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「RPアーカイブス」より、DT14装備クモハ73と900番台全金試作車について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月20日(金)00時28分3秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

RPアーカイブス37「63・73形電車の時代」より、DT14装備クモハ73と900番台全金試作車の情報
 RPアーカイブス「63・73形電車の時代」の「読者短信」コンパイル中にDT14装備クモハ73形に関する興味深い報告がありました。
 1953年6月号に「東京国電モハ73形に偶数車出現」の記事があり、この中に「ちょっと変わっているのは、台車がDT14類似の住友金属FS-1を履いている。」の記載がありました。注目されるのは、「DT14」と「住友金属FS-1」を区別していることです。RPアーカイブスの「住友金属の台車」にある通り、最初のDT14台車は当時の扶桑金属で5両10台分が製造されましたが、住友金属で製造されたのはこれだけであることが確認されています。その後のDT14台車は汽車会社で製造されており、区別点は、住友金属製造分は「住友金属の社紋」が鋳出していることで、恐らくこれを区別点として報告されていると思われます。
 FS-1台車を装備したと思われるモハ63型は、63650, 652, 654, 666の4両で、これとは別にあと1両分あるわけですが、「あと1両分」を考えなければ、これらの車から「偶数向きのクモハ73形」になった車はクモハ73092(元モハ63650)だけになります。このため、「ちょっと変わっている」車はクモハ73092のことを指す可能性が高いと思われます。

900番台全金試作車についてもRPアーカイブスに詳細な記載がありました(P119~、元は「電気者の科学」1954年7月号
)。この中でクハ79902が「はじめ半室2等車の計画」であったため、蛍光灯が2社になったと記述されていました。興味深いのは、蛍光灯の回路図が示されていることで、「直流式」「交流グロースイッチ式」「交流一斉点灯式」の原理が回路で示されています。この中では「直流型」は101系登場とほぼ同時期にMGで発電する車内電源が全面的に交流になったため、今となっては骨董的なものになっています。車内の色合いも、個々の部品についてマンセル値の指定が記述されています。

熊本電鉄貨車の古典的な台車について
すぎたまさん
 97式軽貨車らしいトロッコと、貨車の古典台車のうち、古典台車の方は拡大写真を撮影していたので紹介したいと思います。ご指摘の通り、確かに「松葉スポーク」で、現物は鉄道博物館と浜松工場で見ただけなので、「古典台車」ぶりに驚きです。
 アーチバ台車は、調べてみると枕ばねがコイルばねなのが元祖で、日本のTR20のような板バネはモディファイ版だそうです。

 併せて、モハ71の床下も拡大写真を撮影していたので紹介したいと思います。
 写真中央は台車で、ブリルかと思ったのですが、調べてみたところ、日本車両製だとわかりました。改めて見ると、軸箱に日本車両の社紋が鋳出してあります。日車はボールドウィン形台車で有名で、「日車D型」がボールドウィンタイプの代名詞のようにもなっていますが、この台車はD型とは別の系統で、「M-12」という記載がRP00-4増刊号「釣掛電車の響き」にありました(P95)。「釣掛電車の響き」によると、日本車両のボールドウィン形台車はAからKまであった(FとHはなし)そうですが、これとは別系統の番号で、「ボールドウィン以前はブリル系統のものを作っていた」との記述もあったので、この台車はブリル系統に属するもののようです。
 写真下は床下機器で、床下が非常に狭く、簡素なものしかつけられないことが伺えます。 
 
 

97式軽貨車でしょうか

 投稿者:すぎたま  投稿日:2017年10月16日(月)15時35分44秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんにちは。

原口さんの熊本電鉄車庫での台車写真、1枚目の元東急5000系用台車の手前に写っているのは、97式軽貨車ではないかと思えますが、どうでしょう?。
下の画像の台車は、TR15か16のようにも見えますが、松葉スポーク車輪のようです。走れますかね(笑)。

近鉄のモ6330形の車体延長、見た目はそれなりにスマートになったようですが(ちなみに6333号が3ドア両開き、6338号は中央ドアのみ両開きの間違いです。すみません)、どうしてこの2輌だけこんな手の込んだ工事をしたのか。それが興味深いですよね。それと、2輌で形態が異なっているので、後の6441形などの3ドア化の際に、この試験データが生かされたのでしょうか。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

熊本レポート(補遺)熊本電鉄北熊本車両基地の台車など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月15日(日)00時19分10秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

熊本電鉄北熊本車両基地で見た雑品など
 熊本レポートの補遺として、9月21日に熊本電鉄の北熊本車両基地で見た物品を紹介したいと思います。
 写真上は元広浜社型モハ71の奥(建屋側)に覆い付きで並べられていた台車群です。一番手前は元東急5000系のTS301台車で、内側のモーターらしいものに「5102」「不良」のような書き込みがあります。その奥に見える台車は軸箱守がウイングバネの台車で、どうも元都営6000系の台車のようです。
 写真中央は、車両基地の南側に露天で留置されていた台車で、一挙に古くなってU型イコライザーのボールドウィン形台車です。中央に構造物を付けて、検査時の仮台車として使っているようです。この台車の由来なのですが、このタイプの台車を使っていた車は、元南武社型のモハ120形と、静岡鉄道から来た500形のうち、モハ505, 506が確認できたので、これらの車のどれかが起源のようです。
 写真下はボールドウィン台車の南側に留置されていた古典的な長物車風の車です。アーチバ式の台車枠が古さを醸し出していますが、調べてみたところ、HP「里山工房」中に熊本電鉄の貨車の写真が紹介されており、長物車の「ナ1」がこの形態であることがわかりました。1972年時点で、2両1組で保線用に使われていたとのことで、そのまま今に至っていることになります。小型の割にボギー車であることが注目なのですが、熊本電鉄の貨車は他の有蓋車や無蓋車もこのタイプのボギー車だったようです。熊本電鉄は1923年の電化以前は914mm軌間の軌道で、電化と1067mmへの改軌で貨車も新造しているのですが、軽便鉄道の流儀で貨車を作ったことが考えられます。

車体を延長した電車について
すぎたまさん
 近鉄モ6333, 6338の写真を確認しました。大手私鉄は盲点で、両開き扉とシル、ヘッダー付きの組み合わせが変わっていると思いました。
 西武所沢関連の車体延長車としては、西武多摩湖線用の小型車だった山形交通三山線のモハ105、クハ11(元西武クハ1111型)が馴染みで、ほぼ原形の車が山形交通高畠線、尾花沢線に譲渡されたのに対して、多摩湖線時代に車体を延長して、庄内交通湯野浜線にいた元東急のデハ2400形のような車になっていました。
 

電動車の台枠延長事例など

 投稿者:すぎたま  投稿日:2017年10月10日(火)05時16分20秒
返信・引用
  原口さんおはようございます。

軽量構造車の台枠短縮例は、だいぶ探したのですが、今のところ見つかりませんでした。
確かに高松琴平電鉄への、小形車導入に際して、車体を短縮してという話が当時あったのは知っていましたが、どこをどう短縮するのかという話は、聞こえてこなかったと記憶しています。
大井工場「たんぽぽ号」の車体短縮は、先代の入れ替え車クモニ13×2に合わせるためだそうで、当時「ずいぶん手の込んだことをするなぁ」と思ったのですが、今から思えば、鶴見線の大川支線用に、新形国電を17メートルに短縮改造して、クモハ12を置き換える案があり、それの試験を兼ねていたのかもしれません。

台枠延長については、昭和30年代頃は盛んにあっちこっちで行われていました。小田急クハ1551を、デハに合わせて経堂工場で延長し、3ドア車にしたりもしていました。本車はトラス棒まで延長しておりました。
ただ、軽量構造車の台枠延長は、事例が無いかと思います。これは最近の軽量ステンレス車が、T→M化電装しにくいのと同様、荷重を台枠が中心となって負担しているのでは無い(車体全体で負担)から、ではないでしょうか。
電動車の車体延長ですが、近鉄のモ6333号とモ6338号(いずれも17メートル級の車体を、20メートル級に延長)の例があります。6338号のほうは、3ドア両開きに改造されたので、戦前に案があったモハ41形省電両開きドア車のような外観になっていました。

台枠の厚い車輌。
日本鉄道自動車などの台枠が極端に厚い車は、流用台枠を補強しているのではないかとも考えました。もちろん、時代的に精密な計算が出来なかったため、部材を太くした線も考えられますが、新製台枠でそれをやると、コストが高くなってしまうのではないかとも思えます。
その他、台枠が妙に厚い車輌として、伊豆箱根鉄道1000系の1001編成(1003編成も?)があげられます。図面によると、全体の寸法がモハ60形省電にそっくりで、焼け電の台枠流用なのではないかと思えますが、登場が昭和38年と遅いので、さすがに流用台枠は考えにくいかなぁとも…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

車体の延長と短縮について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月 9日(月)00時30分21秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

車体の延長と短縮について
すぎたまさん
 少し前の話題になってしまいますが、「軽量車体での車体の短縮」として例に挙げられていた車(大井工場、東芝)はいずれも「事業用車」であることに気づきました。「新性能の旅客営業用車」で車体を短縮しようとした例は又聞きなのですが、京王重機整備が新京成800型を短縮した車を高松琴平電鉄志度線、長尾線の小型車の置き換え用として提案したらしいです。この計画が実行されなかったのは、「新京成電鉄の方が北総開発鉄道の延長開業のあおりを受けて業績が振るわなくなったために800形をしばらく使う方針に変更になったため」という話を聞いています。

 車体延長(台枠利用の車体新製ではなく、元の鋼体を利用した延長)の方ですが、「ガソ改」の制御車や、ナローゲージの電車のイメージがあり、古い車でも「本格的な電車」の延長はしたか、考えてみたのですが、「西武所沢工場」関連がほとんどかもしれません。日本全国の地方鉄道に車体を延長した車がいるように感じるのですが、上記のガソ改の他、現在の西武鉄道発足までに統合した鉄道の小型車を延長して地方鉄道に送り出したり、地方鉄道の小型車の延長工事を請け負う等、何らかの形で西武所沢工場が係わっていることが多いです。この手の車で最後まで現役だったのが蒲原鉄道モハ41で、モハ31と同形の車体だったのが西武所沢工場で車体を延長して、モハ61に似た車体に改造されています。しかもこの車は「電動車を延長した」非常に珍しい例で、もしかしたら唯一の存在かもしれません。

蒲原鉄道モハ61の厚い台枠について
 HP「吊り掛け電車をもとめて」での蒲原鉄道モハ61の台枠の話の続きなのですが、日本鉄道自動車製の同形車である南武鉄道モハ505形(国鉄クモハ2020形)の他、略同形車ともいえる宇部電気鉄道デハニ350(国鉄クエ9421)も台枠が厚いです。クモハ2020形の台枠の厚さの違いが際立つ写真は、「旧型国電車両台帳」P191の富山港線時代のもので、連結している元鶴見臨港鉄道のクハと比べると台枠の厚さが2倍くらいあります。
 クモハ2020形の「dD6D6Dd」のレイアウトについて、以前のこの場で「車体の強度を保つための工夫では?」との説を提示しましたが、台枠が厚いことについても、「台枠に使用した鉄の強度が低いために断面積を大きくして同等の強度を確保する」と日本鉄道自動車で考えていたのかもしれない、と思いました。同様に、同じ南武鉄道の開業時の車であるモハ100形等、昭和初期製造の買収国電も同様に台枠が厚く。同時期の省電モハ30型が魚腹台枠なので、こちらも「車体強度を保つために台枠を厚くする」ことが考えられたのかもしれません。
 同時期に日本鉄道自動車が宮城電鉄向けに製造したクハ881,882(後のモハ2325,2326)は、日本車両製の他の車両(モハ801~805)のコピーで、この点では「日鉄自らしくない車」です。
 

熊本レポート(その15)上り新幹線の車内から:竹下気動車区と小郡機関区

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月 6日(金)00時23分23秒
返信・引用
  23日の帰りの列車からは、国鉄時代の名前で竹下気動車区(写真上)と小郡機関区(写真中央、下)を観察しました。
 竹下気動車区には、JR西日本から出張してきたキヤ143型検測車がいました。
 小郡機関区には、山口線用の気動車の他、115系3000番台がいました。小郡機関区は2005年頃からしばしば観察しているのですが、当時から見ると、気動車は広島色から、朱色に変わり、写真のようにほぼ朱色への塗り替えが完了しています。また、前回の観察(2015年4月)から見ると、電車の方が劇的に変化しており、写真の115系3000番台は岩国より西に押し込められています。代わりに、広島付近で見た電車は227系ばかりになっていました。

 熊本レポートは以上としたいと思います。
 

熊本レポート(その14)下り新幹線の車内から:宮原電車区に疎開した阪和線の103系

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月 6日(金)00時10分6秒
返信・引用 編集済
  熊本への用務は行き帰りとも新幹線を使いました。台風シーズンでもあり、実際に用務期間の直前に台風18号が襲来してかなりの被害をもたらしたので、用務期間中にどう宿泊するか直前まで決まらず、台風18号がいつ襲来するか目安がついてから行動日程を決定しました。

 東海道、山陽新幹線の車窓からは、在来線の車両基地を見ることができるので、新幹線を使うときは注目しています。
 写真は行きで観察した、新大阪を出てすぐの網干総合車両所宮原支所(以前の宮原電車区、客車区)で、阪和線の103系が4両編成と6両編成が1本ずつ疎開していました(写真上、中央)また、数がかなり減っているクモヤ145型もいました(写真下)。
 宮原支所では、2015年4月には定期運転を終えたばかりの「トワイライトエクスプレス」の編成が3本そろっているところを目撃しています。
 

熊本レポート(その13)豊肥本線の竜田口駅と白川橋梁

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月 5日(木)23時58分2秒
返信・引用
  22日の午後には、用務地から、熊本電鉄の藤崎宮駅とはちょうど反対側の豊肥本線竜田口駅を見てきました。
 写真は15時07分に竜田口駅で交換する肥後大津行(写真上)と熊本行(写真下)の交換(写真中央)です。熊本行はキハ200型使用の気動車列車ですが、現在豊肥本線は熊本地震による被災のため、電化区間終点の肥後大津より先が不通になっています。このため、「九州横断特急」も熊本側が運休になっています。
 竜田口駅の西側で豊肥本線は白川を渡っており、鉄橋と併せて交換列車を撮影しました。
 

熊本レポート(その12)地上で残っている下り線

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月 5日(木)23時45分4秒
返信・引用 編集済
  上り線が高架化されたのに対して、下り線がまだ地上に残っています。高架ホームでの写真でも、右側に下り線用ホームが姿を現しており、おそらく今年度中に高架線へ切り替えられると思われます。
 下に残っているホームは番号付けが特殊で、鹿児島本線下りホームの1番線(写真上)、2番線と、豊肥本線用の0A番線と0B番線(写真中央)です。0A,0B番線は確か豊肥本線の電化に伴って新設されたホームです。高架に移ったホームが4~6番線なので、これから高架に移るホームは「1~3番線」となり、南側に切り欠きを設けて豊肥本線の電車が発着するようになると思われます。
 下りホームがまだ地上のため、現在新幹線で熊本駅で降りて東口(熊本城の側)へ向かう時は、地下通路を通って東側の駅舎へ出ます(写真下)。在来線乗換の時はちょっと複雑な構成になっているので注意が必要です。2年前の秋に訪問した、北陸新幹線開業後の富山駅も在来線高架化工事中で半分だけ高架になっており、新幹線開業とともに在来線も高架化工事を行っているという点でよく似ています。
 熊本駅で見た日中の電車は全て815系と817系の2両編成でした。815系は豊肥本線電化に伴って投入されたのですが、鹿児島本線の方にも結構入っているようです。
 

熊本レポート(その11)熊本駅の在来線高架化工事

 投稿者:原口 悟  投稿日:2017年10月 5日(木)23時25分14秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

熊本地区のJR車両は、21日に熊本電鉄で上熊本へ行き、そこから熊本まで移動して観察しました。

 現在熊本駅は在来線の高架化工事中で、上り線が高架に移っています(写真上)。高架ホームは1面3線で、下り方の東側を切り欠いて3番目の線(5番線)を入れています(写真中央)。切り欠きホームは三角線へ直通する気動車列車が主に使っています。4,6番線が八代行の電車が使っているのですが、熊本に着いた時にたまたま肥薩線への直通特急「やませみ・かわせみ」が止まっていました。写真撮影時は出発までは間があって静かだったのですが、この後団体客が乗ってきてにぎやかになりました。
 キハ31型は、2015年4月に確か飯塚で後藤寺線の運用に入っている車を見て以来になります。確か新製時は全転換クロスシートだったと思うのですが、三角線で使われている車は2位側と3位側の1/3くらいに転換クロスシートを残して他はロングシートになっています。
 「やませみ・かわせみ」のキハ47型は、九州新幹線全線開業に合わせて熊本から肥薩線方面の観光列車用として改造された車ですが、熊本地区で見た狭義の「国鉄型」と呼べる車は結局この「やませみ・かわせみ」だけでした。
 

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