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Re: 城東線・片町線の向きについて

 投稿者:ef813030  投稿日:2017年 3月 1日(水)20時58分57秒
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  > No.2097[元記事へ]

73おやぢさんの記事を拝見して

1.吹田工場の修繕線での車両向き
・昭和8年2月から吹田工場で修繕を始めたとのこと。
 [『鉄道ピクトリアル』通巻690号、p.54]
 宮原庫は、昭和8年9月の開設。淀川庫車両の修繕を
 「逆向き?」で受け入れていたと思われます。おそらく、
 大井工場から回送されてきたときも、海側に電気系、
 山側に空気系の向きだったと思います。
・モハ42系の電装の際に、須磨海岸の潮風から電気系を
 守るために、これまでの東京の電車にとらわれずに床下の
 機器配置をされたと記憶しています。
・また、放出と吹田の間が電化されたのは、昭和9年7月。
 それまでは淀川->放出(方転、SL牽引)->吹田の経路
 だったのでしょうが、
 淀川->巽->吹田と自力回送できるようになったので、
 「第一次方転」が行われたと考えました。

2.昭和18年の方転
・京橋近くにあった軍需工場との輸送を片町線と淀川への入出線、
 および城東貨物線で行っていたので、のんびりと2両編成の電車が
 在線できなくなったためと思いました。(都島信号場開設も18年)
・この当時、安治川口で方転できたのかは存じません。また、大阪駅
 構内の勾配を、経験の少ない運転士で対応するための処置だった
 のかもしれないなぁ、と思いました。平和なときなら、笑い話ですが。

 以上、失礼します。
 
 
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