の鉄道ファンの注目は、中央西線の蒸気機関車とともに、電車化が見えた気動車の優等列車だったのではないかと思います。

豊橋機関区40番台運用の製作
 クハ47069とともに、豊橋機関区の40番台運用(クハユニ56を組み込んだ3両編成)も加工したので紹介したいと思います。
 KATOから発売されたセットは昭和53年3月31日の43運用の編成(クハユニ56002―クモハ50002―クモハ54002)なのですが、形態が昭和58年時点のものが混じっており、クハユニ56002は運転席窓がHゴム化されており、さらに所属標記が全車「静ママ」になっています。このため、真正の昭和53年時点の編成にするため、所属標記を「静トヨ」に書き換えるとともに、クハユニ56002の運転席窓を木枠に復元しいました。窓枠の復元は、Hゴム窓の入った窓枠を切り取り、プラ板をはめ込んで、木枠窓の形に窓を開けなおしました。同時に手すりと箱サボ枠の別パーツ化を行いました
 

はじめまして

 投稿者:ほたる  投稿日:2017年 1月29日(日)17時28分58秒
返信・引用
  飯田線の写真を偶然見て懐かしさのあまり書き込んでしまいました。

私は昭和40年代の後半に辰野から岡谷まで電車通学をしていました。
いつも乗るのは、時刻もはっきり覚えていますが朝7時25分に辰野を出る中央東線の電車(横須賀色の115系)また帰りは16時過ぎに岡谷を出る客車列車(EF64が旧型客車をけん引)なのですが時々、中央東線に入る飯田線電車に乗ることもありました。型式はわかりませんが、このサイトの写真を見ると42系一族あたりだったかと思います。休みの日に伊那市に行くこともありましたが、当時の飯田線電車の印象は、床が木製で雰囲気がとにかく古臭い、行き違いで長々停まる(当時まだタブレット交換していたのかな)など、高校生の印象はどちらかといえばマイナス面にやや振れるものでした。

でも今になれば、あの電車もっと乗っておけばよかった、写真も撮っておけばよかったなど勝手なことを考えています。
 

飯田線旧型国電さよなら運転の再現

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月29日(日)01時48分58秒
返信・引用
  連投失礼します

クハ47069が完成し、飯田線旧型国電さよなら運転の編成の全車が完成したので編成を組んでみました。写真はRP83-11号巻頭の1983年8月20日のさよなら運転の写真とともに模型による編成を撮影したものです。ヘッドマークは以前クモハ53008とともに紹介した「湘南電車」のパーツです。
 

飯田線クハ47069の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月29日(日)01時40分20秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

飯田線戦前型さよなら運転に使われたクハ47069を製作したので紹介したいと思います。

 クハ47069の製作は、KATOの飯田線旧型国電シリーズ最初のクモハ53008-クハ47009セットが発売された時に考えていました。この時はクハ47069の編成相手のクモハ54110は、クモハ53007とセットで発売されたクハ68420から加工するつもりで、ホビーセンターKATO東京でクハ47009と共にASSYパーツを購入していました。その後、加工に手を付けないうちに飯田線旧型国電第4弾の流電セットの編成相手としてクモハ54119が発売されたので、クモハ54110はこちらから加工することに変更し、先行してクモハ54110を製作していました。クハ47069はクハ47009とはWCの位置の他、前面緒レイアウトやドア窓の形態にかなりの違いがあるので、なかなか加工に着手できなかったのですが、加工方針を決定し、年明けから工作を始めて先日完成させました。
 写真上は公式側と非公式側の全景ですが、加工のポイントは「WCを左右ひっくり返す」の他、「非公式側前後と公式側後位のドア窓を2段窓にする」「乗務員扉脇の手すりのレイアウトの変更」「前面の手すりとサボ枠のレイアウトの変更」です。
 写真中央がドア窓の2段窓化の工作の途中経過で、左が「ドア窓の角を出してプラ板をはめ込む」加工、右が「2段窓の形に窓を開ける」加工です。はめ込む2段窓のパーツはクモハ12052の窓ガラスパーツからの流用で、ホビーセンターKATO東京でジャンクパーツとして購入したものです。この後、窓部分をタッチアップして工作を完了としました。また、左では乗務員扉脇の手すりの加工も行っています。17m旧国までの内側に折り曲げられた手すりを削り、乗務員扉周囲の「額縁」を彫刻刀で表現した上で、TAVASAの旧型国電用手すりを取り付けました。
 写真下はWCの左右ひっくり返しの工作で、妻窓は、左の窓を埋め、右の窓を開けてプラ板をはめ込んで窓の形に開口し、左の窓ガラスが入るようにしました。また、WCの通風グリルはサハ48のレイアウトで、妻の幕板の左側に小さいグリル(TAVASAのパーツを切り詰めたもの)を点けました。WC窓はすりガラスが表現されているため、これも左右ひっくり返し、クハ47069の場合は下段窓が白ガラスだったのでこの部分の裏側を白く塗装しました。
 前面は、サボ枠とステップを削り落とし、新たにパーツを付けました。この際、リベットを残しながらヤスリがけをしました。他に窓柱の手すりのモールドと公式側乗務員扉横の昇降ステップの手すりのモールドもリベットを残して削りました。この「リベットを残して整形する」ことがクハ47069の製作を躊躇した最大の原因だったのですが、何だかんだでうまくいったと思います。また、運行窓は、クハ47009は塗りつぶしており、製品でも窓を開けていないのですが、クハ47069は塗りつぶしていなかったので、窓を開けてガラスパーツをはめ込みました。
 

モハ80341の簡易運転台の変化

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年 1月17日(火)00時21分50秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

モハ80341の簡易運転台の変化について
七久保さん
 ご紹介のモハ80341簡易運転台の写真を確認しました。窓が大きい状態が確認できた最も後の時期の写真は、芝生さんが1982年9月10日に撮影した写真で、窓が改造されたのはこれ以降ということになります。57-11改正を控えた時期で、置き換えの計画が具体化していることだったと思うのですが、事故による損傷復旧をしたのでしょうか。
 4両いたモハ80300台簡易運転台取り付け車のうち、窓が大きかったのは80341だけで、他3両は80316と同じレイアウトだったようです。KATOの80系飯田線セットに簡易運転台取り付けの加工を考えた方は他にもおられて、簡易運転台を検索したら、模型の加工記事も見つかりました。こちらは窓の大きい80341の加工で、同時に運転席側乗務員扉後ろに新性能車のような昇降ステップが付いたクハ86354を同時に加工していました。この昇降ステップは、芝生さんの写真から、落成当初から付いており、他にも86355にも付いていることが確認できるので、昭和33年度に入ってから落成した車(86352, 354~359, 361, 363、近畿車両のみ)に共通の特徴と考えられます。

(1/21追記)
 遅ればせながら、RM Models Archive 鉄道車両ガイド vol.13「80系300番台」を購入しました。
 まず、簡易運転台取り付け車の車内の写真があり(P26)、ワイパーが下に付いていることが確認できるので、上記の80341の原型の簡易運転台と分かります。また、乗務員扉すぐ後ろの昇降ステップについての記事(P27)もあり、確認されたのは上記86354, 355の他、86358にも確認されているとのことでした。同記事では、新製時からの装備かどうか、装備は86354, 355, 358の3両だけか、それとも昭和33年度の近畿車両落成車全ての装備かどうかは不明の事でしたが、上記のように昭和34年3月の86354の写真で確認できるので、時期に関しては「新製時から」の可能性が高いと思われます。
 また、クハ85型は、85106から前面窓の高さが少し下げられたことが記載されています(P21)。模型の方はどうかというと、一体成型の天井板との位置関係で、天井板が干渉する市に前面窓と運行窓があるために微妙にモディファイされています。80系飯田線新製品の方は85106以降の方に形態が合っています。このため、車号としては厳密には85108の方に特化しています。旧製品(クハ85300台)はどうかというと、運行窓と前面窓との関係は正しいのですが、上記の天井板との関係で全体が微妙に位置が下げられており、85106以降と同じ前面窓高さになっています。
 

Re: モハ80形簡易運転台取り付け車と静岡運転所の80系の製作

 投稿者:七久保  投稿日:2017年 1月16日(月)00時23分21秒
返信・引用
  > No.2225[元記事へ]

> 原口 悟さん

> 80341はやや天地が長くて上辺が元の窓の上縁に接しており、ワイパーは下に付いています。

80341の簡易運転台ですが、末期の状態ではガラス上部は元窓の上辺まで達しておらず、ワイパーは上に付いております。当方のHP、80系のページに'83年6月に中部天竜で撮影した同車同部の写真がありますので参考になれば幸いです。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/nanakubo/index.htm

 

Re: モハ80形簡易運転台取り付け車と静岡運転所の80系の製作

 投稿者:スカセン  投稿日:2017年 1月15日(日)21時00分6秒
返信・引用 編集済
  > No.2225[元記事へ]

原口 悟さんへのお返事です。

既報の通り関西へ行き、新快速を堪能するとともにキトの博物館にも行きました。
やっぱり80系の両持ち幌は貫禄がありました。
保存車の常といえば幌が撤去されているのが当たり前ですから、ありがたいことだと思います。
それから、意外なことにクハ・モハともに更新車にも拘わらず、ベンチレーターが大型の押し込み通風器が存置されていることに今回初めて気が付きました。
今まで、80系の初期型は更新により全車ベンチレーターが小型のものに変更されているものと思い込んでいました。

 

レンタル掲示板
/219