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富士急行レポート(その1)現在のJRからの乗り入れ車両

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年10月16日(日)22時47分30秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

先週は用務で富士吉田へ出張しており、富士急行を利用しました。
 富士急行では、自社車両、JRからの乗り入れ車両共に世代交代が起こっており、ここ数年で様子がかなり変わっているので、出張中に見た車両を中心に報告したいと思います

 JRからの乗り入れ車両は現在の定期運用では豊田のE233系と長野の211系になっています。E233系は早朝(5:48, 6:18河口湖発)と夜(21:05, 22:05河口湖着)の列車なので、見ることはできなかったのですが、211系は午前中の列車(9:34河口湖着、10:36河口湖発)なので見ることができました(写真上:10/14月江寺―富士山間、N321編成)。
 臨時列車では、ホリデー快速富士山1,2号、快速山梨富士3,4号、快速富士山が設定されているほか、最近では成田エクスプレス8,41号が河口湖まで延長運転されています。これらの臨時列車のうち、15日(土)に成田エクスプレス8号を見ることができました(写真中央、月江寺にて)。
 また、富士吉田からの帰りに快速山梨富士4号を利用しました。快速山梨富士は新宿発着の時と千葉発着の時があるのですが、利用した15日は新宿発着でした。使用車両はグレードアップあずさ色の豊田電車区の189系M52編成(写真下、新宿駅にて)でした。M52編成は全車189系なので、本来はグレードアップあずさ色を経験したことが無い車両で、元々はグレードアップあさま色(11両編成の方)でした。乗車率はほぼ100%で、富士山駅の改札、車内共に海外客が多く、国際色が豊かでした。 
 
 

70系客車とキサハの暖房について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年 9月28日(水)00時46分12秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

70系客車およびキサハの暖房について
73おやぢさん、すぎたまさん
 70系客車および関東鉄道キサハの暖房についての情報をありがとうございます。暖房については冷房ほどには詳細に記載されることが無いので、謎な部分が意外と多く、今回の情報は参考になりました。

気動車の暖房とキサハとの関係
 関連して、気動車の暖房について調べてみました。気動車の暖房として一般的な「温水暖房」は昭和30年代中頃から主流になった方式で、最初は昭和33年のキハ22型で、キハ58系から本式採用とのことです。それ以前、キハ10系、20系、55系はウエバスト式温気暖房で、さらに前のキハ04,07型は機関の排気を新鮮な空気と熱交換して室内へ吹き出す「暖気暖房」でした。ただ、昭和30年代まで残ったキハ04,07型は、地方鉄道譲渡車を含めてウエバスト式温気暖房への感想が進んでいたようで、暖気暖房が多く残っていたのは江若鉄道で、それ以外は各地に点々と残っていた程度のようです。国鉄に残ったキハ07型も温気暖房の搭載が進んでおり、模型ですが、ムサシノモデルのOJスケールのキハ07型深名線、樽見線、木次線等でも温気暖房を付けた姿が表現されています。
 ここで、キサハの暖房なのですが、ウエバスト式暖房装置が装備済みならば機関が無くなっても暖房が使えますが、排気熱利用、温水暖房では暖房供給源が無くなってしまうため、別個につける必要があります。ただ、各地に点在していたキサハの写真を見るとエンジンとラジエターを下して床下が空っぽになっている車が多く、冬場は使わない、あるいはよほどの多客期でないと使わないといったような二線級の位置づけだった車が多そうで、関東鉄道キクハ1形のような2エンジン車と組んで常用することを前提とした車の方が少なそうです。

金沢文庫レポート
 金沢文庫の総合車両製作所で、京浜急行1800形の追加増備車が待機しています。写真は今朝の通勤時に撮影した工場内の1800型で、待機しているのは4両編成1本です。4両編成1本だけが入るとなると、間違いなく2000形4両編成最後の1本の2451編成が代替廃車になると考えられます。2451編成も今朝の通勤時に横浜駅で目撃しました(写真中央)。
 現在金沢八景駅の橋上駅舎の新築と、周辺の再開発が行われています(写真下)。写真の構造物は、奥に見えるシーサイドラインの駅前までの延長線に関連した構造物の可能性があります。
 

70系客車の暖房と配属局

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2016年 9月21日(水)22時24分27秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

すぎたまさん、原口さん、
私も暖房に関しては疑問を持っていました。残された写真の中に暖房ホースを装着している車両があるからです。原設計で暖房装置はないはずなのに、なぜホースがあるのか?との疑問でした。今回、1985年ごろの「鉄道史料」に掲載された70系客車に関する連載記事を改めて読み返したら、形式図の注記に「客室の暖房管は取り付けないが床下の暖房主管は配管す」とあるのを確認し、自己解決した次第です。昭和20年代まで残存した明治期の貨車は結果的にブレーキ装置がなく、直通管だけ装備していたので、これと似た考え方ですね。もちろんブレーキなし貨車は多数連結すると危険なので、車体に大きな十字マークを入れて識別しましたが、70系の暖房なしはサービス上の問題にすぎないので、識別記号はないようです。

さて、70系客車の新車紹介記事がないのは当然としても、当局者が70系に関して記述したものとしては、昭和25年の「交通技術」に「戦後5年間の国鉄車両を振り返る」との主旨で書かれた記事くらいのようです。これとてわずか数行しかありませんが、次の2点を理解することができます。
① 簡易構造の通勤専用車として復旧した。
② 歪とり作業があるため経済的に有利とはいえないが、少ない資材割り当て量で客車の両数を増加させるには有効であった。

当局が通勤専用車とはっきりした認識を持っていれば、おのずから運用形態は決まってくるのではないでしょうか。すなわち東京発大阪行きや上野発青森行きとして使用されることは基本的になく、例えば小田原や宇都宮で折り返す付属編成としての回転車、あるいは70系を主体とする、いわゆる輸送力列車を組成してラッシュ時のみ運転し、昼間は車庫で休んでいる、といった形態です。そこまで徹底できないケースもあったかもしれませんが、要するに二軍の位置づけとすれば、暖房なし、日除けや網戸もなし、などという、ないないづくしの車内設備も理解できそうです。また70系は原則幌なしですから、暖房引き通し管の件を別にしても、長距離運用に組み込まれたら、いろいろ問題が生じたことでしょう。

古物再生なのにコスト面のうまみが少なかった点は興味深いですが、「少ない資材割り当て」に、ちょっと引っかかりました。では仮に資材が潤沢に入手できたら、70系客車は全くやらなかった…とは言わないまでも、施工は限定的だった?との可能性が行間に隠れているようでもあり、意味深です。

配属局は上記「鉄道史料」にあり、仙台・新潟局から南、門司局までです。当時は管理局でなく鉄道局なので範囲が広く、たしか秋田地区は新潟鉄道局の管轄だったはずなので、青森を北限とする本州以南ということになります。
 

Re: 戦災復旧車の暖房について

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年 9月21日(水)20時20分3秒
返信・引用
  > No.2145[元記事へ]

原口 悟さんへのお返事です。

>  オハ71系の運用の最北端ですが、旅客車時代に弘前での目撃例があるとのことで、運用の限定は少なく、共通運用で広域に運用されていたらしいことが伺えました。

 これは、一般車と共通運用だったのかどうかまではわかりません。弘前駅撮影の写真も、編成末端に組み込まれているようにも見えるので、付属編成かもしれません。長距離の運用をこなすのは難しいと考えられるので、近郊区間運用に70系を入れ、浮いたオハ35等を長距離運用に回していたのではないかと思えます。
 ただ、投入当初は、そんな悠長なことを言ってはいられない状況だったと思われるので、初期車が広島局に集中的に配置された様子も含めて、どんな運用にも入れたでしょう(なにしろ無蓋貨車に通勤客などを乗せていた時代なので…)。

 北海道での70系の運用は、マニ77(のち78)に「札航」の文字が側面に大書されている画像がありますので、荷物車(マニ71とマニ78、マニ72、オニ70、オユニ70、スユ71は、復旧時から荷物車)に限っては、青函連絡船での航送もあり、したがって内地配置の車輌でも、北海道を走っていたと考えられます。荷物室は生鮮品や生き物を除いて、温度が氷点下になっても問題は起きませんが、荷扱い乗務員室には暖房が必要です。それはどうしていたのか。「オハ71系の一族」の記述によれば、マニ71には当初北海道配置のものがあったそうで、やはり寒かったのか、その後内地転属になったとのこと。
当初から荷物車だった車輌は、撮影時期によってどうかという問題はあるものの、車掌室の真下に「蒸気トラップ」あるようなので、荷扱い乗務員室内は、蒸気暖房の放熱管があったものと思われます。

 余談ですがマニ71形は不思議な車で、1~4、18が省電復旧車でこれのみB級車(車体が大半使えたもので、原型を留める。他はC級車)、5~9は客車復旧車、10は3軸ボギー台車用台枠使用の客車復旧車(ボギーセンター間13300ミリの変形車)、11~13は客車復旧車、14~17は省電台枠使用ながら車体は客車同様の仕上げ(ただし、デッキドアステップがわずかに高い)となっていて、普通は枝番で分けてもよさそうです。いまならさしずめ、1~4、18が0番台で1~5、5~9、11~13が1000番台で、1001~1008、10は5000番台で5001、14~17が3000番台で3001~3004(もちろん電気暖房装備車は+2000)なんてことになりそうですね(笑)。


> 「キサハ」の暖房について
>  常総筑波鉄道の客車の情報を見ていて、関東鉄道に多かった「キサハ」の暖房についても気になりました。常総筑波鉄道では、元小田急クハ1650形のキクハ1形と、キサハ65形が昭和60年頃まで使われていましたが、RP71-8号に私鉄車両めぐりの関東鉄道になってからの補遺が記載されており、RPアーカイブスにも収録されているのですが、当時登場したばかりのキクハ1形の改造内容は制御回路の記述だけで、暖房の記述は有りませんでした。電車時代の暖房を利用するとしたら、隣の気動車から電気を供給することになるのですが、十分な発電量が確保できるか疑問があります。(気動車の暖房は温水暖房なので、電気関係は電燈、扇風機と制御関係だけのはず)

 関東鉄道の元小田急クハ1650形改造の、キクハ1形については、少なくとも1号と3号の床下に、国鉄キハ17系などよりは寸詰まりの「ウエバスト式暖房装置」が付いているのを確認しました。したがって、電車時代の暖房装置は撤去されていたものと思われます。
 一方、キサハ65形も同系ですが、見る限りそのような機器は床下に見られません。これは画像の角度の問題かもしれませんが、今のところウエバスト式暖房を付けていたのかどうか、同じタネ車であるにもかかわらずわかりませんでした。
 その他、キサハ11他、ほかのキサハの床下には、ウエバスト式暖房は見当たりませんので、もしかすると、Dc-DT-Dcと組成する前提で、キサハの暖房は省略であった可能性も否定できないかもしれません(キサハ11は一時動車時代がありますので、暖房はあったはずでしょうけど…)。

 そう言えば、キサハ43500は、戦後にサハ6400と電車のサハになり、さらはキサハ04 300になりましたが、暖房は一体どうなっていたのか…。

それでは失礼します。

http://princesscomet.net/

 

戦災復旧車の暖房について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年 9月19日(月)23時36分23秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

戦災復旧車の暖房について
すぎたまさん
 オハ71系の蒸気暖房引き通しについての情報をありがとうございます。蒸気管の引き通し管だけはつけていたとのことで、在来車との混運用が考慮されていたことが、手持ちの情報からは読み取れなかったのでわかりました。
 オハ71系の運用の最北端ですが、旅客車時代に弘前での目撃例があるとのことで、運用の限定は少なく、共通運用で広域に運用されていたらしいことが伺えました。荷物車になってからは北海道に入っていることが、「洞爺丸台風」時に洞爺丸とともに沈んだ電車復旧の荷物車がいることから伺えます。なお、北海道での蒸気暖房ですが、夏でも気温が下がることが多いことから、夜行列車では夏でも蒸気暖房を稼働させていた、との情報を見つけました。

 「引き通し」の類似例として「方向幕の操作」について確かかなり前のこの場で伺ったことを思い出しました。103系や近郊型電車は冷房車登場の頃から方向幕の装備が始まり、非冷房車も冷房改造時に方向幕を装備する(準備工事含む)例が多くなりましたが、この時、方向幕装備車と未装備車が混在するわけで、「中間に方向幕未装備の車を挟んだ編成で、この車の向こう側の方向幕をどのように捜査していたのか」という質問をしました。これに対する回答が、「未使用の引き通し線を使って方向幕操作の信号を送る」とのことでした。ジャンパ栓は「~心x~」の形で本数が示されますが、これを全部使っているわけではなく、何本かはその車の中では未使用で、単に前後に電線が突き通っているだけ、というものがあります。この「未使用の電線」を方向幕操作用の回路に利用して信号を送る、というものです。

常総筑波鉄道の戦災省電復旧車について
 元17m省電の常総筑波鉄道オハ800形について、情報を補足します。
 RP誌の「私鉄車両めぐり 常総筑波鉄道」は昭和39年のRP64-3,5~7号掲載で、アーカイブセレクション29「私鉄車両めぐり 関東(1)」に再録されていますが、元記事のRP64-7号に「オハフ803」の車内写真がありました(P52)。撮影は昭和31年2月で、中央の扉埋め込み部分に窓を開ける等の整備をする前です。車内の様子については訂正があり、「座席の背ずり部分」は「横方向の長い短冊板」のようで、中央の扉埋め込み部分と同じ内装です。座席は木製ベンチの上に「家具のソファの1人用座席の座の部分を横にずらりと並べたような形態」で、元は木製ベンチで、後で家具から座席を転用して並べたことが考えられます。また、座席の足は角材ではなく、丸棒を削りだした凝ったつくりで、家具(洋式の椅子か、テーブルか?)転用が伺えます。一方で、天井は肋骨がむき出しで、オハフ803の場合、ベンチレーターをきれいに撤去して屋根布を張ったので、ベンチレーターに関係する通風口が存在しません。伝統は、ソケットらしいものはあるのですが、電球が付いている様子が無く、この時点(昭和31年2月)で旅客輸送は気動車が主力になっていたので、客車は最小限の使用に縮小されていたことが伺えます。

常総筑波鉄道の客車の暖房について
 常総筑波鉄道の客車の暖房の記載についても補足します。
 RPアーカイブスにも客車の要目表が掲載されていますが、まず、常総鉄道開業時の鉄道院から払い下げの2軸車は暖房が「暖炉」と書かれています。また、大正14年導入の鉄道省中型客車類似のホロハ401、ホハブ501,502は「蒸気」と書かれており、普通の蒸気暖房であると考えられます。一方、筑波鉄道由来の客車では、「電車型客車」で一部が阪和電鉄クタ800型になったことでも知られるナハフ101型、ナロハ201型はナハフ101型の方は「暖炉」、ナロハ201型の方は「ストーブ」と記載されており、「電車化」を想定して、蒸気暖房は装備せず、電車化までは暖房にストーブを暫定使用する、という製造時の方針が伺えます。これ以外の車は暖房の記載は有りませんでした。昭和20年代に使われていた客車では元蒸気動車のホハブ701型、後に気動車に改造された元南武鉄道クハ211形や日本鉄道自動車の電車型客車のホハブ551型など、オリジナルの客車ではない車が多いことがさらに謎を深めています。


「キサハ」の暖房について
 常総筑波鉄道の客車の情報を見ていて、関東鉄道に多かった「キサハ」の暖房についても気になりました。常総筑波鉄道では、元小田急クハ1650形のキクハ1形と、キサハ65形が昭和60年頃まで使われていましたが、RP71-8号に私鉄車両めぐりの関東鉄道になってからの補遺が記載されており、RPアーカイブスにも収録されているのですが、当時登場したばかりのキクハ1形の改造内容は制御回路の記述だけで、暖房の記述は有りませんでした。電車時代の暖房を利用するとしたら、隣の気動車から電気を供給することになるのですが、十分な発電量が確保できるか疑問があります。(気動車の暖房は温水暖房なので、電気関係は電燈、扇風機と制御関係だけのはず)
 「キサハ」の暖房については他にも茨城交通等で見られた元キハ04型の「キクハ」の暖房がどうなっていたか、羽後交通横荘線の気動車牽引の客車(後にそのまま羽後交通雄勝線に転属)の暖房等、記述が見つからないものがあります。電車でも、地方私鉄で見られた、電化後に電化以前の客車を「サハ」として継続使用した車両(元富士身延鉄道のサハ26型等)は、上記の筑波鉄道の電車型客車のように電車化を前提としたものでない限り、蒸気暖房から電気暖房への改造が行われたはずです。
 

Re: 昭和初期の駅の待合室の内装

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年 9月16日(金)04時46分24秒
返信・引用
  > No.2143[元記事へ]

 原口さんこんばんは。

> オハ71系の「蒸気暖房引き通し」について
>  ところで、オハ71系の「暖房」について気になりました。当時の客車は「蒸気暖房」で、蒸気暖房の引き通しと、そこから分岐する車内の暖房の蒸気管が標準装備でしたが、オハ71系が蒸気暖房の装備を省略していたとすると、スハ32系やオハ35系で編成された列車の中間にオハ71系が挟まっていた場合、オハ71系よりも後ろに蒸気暖房が行かないことになります。この状態で、蒸気機関車から暖房用蒸気を供給するとオハ71系の直前から蒸気が噴き出すことになり、場合によっては噴出した蒸気が客車の妻に反射してプラットホームに蒸気が直撃することがあり得ます。このため、少なくとも客車復旧のオハ71形では、(元々存在していた)前後を突き通す蒸気管だけは残っており、電車復旧の車でも前後を突き通す蒸気管だけは付けたのではないかと考えました。特に、電車普及のオハ71系は四国や九州にも入っており、上記のような「蒸気暖房が編成の途中で止まる」ことが問題になりやすいと考えられます。
>  また、オハ71系が投入された「最北端の線」はどこでしょうか。首都圏が最北か、あるいは仙台か新潟までは旅客営業で入った可能性もありますが、北に行くほど冬に使いにくいので、当時多かった長距離ローカル列車で東北北部まで北上するような列車へは入らないように運用を工夫していたのではないかと考えられます。

 オハ71系(オハ70も含む)には、暖房の引き通し管のみは装備されていました。そうしないと、中間車として使用した場合、原口さんご指摘の問題が発生するからです。
 電車復旧車でも、客車復旧車でも同じです。
 運用の最北端となると、オハとしてか、その後の改造車としてかで異なりますが、オハとしては弘前駅で撮影された写真が、鉄道雑誌に載っていたと記憶していますので、北東北まで、ということかと思われます。今のところ北海道での運用は無かったようです。
 名古屋地区の車輌に、暖房が改造装備されたのは、もともと短距離用という位置づけで、近郊回転の「付属編成」によく組まれていたものの、朝夕ラッシュには、増結車などとして比較的後まで旅客車として運用されたため、一応取り付けた、ということのようです。このあたりは、詳しい情報がまだ得られていません。
 荷物車などに改造後は、当然遠距離の運用があるため、暖房は取り付けられました。東北線で運用されたものは、電気暖房装備車もあり、2000番台になっていました。1輌のみと記録されていますが、更新修繕も受けた車輌があったようです。

 マニ71形など、最初から荷物車として復旧された車輌群があり、その中には省電改造車も含まれますが、それも含めてそのような「最初から荷物車」は、暖房はどうしていたのか、今ひとつはっきりしませんね。マニ72形は、電車復旧車で、全て車体新製および昭和25年(1950年)新製のため、暖房は普通に装備していたと思いますが、乗ってみたわけでも無いので、わかりませんでした。

 失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

昭和初期の駅の待合室の内装

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年 9月15日(木)23時41分54秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

昭和時代の駅の「待合室」について
 先の書き込みでオハ71系、常総筑波鉄道オハ800形の内装が「待合室のよう」と表現しましたが、その「待合室」の写真を紹介したいと思います。
 写真は秩父鉄道の大麻生駅(写真上)の待合室(9月3日撮影)で、写真中央がテーマとなる「座席」の写真です。大麻生駅は秩父鉄道が「上武鉄道」の社名で1901年に熊谷―寄居間開業して以来の駅です。座席は、写真のように木製のベンチで、すぎたまさん紹介のオハ71形の座席と全く同じ構造です。そして、背ずり部分は短冊板を縦に貼った構造で、これは常総筑波鉄道オハ800型と全く同じ構想です。このため、オハ800形の車内の車内の写真を見た時に「待合室のよう」と思ったもので、さらに、常総筑波鉄道の場合は「関鉄工業」という戦災復旧車整備のための会社を茨城県内の私鉄共同で設立していることから、車内の内装を「地元の大工に委託したのではないか」とも思った次第です。
 秩父鉄道の駅は、路線開業時以来の駅は基本的に写真のような伝統的な駅舎がそのまま残っています。また、大麻生駅の場合は有人の窓口も使われており(写真下)、昭和30年代までのローカル線の駅の雰囲気を色濃く残しています。

オハ71系の「蒸気暖房引き通し」について
 ところで、オハ71系の「暖房」について気になりました。当時の客車は「蒸気暖房」で、蒸気暖房の引き通しと、そこから分岐する車内の暖房の蒸気管が標準装備でしたが、オハ71系が蒸気暖房の装備を省略していたとすると、スハ32系やオハ35系で編成された列車の中間にオハ71系が挟まっていた場合、オハ71系よりも後ろに蒸気暖房が行かないことになります。この状態で、蒸気機関車から暖房用蒸気を供給するとオハ71系の直前から蒸気が噴き出すことになり、場合によっては噴出した蒸気が客車の妻に反射してプラットホームに蒸気が直撃することがあり得ます。このため、少なくとも客車復旧のオハ71形では、(元々存在していた)前後を突き通す蒸気管だけは残っており、電車復旧の車でも前後を突き通す蒸気管だけは付けたのではないかと考えました。特に、電車普及のオハ71系は四国や九州にも入っており、上記のような「蒸気暖房が編成の途中で止まる」ことが問題になりやすいと考えられます。
 また、オハ71系が投入された「最北端の線」はどこでしょうか。首都圏が最北か、あるいは仙台か新潟までは旅客営業で入った可能性もありますが、北に行くほど冬に使いにくいので、当時多かった長距離ローカル列車で東北北部まで北上するような列車へは入らないように運用を工夫していたのではないかと考えられます。
 

63形にある貧弱な吊手

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2016年 9月11日(日)18時19分45秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

すぎたまさん
「晩春」は吊手の輪に目を奪われてしまい、車両自体に言及しなかったので、失礼しました。おっしゃるとおり63形ではありませんし、国鉄型のニオイも希薄です。車内のシーンはまず見通しがあり、白色塗装が適度に剥げているつかみ棒を画面内で確認できることから、実車の可能性は高そうです。次に吊手につかまっているシーンになりますが、先の見通しシーンと共通の絵柄(腰掛やつかみ棒など)が写り込んでいないので、実車で完全に別角度で撮り分けたのか、セットの別撮りを編集で合わせたのかは不詳です。
とはいえ、仮にセットだとしても、吊手の輪を小道具係がいちいち手作りするとは考えづらく、いくら当時の撮影所が職人集団だったとしても、(物理的に)無理かつ(時間的に)無駄な作業というべきでしょう。この種の部品は鉄道会社から借りるか、部品メーカーから別途買い求めるほうが合理的だからです。つまり、部品自体は本物だが、それらを取り付けるべき内装製作こそ撮影所の本領発揮であったと考えられます。そのさい、往々にしてキャメラワークや照明の都合を優先した寸法改変などが行われて、我々テツにセットだと見破られる結果にはなるのですが…(笑)

さて、後年に普及した牛革製ベルト+樹脂製の輪を考え方の基準に据えると、「晩春」の吊手はいかにも華奢な感じで不自然に思えてきますが、63形における謎の金属製(?)の吊手にも、これに似たタイプが存在します。
添付画像は吊手付近を拡大したので荒くなってしまいましたが、遠近法を無視(?)して、奥の樹脂製より手前の輪のほうが細いことがおわかりいただけると思います。ブラケットもヒモのような細いものが二重になっており、ばらけ防止用にスリーブが被せられています。このあたりの貧弱さも「晩春」のヒモ状ブラケットと一脈通じているようです。
また、樹脂製の輪は自身の重量で鉛直方向に垂れていますが、手前の輪はあちこちに向いて、なかには垂れてないやつがある…もしかして軽い!? 材質は軽合金系か?と思いたくなりますが、製法なり接合方法は全く想像できず、実際はどうなんでしょうか。
 

映画に見る在りし日の鉄道

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年 9月 9日(金)01時00分39秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

古い映画に出てくる鉄道車両について
73おやぢさん、すぎたまさん
 昔の映画で出てくる鉄道のシーンについて、かなり昔のRP誌で記事が連載されたことがあります(確か1980年代後半から1990年代前半の間)。昭和戦前の映画の撮影のメッカの1つが蒲田にあった「松竹蒲田撮影所」で、小津安二郎監督がここを拠点にして活動していたため、RP誌の記事でも小津安二郎監督作品の解説にかなりの割合を割いていました。有名なところでは、戦前の横須賀線電車がしばしば登場することで、今となっては貴重な車内の様子もわかるとのことです。
松竹蒲田撮影所は昭和10年ごろに大船に移転して以降は「大船撮影所」となっており、小津監督も拠点をこちらに移しているとのことで、映画「晩春」も大船撮影所の方で製作されています。このため、蒲田時代からの継続で横須賀線が「地元」になり、映画でも登場する機会が多くなったと思われます。
車内撮影の候補となる「私鉄」ですが、大船撮影所の近所では京浜急行の逗子駅か小田急の藤沢駅となりますが、京急の方は、電圧の関係もあって車両は湘南デ1形(京急230形)が主で、400形が加わる感じ、小田急の方は初期鋼製車が多く、関東型17m車は1600形だけなので、京急、小田急に絞ると該当しそうな車は意外と少ないかもしれません。
 

セットか私鉄のように見えますが

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年 9月 8日(木)00時04分53秒
返信・引用
  73おやぢさんこんばんは。

他の方のブログで、当該のシーンを発見しました。直接リンクは支障があるかもしれないので、h抜きにしてあります。
ttp://blog.goo.ne.jp/hotokeya/e/9c3d0183982f3393ed68c0301e2a8eab
このカットで原節子と、笠智衆が握っている吊り手ですよね。
これは、戦災復旧客車やモハ63のそれとは決定的に違うような気がします。何より細いです。アルマイト製でしょうが、荷重がかかると、折れてしまいそうなほどですね。
それで、カットを細かく見ると、まず窓が三段では無く、二段窓であること、また天井板が張ってあること、天井灯にグローブがあり、比較的関東私鉄に多い形であること、吊り手受けは例のEC13322図によるものに似ていることがわかります。
これらから考えて、車内のシーンだけは、私鉄のどこかでロケしたのではないかとも考えたのですが、どうでしょうね。不思議ですね~。

70系戦災復旧客車は、客車でありながら、「省電からの復旧車を含む」ということと、省電の面影をとどめたまま復旧され、客車に編入されたという点で、オハ35形などとは全く異なった意味を持っていると思えます。
その意味でこの掲示板でも、もう少し掘り下げたいとも思うのですが、いかんせん資料が足りないですかね…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

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