teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:7/2371 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

碑文谷工場の小田急クハ1650形の車体について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月 6日(火)00時27分40秒
  通報 返信・引用
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

RM連載時の「碑文谷工場回顧」の後に、RM Library「碑文谷工場ものがたり」が出版されたことは当時確認してはいたのですが、今となってはRM Libraryのかなり初期の号でこちらの方は確認できませんでした。RM162号の方の写真は、仮称モハ101の方は1958年11月24日、仮称モハ102の方は1958年12月11日の撮影となっています。また、改めて仮称モハ101の写真の方を見ると、台車は「TR10」と書いてあり、実際は明治44年式台車だったとのことで、「TR11より前の台車」の意味で「TR10」と記述していたようです。
ところで、「小田急から到着した直後のクハ1650形」の写真があるのですが、腰板を塗り分けた2色塗りで、腰板の方が明るい色になっています。当時のロマンスカーが腰板が青で窓回りがオレンジの2色塗りで、これを逆にした色のように見えるのですが、実態はどんな色だったのでしょうか。

東急東横線横浜―桜木町間の跡と、大正年間の横浜駅舎跡の観察
横浜鉄道模型フェスタの後、東急東横線跡を観察しながら横浜駅まで歩いていきました。写真上は桜木町駅に近いところで、奥が桜木町駅でした。この区間は線路と路盤を撤去して、ほぼコンクリートだけになっているのですが、ここから先の整備方針がまだ決まっていないようで、かなり長い間この状態が続いています。
写真中央は「高島線」のアプローチです。撮影場所は「三菱横浜造船所踏切」で、三菱横浜造船所があった頃は正門に続くところでした。
写真下は大正時代に存在した「2代目横浜駅」の遺構です。場所は、東横線旧高島町駅から少し横浜駅寄りの、写真上の手前の道が突き当たるところにあるマンションの敷地の中で、写真の構造は駅舎中央の入場口の左側の部分に相当します。

横浜鉄道模型フェスタの追記ですが、KATOから119系と同時期に「飯田線旧型国電のサウンドカード」が発売されます。

金沢文庫レポート
先に「白塗りの京急新1000系」が登場したことを報告しましたが、先週の通勤時、「2本目の白塗りの車」を目撃しました。また久里浜へ回送されたと思われます。これとは別に京成3000系も新たに目撃しています。
 
 
》記事一覧表示

新着順:7/2371 《前のページ | 次のページ》
/2371