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流電系列TR23A台車の行方

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 1月10日(水)00時06分27秒
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  皆さんこんばんは

流電系列のTR23A台車の交換の流れについて
 この場でかなり前から何度か話題になりながら結論が出ないままに終わっている話題の1つに「流電系列のTR23A台車の行方」があります。
 飯田線では、流電系列のサロハ66形に由来するクハ47151, 153, 155、サハ48034がいずれも台車が平軸受のTR23に交換されていた一方で、クハ47063(身延線)、クハ47102、クハ68400がコロ軸受の台車(クハ47063はTR43、クハ47102はTR36の説あり)になっていました。TR23台車の発生源としては昭和42年7月9日の中央西線の事故で廃車になったクハ68048, 088が以前の議論で指摘されていました。
 ここで改めてクハ47151, 153, 155、サハ48034の台車を調べてみたのですが、クハ47151以外の車はかなり早い時期に台車が平軸受のTR23に変わっていました。クハ47153,155は先頭車化改造当初の「クハ47021, 022」だった時の写真が「旧型国電車両台帳」P79に掲載されていますが(クハ47021は1954年5月8日、クハ47022は1955年1月7日撮影)、両車とも既に平軸受のTR23になっています。また、サハ48034も1960年2月に芝生さんが撮影しており、既に平軸受のTR23になっています。一方で、クハ47151は1959年11月23日時点でまだコロ軸受のTR23Aで、1970年2月18日時点で平軸受でした(我が心の飯田線掲載)。他に「DRFC-OB デジタル青信号」に元関西旧国利用者さんが1965年3月24日撮影の飯田線快速色時代の写真が掲載されており、この時点ではコロ軸受でした。
 この一方で、末期はコロ軸受だった車を見ると、クハ47102、クハ68400はコロ軸受になったのは昭和50年代に入ってからで、クハ47063だけが1971年1月時点でコロ軸受でした(最盛期の国鉄車両)。このため、「クハ68048, 088のTR23台車」がクハ47151に転用され、「クハ47151のTR23A台車」がクハ47063にさらに転用された、と考えたのですが、クハ47063の台車は「TR23A」の説がある一方で、「TR43」の説(HP「旧型国電の記録」)があります。TR43の説は、枕バネの枕吊りの形状がTR43の方に似ていることと、枕バネの高さが低いことが根拠となっています。また、クハ47063は昭和30年代中頃に既にコロ軸受になっていたとの記述が「1950年代の車両小史」にあります。このため、クハ47151の平軸受けの台車の起源はクハ68048,088が考えられますが、それ以外は流れが不明ということになります。

 なお、サハ58型では58011のみ平軸受のTR23になっています。また、「旧型国電画像編」中「特発予備」では「TR23A台車を履いた車両」として、クハ76型中、本来のTR45台車ではない台車(TR43 or TR36 or TR23A)を装備している車の写真が紹介されており、クハ76002, 013, 015, 023が紹介されています。昭和40年頃まで横須賀線にいたサハ58011とこれら4両のクハ76形は台車交換の流れで関連があるかもしれません。また、TR43は80系初期車の台車なので、大井工場(横須賀線時代)、浜松工場(飯田線時代)、吹田工場(阪和線時代)それぞれで受け持ちがあったので、80系との関連が深いのかもしれません。
 
 
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