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昭和30年代後半の鳳電車区と富山港線:J-train2018年冬号より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年11月23日(木)01時24分37秒
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  皆さんこんばんは

鉄道雑誌の11月発売の号が先日相次いで発売になりました。RP誌は103系特集で、永尾さんと前納さんが103系に対して行われた改造についてまとめているのですが、J-trainの2018年冬号も発売になっており、連載記事の昭和30年代後半の電車区訪問や、115系3000番台等、注目すべきものが多かったので、今回、まずJ-trainを購入しました。
 今回の電車区訪問は、「鳳電車区」と「富山運輸区城川原派出所」でした(P159~)。鳳電車区は、省型はクモハ61001,002とクモハ51073、クハ16型と70系だけだった、73系、クモハ60形が大挙転入する直前の昭和38年ごろ、富山港線も同じく昭和38年頃で、2色塗りが無くなってから、クモハ11型が転入するまでの間です。注目すべきは、阪和車型の写真が多く紹介されていることで、吹田工場で固定窓のHゴム支持化の工事が始まる直前に相当し、末期は阪和社型でもHゴム支持の前面窓が多くなっていく中で、前面窓が原型の写真が多く紹介されています。阪和社型は、ちょうど今月末に鉄道コレクション第25弾の発売が予定されており、その中にクモハ20000台とクハ25100台が入っているので、両車のバリエーションを作るのにちょうど良いタイミングで写真が紹介されたことになります。省型では、阪和社型に混じって活躍していた17m車のクハ16450とクハ16264が紹介されています。
 城川原派出所の方では、南武社型のモハ、鶴見社型のクハ、クモハ1310が紹介されていますが、この中で「クモハ2010」とされている写真に疑問があります。クモハ2010形は、片運化されており、後位の乗務員扉が撤去されているはずですが、写真の車には乗務員扉が残っています。また、「私鉄買収国電」より、工事によって変化しにくいものとして「前面腰板のジャンパ栓納めの位置」に注目して比較してみたところ、クモハ2010は「助士席側のテールライトに対して助士席側に1つあるジャンパ栓納めの位置が少し高い」こと、また、「箱サボ枠がシルに接している」点がJ-trainの写真とは異なっていることがわかりました。そして、J-trainの、「助士席側のテールライトに対して同じ高さに助士席側のジャンパ栓納めが付いており、さらにその間に貨物列車にぶら下がる時の標識掛け(仙石線の車に付いているもの)が付いている」「箱サボ枠がシルから少し離れて付いている」という特徴は「クモハ2000」と一致することがわかりました。このため、写真の車は「クモハ2000」です。「ジャンパ栓納めの位置」はクモハ2000,2010型の各車の間でかなり異なっており、正面写真だけでも個々の車の識別ができるものです。
 鶴見臨港のクハは、5502と5503の写真が紹介されていますが、2色塗り時代の「私鉄買収国電」の写真からは運転席窓に変化が起こっています。クハ5502は上段の細い分割窓(昭和33年3月15日撮影)、5503は枠の細い1枚窓(昭和35年11月4日撮影)で、両車とも向かって右側の枠にワイパーが付いていますが、昭和38年4月1日撮影のJ-trainの写真では、下の枠が幅広い1枚窓(5503は上も広い)で、ダブルワームのワイパー(WP35型か?)が幅広の下枠に付いています。この「窓の下枠を広げてダブルアームのワイパーを付ける工事」は、クモハ2003、クモハ2000(「クモハ2010」と記載されているもの)でも確認され、末期の省型とともに走っていた頃(RP83-11号の写真の頃)にはこの形態に統一されていた可能性が有ります。

 今回のJ-trainでは、客車の方にも注目すべき写真がありました。前回の号の品川客車区の他、「昭和50年代後半の板谷峠の客車列車」の記事があり、福島、山形両客貨車区の旧型客車の写真が多く紹介されています(P115~)。また、福島客貨車区の車については、形態分類表(P124,125)が紹介されています。板谷峠の列車については客車の優等列車の模型をそろえており(20系、24系「あけぼの」、「津軽」1,4号、3,2号、「おが」3,4号)、旧型客車時代の普通列車の製作を構想していたので、特定車両の表現として役立つものになりそうです。

RP17-12号の73系置き換えの記事中の写真について
 RP17-12号は最近になって遅ればせながら購入しました。この中の写真にいくつか疑問点があったので報告したいと思います。
 P118の京阪神緩行線の写真(1975年3月2日撮影)の解説に、「クモハ73339(大アカ)を後尾にした写真の下り観光電車も2両のクハ55と1両のクモハ51を組み込んでいる」とありますが、「クモハ51」は見間違えです。前(クモハ73339)から3両目、4両目、一番後ろに3扉車がいるのですが、3両目と4両目はクハ55150台で、5両目のモハ72のパンタグラフを4両目の車のものと誤認して、「クモハ51」と記述しています。
 個々の車を見ると、クモハ73339は田中さんが写真を撮影しており、ドア形態、前面配管の引き回しの特徴が一致しています。
 2両目はモハ72920台ですが、当時明石電車区には72946,955の2両しか所属していませんでした。このうち、72946の方は同じ面を田中さんが撮影しており、「前から3番目のドア窓だけが黒Hゴム」という特徴が一致しているので、写真の車はモハ72946の可能性が高いです。
 3両目と4両目のクハ55150台は、3両目が戸袋窓Hゴム、4両目が戸袋窓原型です。戸袋窓がHゴム支持なのは55153~171(奇数)のうち、161,165,167の3両です。このうち、161は両側面ともドア窓は2段なので、少なくとも中央の扉が白Hゴムである写真の車とは形態が異なります。残る55165,167は1-3位側のドア窓は165は全て白Hゴム、167は中央の扉だけ白Hゴムで167の方の形態に一致します。従って、3両目の車はクハ55167です。
 4両目は、さすがに遠方でドア窓が1枚か2段か不明瞭ですが、少なくとも3枚とも白Hゴムでないことは間違いありません。このため、1-3位に白Hゴム窓の扉が混じっている159, 169, 171でないことがわかります。残る車は153,155,157,163で、この4両はいずれも1-3位側の扉は全て2段窓です。従って、写真の車は「この4両のどれか」にとどまります。
 5両目はモハ72型ですが、戸袋窓がHゴム窓には見えないことと、幕板が狭いように見えることから、72000台原型車です。前から2番目の扉だけ「白Hゴム支持でない」ことがわかりますが、原型のモハ72000自体明石電車区には72069,087の2両しか存在せず、ドアの形態が一致するのは72069のほうです。
 6両目はモハ72000台全金更新車です。普通の正方向のモハ72000台全金更新車ですが、明石にはモハ72017しか存在しませんでした。このため、写真の車はモハ72017になります。
 一番後ろは3扉のクハ55形ですが、明石には偶数向きの車は55004,012の2両がいました。どちらも戸袋窓をHゴム窓化しており、扉と併せて全て白Hゴムです。違いは、004はベンチレーターが8個、012は7個なのですが、さすがに遠方でベンチレーターの戸数はわかりません。このため、「55004と55012のどちらか」にとどまります。

 緩行線関連では、P116下の103系にクモニ83を連結した写真が注目で、旧型国電時代はクモニ13を連結した列車がいたことを知ってはいましたが、103系化以降、荷物列車をクモニ83に変えてしばらく存続していたらしいことは初めて知りました。

 P121中段に阪和線の雄ノ山峠越えをする73系の写真が掲載されていますが、前から2両目が茶色でアルミサッシ2段窓のモハ72500台です。解説に「ぶどう色の車両は明石電車区から1970年9月に転入したモハ72663またはモハ72665」とありますが、モハ72663,665は昭和50年(1975年)まで明石電車区に所属しており、西暦と昭和を誤変換しています。一方で、モハ72663,665がアルミサッシであることを正確に把握していることは注目すべきで、アコモA更新車とは別に関西でアルミサッシ化工事が行われていること、該当車がモハ72663,665の2両であることが知られていたことになります。
 
 
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